戦場の空は途中頃から幾重もの雲に覆われ、やがて土砂降りの雨となった。
雨で視界はぼやけるし、泥に躓いて足元も悪い。
悪天候のせいで一時は乱戦となったが、敵軍の不意をついた奇襲によって戦は伊達軍の有利に働いた。
敵大将に止めをさすこともできた。
泥試合となったことに、あとで小十郎から小言が来るかもしれないが、とにかく勝てたのだ。何も問題はない。



敵大将の首級を取ろうと、政宗は一歩踏み出したところで足がもつれ地面に転がる。
びしゃりと、泥の跳ねる音がする。
内心悪態をつきながら、右手に握りしめた刀を杖代わりに立ちあがった。
そして歩もうとして、よろめき、膝をつく。
がくりと力が抜けてそのまま泥の中に倒れこんだ。

「畜生」

悪態をつく声も小さい。
立ち上がれない。




問題は、政宗自身も死にかけているということだった。





未だ降り続く雨のせいですっかり体は冷えていたが、男に斬られた腹だけが熱い。
斬り合ってる最中は夢中で気付かなかったが、脇腹に触れれば予想外に深手のようだった。ほとんどは雨に流され、自分の目で見ることはできないが政宗の体は血みどろだ。
そのほとんどが今政宗の前に倒れている男の返り血だったが、骨も何本かやられているかもしれない。どくどくと体の外に流れていく血液だけが熱い。ああ、とにかく痛くて仕方がない。痛覚があるということは、まだ生きる見込みがあるということなんだろう。
けれどこの場に生者は政宗しかいなくて、戦の終わった戦場は痛いほどに静かで助けを求めることはしばらく無理そうだった。



死ぬだろうか、と政宗は考えた。



のろのろと視線を動かすと、すぐ近くで敵大将だった男が仰向けに倒れて死んでいる。
武勇誉れ高いと、近隣に名の知れた武将だった。
政宗が斬り伏せたが、政宗の従者はすべてこの男になぎ払われた。
もう死んでいるくせに、雨にぼやけた視界のせいでよく見えないが、死にかけの政宗を笑っているように見えて不快で仕方がない。
ちくしょう、と、もう一度政宗は口の中で悪態をついた。
声を出すのも辛いのだ。
死にたくないのに、死にかけている。



死んでたまるかと、政宗は腕を伸ばす。



雨が目に入って、もう何も見えない。
それでも刀を手放さず、何かを探して腕をさ迷わせた。




















ばさ。





近くで、雨音に紛れて何かが風を切る音がする。
誰かが傍に立っている。
誰かは知らないが、倒れている政宗に触れる仕草はどこか躊躇いがちで、そして優しかった。
億劫で仕方がなかったが、重い瞼をゆっくりと開く。


初めに見えたものは、黒。


降り続く雨から政宗を覆い隠すように、黒い羽が視界いっぱいに広がっている。
異国の民は、死ぬ時に羽の生えた天の御使いが迎えに来るらしい。
ならば、これもその類なのだろうか。
聞いた話では、羽の色は黒ではなく白だったはずなのだが、ここは日本なのだからそれくらいの違いは不思議でもないかもしれない。朦朧としている。
ただ、雨に濡れた体に、それはとても暖かかった。
もっと温もりが欲しくて、政宗は疲れきった腕をもう一度伸ばす。
触れたのは、黒篭手越しにでもわかる荒れた唇。女のそれではない。

戸惑いがちに、御使いの口が動く。
彼が名前を読んでくれたのが嬉しくて、この戦場の中から自分を見つけ出してくれたのが嬉しくて、政宗は笑った。



自分が何と返したかは、覚えていない。






























「目を覚まされましたか、政宗様」
「……あ?」
次に視界に映ったのは、古ぼけた民家の屋根だった。
首を動かせば、薄闇のなか目の前の囲炉裏が赤々と炎を燃やしている。
とにかく状況を把握しようと、身体を起こそうとした途端走った激痛に顔をしかめる。
「その体では、急には動けますまい。もうしばらく安静になされませ」
そ、と仕草だけは静かに、小十郎が政宗の体を布団に押し戻す。
見かけは冷静を保っているが、よくよく見れば怒っているのは政宗の目には明白だった。思い当たる節など、それほど山のようにあるので大人しくしていることにする。
「……戦はどうなった、小十郎」
「我らの勝ちでございます。ほとんど痛み分けではありますが」
じろ、と睨まれては戦勝報告より説教を覚悟した方がいいだろう。
勝ったならいいじゃないかとは、さすがの政宗も言わない。それくらいの分別は心得ている。
曰く、大将が勝手に独断行動をするな。
曰く、心配をかけさせるな。はぐれた時は生きた心地がしなかった。
一刻も早く政宗の体を休めるために、今は近くの百姓家を借りている。まったく、政宗が一人で先走ったりしなければこのような手間をせずに済んだものを云々以下略。

とにかく、ご無事でようございました。

そう言って頭を下げた小十郎の声が震えていたので、政宗は何も返せない。
くどくど切々と説かれる説教を大人しく聞いていたが、言葉が途切れた瞬間を狙って、ふと政宗は顔をあげた。
「……なあ、小十郎。俺は戦場で倒れてたんだろう。誰が俺を見つけたんだ」
「成実ですよ。可哀想に、貴方が死にそうだと半泣きでここまで担いできたんです。実際、見つかるのがあと少し遅れていればどうなっていたかおわかりですか」
「周りに人は」
「……誰もいなかったと聞いていますが」
だよなぁ……
納得したように頷いて、今度は額に手をやりながら考えこむ。


血を流しすぎて、意識が朦朧としていた時に見た黒い羽。
ならば、あれは幻だったんだろうか。
思い返してみれば、どう考えても現実味のない話だった。伊達軍以外の者が政宗を助ける道理もないし、大体、政宗は切支丹でも何でもないのだから天の御使いなどが来るはずもないのだ。
それも白ではなく黒い羽。
政宗を泥から引き揚げた腕は力強く、男の腕をしていた。
そして、そう、あの時はよく見えなかったが髪の色は赤かったと思う。赤い髪を長く伸ばして、髪で目を隠しているくせにまるで今にも泣きそうな顔で……



…………って。
なんで、俺は今わの際っつー時に何でアイツの顔を思い出していたんでしょうか。



「……っ!!」
ぼっ、と一気に顔が赤くなったのが自分でもわかる。
あまりにも鮮やかに染まったものだから、小十郎が不安そうな顔で身を乗り出してきた。
「いかがなされました?もしや、傷が」
「ちっ、違う!なんでもない!いや、違う、違うって何が、ああ、傷が、そう傷がな!ちょっと痛くてな!」
「……疲れているのでしょう。今、湯を持ってまいります」
何かを言いたげではあったが、席を立って小十郎が外へ出ていく。
政宗の意識が戻ったことを知った伊達の家臣達が、大挙して土間に傾れ込んでくるまで政宗はずっと両手で火照った顔を抑えていた。




















物見の歌声を聞けり

09.4/25

小太郎の第弐衣装を、烏天狗ではなくあえて天使だといいきってみる。
戦の矛盾点はさらっと流してください。お願い。