きっかけなどもう覚えていない。

元々忘れやすい性質であるし、興味もなかった。ただ、小太郎がいつからか時間を見つけては奥州に足を運んでいることだけが事実だ。
真暗な真夜中、他国の忍びが自分の城に這入りこんでも政宗は面白がるだけで何も言わない。
周囲の気配を探り、そっと下から床板を外して顔を見せた小太郎を政宗はにんまりと口の端を歪めて迎え入れる。
「なかなか元気そうじゃねえか、まあゆっくりしていけ」
城主としての自覚があるのかないのか。
街端でばったり出くわした時のように気さくで気負いのない台詞。
膝前には膳が一つ置かれており、膳の上に肴と酒器がそっけなく載っている。晩酌の途中だったのか、政宗は当然のようにもう一つ杯を取り出すと小太郎に手渡した。押し付ける、と言った方が正確かもしれない。受け取るだけでも大した進歩だ。小太郎に晩酌の供をさせるのはこれが初めてではないが、ここに至るまで随分と長い時間をかけさせたものだと政宗が笑う。
嬉しそうに、頬を緩めて笑う。



「お前が、俺の酒を飲んでくれるのが嬉しいんだよ」



初めの頃は、杯を受け取りも見向きもしなかった。
加えて相槌一つも満足に返さない自分を相手に、いったい何が楽しいのだろうと思う。当たり前のように突き出された盃に、小太郎は黙って酒をついでやる。
半分ほど注がれたところで、政宗は口をつけた。僅かに目線を落とし眉をひそめて飲む表情、次第に仰向くにつれ真白な喉が無防備にあらわとなる。小太郎の視線に気づいて、政宗は紅に染まった流し目でにぃと笑んだ。

酒の肴には事欠かなかった。

味の良し悪しなど小太郎にはわかりもしないが、ぽつりぽつりと政宗は取り留めもない話を続ける。本当にとりとめのない、単なる世間話ばかりだった。どこの花が見頃だの、誰それの女房の漬物が美味いだの、美味い米の炊き方に、柄は悪いが気の良い部下たちの自慢、心配性な右目へのささやかな愚痴。
酒を飲みながらの話だ、どうせすぐに互い忘れてしまうだろうに、話を聞かなければ怒る。どうやって気付くのか、小太郎が気を逸らすと途端政宗は左目を剣呑に光らせて、ちゃんと聞いているか無言の小太郎に問い詰め絡んでくるのだ。嘘でもやはり無言で頷けば、それで気が済んだらしくまた酒を飲む。そのまま沈黙が続くことも珍しくなかった。世間話の代わりに、自慢の舶来品を見せびらかされたこともある。絵札を使った遊びに付き合わされたこともある。
いったい何が楽しいのだろうと、つくづく思う。
彼は戦場で刀を振るうだけが能の人間ではない、学も、地位も才もある。彼の寵を得ようと周囲には多くの人が集まる。何も持たない小太郎を相手にするより、もっと有意義な時間の使い道があるだろうに。なのに政宗は毎回手を変え品を変え、小太郎を迎え入れる。
いつ来るとも知れない、たかが忍び一匹のために他愛のない話を集めて、晩酌の際にいつも杯を一つ多めに用意して。それで、彼は何を得るというのだろう。 問いたいことも伝えたいことも彼に対してならば無数に湧き出てくるようで、しかしいずれも取るに足らない些事に過ぎず。そもそもかける言葉すらないことに気付くのだ。
「おい、付いてるぞ」
不意にかけられた言葉に、前髪の奥から政宗を見返す。
とん、と指で口の端に触れる彼の仕草につられ、小太郎も己れの顔に手を伸ばしたが何もない。
「馬ァ鹿、逆だ」
政宗の長い指がすいと伸ばされ、小太郎の頬に触れる。
僅かに力が入り口元を拭われた。口を汚すとは、らしくもなく考え事をしていたせいだろうか。
黙って好きにさせていると、案の定らしくねえなと言いながら猫のように左目が悪戯っぽく細まる。暗闇の中でもよく見えるその瞳の光彩がはっきりと、表情がころころ変わるのをいつも不思議に思う。
不思議な話だ。
離れていく白い指を目で追いながら考える。

何故、彼はここまでして自分に構うのだろう。
何故、彼はここまで与えることに惜しみがない。



何故、自分は。


声を上げて政宗が笑う。
酒気を帯びて軽く弾んだ、からかい混じりの笑い声。

(自分はそれでも構わないのだと、何故)















「お前、本当に俺のこと好きだよな」















(ああ、そうか)





落とされた言葉は、意味を知れば本当にそれだけの言葉でしかなく。
分かりやすい答えはすんなりと胸に馴染んで解けていく。
さすが、学のある人間は違う。ずっと考えていたことをたった一言で解決してみせるとは。
感心しながら、離れていく政宗の手首をつかみ、引き寄せる。
無防備に、誰かに触れたり触れることを許しているのは目の前の人間だけだった。
どれほど多くの言葉で飾ろうにも、小太郎にはそれを告げることが出来ないのだけれど。



言葉の代わりになればいいと、左目を見開く彼に構わず掌に唇を押しつける。
冷たくて少しそっけない白い肌。触れれば仄かな温もりを与えてくれる政宗の肌を、小太郎は確かに愛しいと思っていたのだ。



拭うように、政宗の顔から笑みが消え去る。

今までの豊かな表情が全て嘘のような綺麗な能面、それでいて真っ直ぐな視線が小太郎を睨みつけて逸らさない。
それだけで人を射殺せそうなほど鋭く引き絞られた、凄味のある隻眼。何に怒っているのか、または何かの痛みを堪えているようにも見える。政宗の持つ表情は想像以上に多く、果てがない迷宮のように未だ小太郎は全てを把握することができていない。


「……俺は、お前のことが好きだよ」


長い沈黙の末に、ぽつりと言葉が落とされる。
ゆっくりと顔を俯かせ、露わになったうなじはひたすらに白かった。
痛みを堪えるように喰いしばった薄い唇。揺れた瞳が瞬き、震える声で、何度も何度もまるで言い聞かせるように。
泣いているのだと、ようやく気付く。

「本当だ」

「本当なんだ」


「俺は、お前のことが」


何を泣く必要があるのだろう。
お互い想い合っているのならそれで問題あるまいに。
愛しいと恋しいと囁く代わりに、泣き顔を隠す政宗の片手を取り払い、目尻や瞼を舐めてやる。
塩辛い味がした。
もし自分が原因で政宗が泣いているのなら、自分のために彼が泣いているのなら、それはとても幸せなことなのだろうと彼の人を腕の中に閉じ込める。

この気持ちに嘘はない。





この気持ちに嘘はないのだと、伝える言葉を持たないままに。










ほんとだよ

07.12/7

このときの筆頭の心情を選択せよ

1.簡単に人の話信じるなんてこの子頭大丈夫だろうか
2.小太郎からkissしてくれるなんて!マンモスうれP!
3.つーかこいつ絶対俺の言ってることわかってねーよ

すれ違い上等