山中の道で通り雨に出くわした。
灰をまぶしたような薄暗い、気の滅入る空だと思っていたら途端にバケツをひっくり返したような大雨となったのだ。
大粒の雨で周囲が霞み、視界が平常よりも悪くなる。慌てて雨をしのげる場所を求め緑が鮮やかな若葉の繁る大木に非難したのだが、時既に遅く二人ともずぶ濡れの状態になってしまった。

「God damn it!気持ち悪い!」
布地の芯まで雨が滲みこみ、肌にべたりとまとわりついてくる感触に政宗は大きく顔を顰めた。山の通り雨というのは気まぐれで、しかも激しいのだから始末に終えない。
意味のわかる者ならば聞くに堪えないスラングを吐き捨てながら、着物の裾を絞ると音を立てて水がひっきりなしに土に落ちていく。その様に今の自分の惨状を思わずにはいられなかった。
濡れ鼠も良いところで、全く一国の主がざまぁないとおかしいから少し笑う。

その政宗の頬を、正確には頬を伝う雨水をすいと掬う手がある。
意外に思いながら横を見れば、政宗と同じくずぶ濡れになった忍びが立っていた。視線が合ったが彼は何も言わず、そのまま政宗の頬を拭った手を前髪に伸ばし後ろへ流した。項に張り付いた後れ毛も整え、水に重くなった髪の毛を梳いてくる。
前髪をかき上げられて明瞭になった視界には小太郎の姿がよく見えた。小太郎の手を覆っている黒革の手甲は雨に晒されごわごわと触り心地が悪いが、甲斐甲斐しい仕草がくすぐったくて政宗は口元を緩めた。
「アンタの方が酷い有様だよ」
笑いながら、自分も両手を伸ばして小太郎の水気を払ってやる。鋼の部分に浮かんだ雫を拭い、水分を含んだ枯葉色の蓬髪を丁寧に梳かす。
お互い拒絶をしなかったものだから、しばらくそうやって時間を潰した。会話はない。
サアサアと雨が降って落ちる音、バタバタと若葉や枝が雨を弾く音、聞こえてくるのはだからそんなものだ。


思い出したように口を開いたのは政宗の方だった。


「お前、なんか喋ることあるんじゃねえの」

小太郎の胸に手を置いて呟いた。目の前の男から伝わってくる熱はじんわりとした暖かさで心地が良い。
僅かに目線を上げれば、こちらを見つめてくる顔と鉢合わせたが返事はなかった。彼が感情や思考を言葉で表すことを好まないことは政宗も知っている(理由は知らない)
「何でもいい。なんかあるだろ」
重ねれば、僅かに口角の上がる気配。
髪を弄る手を離したと思うと、小太郎は政宗を抱きしめた。ぎゅう、と音が聞こえそうな力に眩暈がして政宗は目を瞑る。
濡れた身体は未だ乾いておらず、張り付いた布地が生温くて気持ち悪い。それでも離れようとは思わなかった。雨に体力を奪われて疲れていたし、暖かいことに変わりはなかった。
視界を閉じた世界に、雨の音が一層大きく響いて聞こえる。

「寒い」
甘えるように顔を寄せると、濡れた髪に口付けを落とされる。無骨な男の仕草にしては髄分柔らかく優しい。
ひゅう、と政宗の耳の近くで聞こえた息を吸う音を一瞬聞き逃してしまった。





すきだ





(ああ、勿体ねえ)

大粒の雨は驟雨となって二人と世界を断絶し、一面灰色の世界を作っている。
伝わってくるのは、濃い緑と水、そして濡れた黒革の匂い。
サアサアと雨が降って落ちる音、バタバタと若葉や枝が雨を弾く音、聞こえてくる音はそんなものばかりで、一番大事なものは耳に届く前にどこかへ流されて消えてしまう。

ねだるtimingを間違えたと、政宗は雨が止むまで待てなかった自分に呆れるが、抱きしめてくる腕が暖かいからもうそれでいいような気もした。
小太郎は政宗を強く抱きしめたまま動く気配はない。


未だ雨は止まず、その勢いは増すばかりである。










ぬかるんだ世界
06.5/22