「豊臣が暗殺されたらしい」


不味そうな顔をして煙管を吹かす、その感情を押し潰した声に政宗の機嫌が悪いことが分かる。
小太郎が煙草の煙を嫌っていると知っているので、いつもならすぐに消してくれるのに。
政宗は左目を細めじろりと睨みつけたきり、一度もこちらを見ようとしない。
長く時間のかかった仕事を終え、ようやく足を運べたというのに残念なことだと小太郎は思った。
思うだけで、顔には出さない。小太郎は言葉を話さないので、政宗も黙ってしまえば場は恐ろしいほどに静かだった。
ちりちりと、灯心の明かりが揺れる音と火桶に放り込んだ炭が時折爆ぜる音。
政宗は、煙草盆をじっと見つめている。
「軍師の半兵衛に続いて、秀吉もだ」
「間が短すぎる。よほど身近に内通者がいたのか、それとも怖ろしく腕の良い刺客をやったか」
つられて視線を落としながら、小太郎はといえば煙管を弄ぶ政宗の指先なんて気にしている。
二人を殺したのが誰の仕業かなど、まるで興味がなかったからだ。
豊臣暗殺の件から未だ一月足らず、流石に伊達は情報が早いと感心するくらいである。暗殺とは殺された者の名が重要であって、殺した者の名など大した問題でない。


「くだらねえ」


カンッ、と煙管が煙草盆へ打ちつけられた。
政宗が持っているのは、総鉄でできた他よりも長く丈夫な特別製である。
静かな空間の中、まるで咎めるようにやけにその音は大きく響いた。
小太郎は是とも否とも答えない。
「ただ殺して、何になる。別の奴が取って代わるだけだ。TOP二人が消えたといえ、豊臣は兵も兵器も残っている。そいつらが東を狙わないと、なぜ断言できる」
低く、ゆったりと感情を抑えた声で政宗は何か言葉を続けている。多分怒っている。
不機嫌な声と表情を見れば、誰でもそう思うだろう。けれどその理由が分からないので、小太郎は黙りこむしか方法がない。
煙管に這わせている政宗の指先は、暗闇の中でも灯を浴び白くて温かそうだ。
久しぶりに会えたのだから早くその肌に触れたいと、いつの間にかそればかり考えている。

考えていたら、じろりと睨まれた。

「お前、俺の話聞いてないだろ」
「…………」
否定はできない。
政宗の言葉一つ一つ、そのどれもに興味がなかったものだから。
怒られると思っていたが、政宗はいつものように説教するでもなく、頭を小突くでもなく。ただ左目を意味深に細め嘆息しただけだった。
(理解されているのか、それとも諦められているのか)
「……そうだな、お前にとっては既に終わった話か」
ゆらゆらと、白い煙が煙管から立ち昇っては消えていく。
火桶の中では、炭が白化しながら赤々と断面を燃やしていた。





……山崎で起こった山火事は大規模で、一昼夜燃え続けたそうだ。
けれど燃え盛る炎も、そして崩れ落ちる人影も確かに小太郎にとっては終わった話だった。


覇王の首を刎ねたときの、目の前に迷い込んだ忍びの腹を切り裂いたときのあの感触も全て。





「豊臣秀吉が消えたといって、乱世はまだ終わっていない」
いまさら何を言おうと、別の可能性があったにせよ、豊臣秀吉と竹中半兵衛が死んだことは変えようのない事実であった。
そして、これからも小太郎は誰かを殺す。
暗殺という手段で、ただ雇い主の望むままに。
「なあ、どうなんだ、伝説の忍び」
ふう、と煙草の煙を吹きかけられて小太郎は兜の奥で顔を顰めた。
煙草は嫌いだ。臭いが残るし忍びが好むには贅沢過ぎる。
不快気な小太郎を睨みながら、政宗は口を歪めてにやりと笑った。面白いから笑っているわけではない。険しい目つきはそのままで、たったそれだけの動作に周囲の空気が冷える。
闇から寝首をかくのではなく、真正面から敵を叩き斬ることに意義と歓喜を覚える猛獣みたいな笑い方だった。


「邪魔になれば、お前は俺も殺すのかい」










「お前に俺を殺せるか、風魔小太郎」













殺せる殺せないの問題ではない。
依頼を受ければ殺すのだ。



政宗の喉笛を掴み、後頭部を勢い畳へ叩きつける。
躊躇いなく力を入れた小太郎の指が、政宗の骨を軋ませる。
ひとたび受ければ、それが天下人であろうとただの人でろうと小太郎には関係ないのだ。
確実に息の根を止め、目撃者を消し、後には何も残さない。

それが風魔小太郎という名の忍びの存在意義であり、誇りなのだから。

「が……っ!」
空気を求めた大きく開かれた口は、多分笑いたかったのだと思う。いつもの相手を皮肉った笑みを浮かべようとして、政宗は失敗した。正常な呼吸ができていないのだ。
不自然な呼吸と、咳き込む喉。構わず指を食い込ませる。
無感動に見下ろす小太郎と、見上げる政宗の視線が重なった。
苦痛にゆがませながらも、獲物の隙を窺うよう意味深に細めた隻眼。
どこまでも彼は「独眼竜」で、足掻くことをやめない。



(小太郎のために、彼はその表情を浮かべた)



畳に叩きつけた時に一瞬だけ浮かべた、あの政宗の表情。
今にも泣き出しそうな顔だった。
刃を向けられた憤りでも、死への恐怖でもない、痛みを堪えるようにきつく眉根を寄せて。
すぐに左目を怒らせ、その素顔は「独眼竜」に隠れてしまったけれど。
政宗は、多分、悲しんでくれた。
裏切りですらない、約束なんて最初からしていない。彼に捧げられるものなど何にも持っていないというのに。



自分のために、政宗は悲しそうな顔をしてくれたのだ。



「…………」
理由なんて、それで十分だった。
政宗の胸に頭を載せる。咳き込む体を抑え込み、耳を澄ませると小さく心臓が動く音が聞こえてくる。
政宗が生きている。
何故だか心が弾んだ。
今の小太郎に、政宗を殺す理由など一つもない。
政宗を殺す依頼を受けていないからだ。


だから、これからも受けない。





「……お前、訳がわからん」
ごす、と鈍い音が耳元で聞こえて星が飛んだ。
政宗の肘鉄が小太郎の側頭部に埋め込んだせいだ。
さすがに目眩がしたが、政宗はため息を一つ吐いただけで小太郎を押しのけようとはしなかった。疲れた顔でやる気なさげに赤橙色の髪の毛を引っ張る仕草が、まるで小太郎のことを赦してくれているようで嬉しかった。
強く抱きしめ、顔を埋めたまま目を閉じる。


(政宗は、優しい)



優しくしてくれる限り、政宗を殺すことはないだろうと思った。











悪魔が私を殺すまで

08.2/26

外伝後、出張から帰ってきた旦那さんの如く筆頭のもとへ走っていった小太郎を想像した人は挙手。
でも筆頭は安全に天下統一したいなら早めに伝説の忍を殺っちゃうか縁を切ることをお勧めします。