奥州の冬は厳しく、空気は凍えているが午後の日差しは暖かかった。
身を切るように冷たい風も今日は穏やかで、明かり取りの障子から差し込む冬特有の弱く、そしてあたたかな光が部屋の中に舞う僅かな埃をきらきらと反射させている。
思わず眠気を誘ってしまうほど、柔らかくて気持ちの良い時間だった。
気持ちの良い午後であったが、しかしこれは少し不自然な光景じゃなかろうかと、政宗は眉間を指で押さえる。
傍らには精緻な細工が入った兜。
胡坐をかいている政宗の膝には赤橙色の頭が乗っている。
政宗の膝を枕代わりにして、小太郎がうたた寝しているのだ。といって、本当に眠っているかはわからない。長い前髪で顔は隠れているし、寝息の一つも漏らさないものだから眠っているのか死んでいるのかさえ疑わしくなってくる。例え目を瞑っていたとしても、本当に眠っているのかこの男に限っては分かったものじゃなかった。
赤橙色の頭に手を伸ばすと、反応したのかそれとも反射か、小太郎が一瞬ぴくりと動いたが、しかし政宗の意図に気づいてすぐに身体を弛緩させた。さくりと髪に手を入れてゆっくりと撫ぜると、小太郎はむずがるように頭を振ったが逃げ出しはしない。
大の男ふたりでする行為としては薄ら寒いことこの上ないのだが、あの小太郎が無防備になれるほど信用されている証明だと思えば悪い気はしなかった。緩みそうになる口元を意識して抑え、小太郎の頬をつつくとやんわりと指を取られる。空気に冷えてひんやりと冷たいが、芯は温かい。
暖かい午後だった。
ぱたぱたと、軽やかに縁側を歩く音がする。
小姓の一人だろう。中庭に面したこの部屋と縁側を区別する境界は障子一枚しかないものだから、その足音ははっきりと耳に届いた。
音は次第に近づいてくる。気負いのない足取りで、まっすぐ部屋の方へ近付いてくる。障子一枚を隔て、政宗と小太郎の隣を歩く。
穏やかに晴れた陽の光を浴びてできた彼の影は障子にくっきりと映り、薄暗い部屋からもよく見えた。
小太郎は視線を向けることもせず、政宗の指を弄るのに無心である。小太郎に指を貸してやりながら、ぼんやりと政宗は足音に耳を澄ましている。
ぱたぱたと、小姓は何事もなかったかのように二人の横を過ぎ、そして遠ざかっていった。
実際、何もなかったのだ。彼は中庭に面した客間の一室を横切ったに過ぎない。
ぱちり、ぱちりと中庭からは庭師が剪定をする音が聞こえている。障子の向こうで明るい女中たちの笑い声が弾けて消える。平和で、静かで、穏やかで、何でもない時間。時が止まったようですらあった。閉め切ったこの部屋だけが切り取ったように不自然なだけで。
ここには忍びが紛れる闇がない。
なのに、小太郎はここに居て政宗の膝でのんびり寛いでいる。
「お前って、結構図太いのな」
特別な人払いもしていないのに、こうして彼を甘やかしている自分も自分だが。どれだけ人の気配が近づいても小太郎が全く反応しないものだから、自分だけぴりぴりするのも馬鹿らしくなってやめてしまった。一人だけ驚いているなどプライドが許さない。
両手で小太郎の頬を挟み、どんな顔をしているのか確かめてやろうと覗きこむ。
赤橙色のすだれ越し、逆さまに視線が合わさると思った瞬間、不意に反動をつけて小太郎が跳ね起きた。
「筆頭!」
言葉と同時に、勢いよく障子が開かれた。顔を見せたのは家臣の一人だ。頭が切れるし、腕も立つ。気配にも敏い。
ただ相変わらず礼儀を知らない奴だと呆れながら、読んでいた書物から目を上げ部屋に入れた。
「おう、どうした」
「小十郎から書状が届いてるぜ」
「Thanx. 早ぇな」
手渡された書状を早速開き、中身を確認する。間違えるはずもない、見慣れた小十郎の文字であり、内容から察するにわざわざ手元から放した甲斐があったというものだ。
口元を綻ばせ、書状の内容について家臣と二、三会話を交わす。返事は自分で書くので祐筆はいらない。
ふと政宗が手にしていた書物に目がいき、男は不思議そうに首をかしげた。
何度も読み返したため、いい加減飽きが来ているとこぼしていた書物だった。
「ずっと一人でここに?」
「他に誰がいるってんだ」
何でもないように肩をすくめる。
言い訳代わりにはなるだろうと、その場にあったものを適当に拾っただけだから選んだ理由なんてなかった。
家臣が退出し、遠ざかっていく足音も消えた後、さてまだいるだろうかと何もない部屋をぐるりと見渡せば天井の羽目板が外された。先ほどは床板引っぺがして地面に潜ったはずなのだが、一体どこをどう渡って来たというのか。
見上げたまま苦笑を浮かべると、小太郎が音もなく天井から畳へ下りてくる。書状を気にしているようだが、さすがに見せてやるわけにはいかなかった。何も言わずとも、奥州の右目である小十郎が公務のため政宗の側を離れていることは既に知っている筈だ。なにせ公の仕事である。
小太郎は小十郎に嫌われていることを知っているから、それでなくとも小十郎の動きには敏感だろう。それは別に構わない。
構わないが、しかし。
政宗はもう一度天井を見上げる。随分とこの城の間取りを覚えられてしまったようだ。
おそらく城主である政宗より詳しいだろう。図面で知ってはいても、実際に自分の足で天井裏や縁の下なんて政宗は歩いたことがないし、それは家臣たちにも言えることである。伊達以外の人間が自分の城のことを知っているのは面白くない話だった。
それでなくとも、伊達は忍びが不得手なのだ。
奥羽の武将は皆猛々しく、正面から立ち向かうことを尊び忍びを用いることを好まない。畢竟、忍びについての知識はどうしても武田や上杉、そして北条に劣ってしまう。
侵入者用の仕掛けはこの城にも当然用意しているのだが、それらが役目を果たしているかどうかは眼前の男の存在が結果を物語っていた。
(……また警備を練り直さないといけねえな)
この男ならば、事もなく全てくぐり抜けてしまうだろうけれど。
「ああ、わかったわかった。付き合ってやるから足を触るな。くすぐったい」
なにせ久しぶりの逢瀬であるし、今日はあの鬼の小十郎もいない。甘えられる理由は十分にある。
赤橙色の髪を梳きあげて、意外と日焼けしていない首から耳を愛しげにくすぐってやれば、喉を晒した小太郎は気持ちよさそうに前髪の奥で目を細めた。
頬を擦りつける仕草はまるで獣のようだ。首筋に噛みつく犬歯は、痛みを感じずにむしろ刺激が心地良い。頭を抱えて政宗は目を閉じた。
まるで児戯のように甘ったるい生温い時間。
奥州の覇者、伊達政宗の首を狙える一番近い場所にいる他国の忍びは、今日も薄暗い日だまりの中でまどろんでいる。
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