この世界には、冒してはならない大罪が存在する。
決して口にしてはならない言葉がある。
それでも、言葉にせずはいられなかった。
それほどまでに、彼のことが×××しかった。
地面に叩きつけられ、起き上がろうとする小太郎の首筋に剣先が向けられる。
「……っ、そいつから離れろ!」
蹲る小太郎に駆け寄ろうと身を乗り出すが、両脇から腕を掴まれ行動を制限された。
ぎり、と歯噛みし、政宗は目の前の異端審問官長を睨みつける。
素知らぬ顔で政宗の視線を受け流す、自分の優位を確信した、この粘っこい笑みが憎たらしくて仕方がない。
「我々とて、同じ黒い羽の貴方に手荒な真似はしたくないのですよ」
誇示するように背を伸ばし、背中の『黒い羽』を異端審問官たちは見せつける。
彼らと同じ『黒い羽』を、政宗だって持っている。
ただ一人、地に這い蹲わされている小太郎だけが『白い羽』を背に生やしていた。
「そりゃあ、自分のモノに執着心を持つのは勝手だが?」
異端審問官の一人が、嗜虐的に笑いながら小太郎の腹を蹴り上げた。
咳き込む小太郎の背中、羽の付け根を狙ってもう一人が力の限り踏みつける。
ぎり、と骨が軋む厭な音がした。
痛みに堪える、小太郎の呻き声は小さい。
何故こんな暴力を受けているのか、彼はわかってすらいないだろうに。
「おい、離せ!やめろ!そいつに手を出すんじゃねえ!」
拘束から逃れようと、政宗は身を捩るが異端審問会は訓練された武装集団だった。
第一線から身を退いて長い政宗では、彼らの腕から抜け出すことは難しい。
「忘れてもらっては困りますな。彼は、ただの奴隷なのですよ?」
嘲りと、哀れみさえ含んだ異端審問官長の言葉に小太郎の肩が僅か、震える。
「それだというのに……貴方がどうしても奴隷を奴隷らしく扱わず、放し飼いにし続けるというのであれば」
「やめろ……」
「彼には死んでもらうことになりますねえ」
「やめてくれ……っ!」
異端審問官長の言葉を否定するように、政宗は何度も首を横に振る。
そんな言葉、聞きたくない。
小太郎にだけは、聞かせたくなかった。
大怪我の影響か、以前の記憶を全て失ってしまった一人の『奴隷』
彼が傷を負ったことは痛ましかった。
今までの記憶を忘れてしまったことは悲しかった。
けれども、それ以上に、政宗は小太郎が記憶を失ったことを神に感謝すらしたのだ。
政宗が『黒き羽』を持つ支配階級であること、
そして、小太郎が『白き羽』を持つ奴隷階級であること。
この狂った世界。羽の形は違えど、せめて彼が奴隷であることを忘れてくれるなら。
対等な目線で自分と接してくれるなら、政宗は他には何も要らなかった。
この小さな家で、ずっと二人で暮らしていければそれでよかった。
それだけだったのに。
「奴隷をペットとして猫っ可愛がりするとしても、服まで着せるなんてやり過ぎじゃあないんですか?」
抵抗する小太郎の髪を鷲掴み、頭を上げさせる。
そのまま力任せに、異端審問官は彼の上着を音を立てて引き裂いた。
響く哄笑。
ここに連れてこられるまでに、散々痛めつけられたのだろう。
茫然と空を見上げる小太郎の身体は、蚯蚓腫れや裂傷など傷だらけだった。
せっかくあの大怪我が治ったというのに、ようやく傷痕が薄れてきたというのに。
ろくに着る物も与えられず、いつも傷だらけで『黒き羽』の慰み者でしか生きることを許されない。
それが、この世界における『白き羽』の正しい在り方だと聖典が謳う。
「奴隷……ペット……?」
それは、遥かなる神話の時代から定められた宿命。
神々の戦争が『黒き羽』の勝利で終結し、それから何百、何千という年月を経ながらも脈々と受け継がれてきた絶対の規則。
――Cut the bull.
「こいつは……そんなんじゃない!」
自分が異常であることは自覚している。
この感情が、七つの大罪として忌み嫌われているおぞましいものであることも。
間違っている、と人々は声高に非難するだろう。
神の『偶然』に狂喜し、何もわからない小太郎を、何も知らせないままに今まで騙してきた。
できることなら、最後まで気づかせたくなかった。
もう、あんな思いは二度としたくない。
(大怪我をした小太郎を見たとき、政宗は、本当に胸が潰れそうだったのだ)
こんな大罪を抱えた自分は、いつか必ず地獄に落ちる。
それでも構わないと思えるほど、自分はこの感情に囚われている。
それほどまでに政宗は、自分は、この男のことを。
――小太郎のことが。
「俺は、こいつを……愛しているんだ……っ!」
それほどまでに、彼のことが愛おしかった。
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