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政宗は帽子屋の長男で、跡取り息子だ。
小さなころから帽子を売る店や帽子を作る作業場にちょくちょく顔を出していたおかげで、まだ19歳なのに店を訪れる色んな人と顔馴染みだし、彼女らに似合うとびきり素敵な帽子を作ることができる。
お金持ちの人と結婚したがっているしたたかな女の子にはつばが広くバラを飾ったクリーム色の帽子を勧めたし、縮れた緑色の羽がついた青緑色の麦わら帽子は何歳年を取っても若く見られたいと願う老婦人のために作ってあげた。どの女性も器用でセンスの良い政宗の腕を大層褒めてくれたものだ。おかげで政宗が本格的に作業場に入って以来、店は繁盛しっぱなしである。

政宗は女性を飾り立てる様々な帽子を作ってきたが、けれど自分を飾り立てることには全く興味がなかった。
それは政宗が男だということもあったし、何より子供の頃かかった病気のせいで爛れた右目が自分でも嫌いだったからだ。
白く濁った右目を中心に、政宗の顔の右半分は眉から頬のあたりまで赤く引き攣れている。右目の視力はもう失われていて、日の光に当てても目に痛いだけだから黒い眼帯を付けているのだが、これが恐ろしく陰気なのだ。
政宗が仕上げたどんな帽子を被ってもまったく似合わない。
ここ数日仕事に根を詰めすぎたせいで、目のふちを真っ赤に腫れらしていればなおさらだった。
「政宗さま、今日はもうこれくらいにされたらどうです」
「小十郎」
見かねた小十郎が、政宗を祭りに誘ってくれた。
小さいころから一緒に育ってきた兄のような存在で、小十郎も政宗を弟のようにかわいがってくれているのが嬉しかった。
政宗の父が死んでからは代わりにこの帽子屋を営んでいる。だから小十郎の方が見習いとして商売を覚えている途中の政宗より立場は上なのだが、彼は政宗に敬語を使うのをやめようとはしない。
政宗も、小さい頃からそれが当たり前なので慣れてしまった。
「Thanx、小十郎。これを仕上げたら俺も出かけるさ」
「……あまり無理をなされませんように」
今日は五月祭で、町では夜明けからお祭り騒ぎだ。
作業場の窓の外からはにぎやかな音楽や騒ぎ声がひっきりなしに聞こえてきて、とても楽しそうだ。
小十郎が生地屋と絹織物商と会うために出かけると、他の店員たちがそわそわと帰り支度を始めた。誰もかれもが祭りを心の底から楽しみにしている。
政宗はそんな彼らを好ましく思いながらも、少し離れて残りの帽子を仕上げていた。
自分を右目ごと疎ましく思っているので、人の多いにぎやかな場所は苦手なのだ。

「ねえ見て、小太郎の城が来てる!」

店員のはしゃいだ声に、政宗もつられて窓の外を見た。
町の外れで、鉄くずのガラクタが集まってできたような大きい塊が煙をあげて動いている。
小太郎の城だ。
「小太郎!?どこどこ!?」
「ほら、あんな近くに!」
「嫌ねえ」
「小太郎、町に来てるのかしら」
「……あっ、消えちゃった」
「隠れただけでしょう?軍隊がいっぱい来てるから」
「ねえ聞いた?南町の雪姫って子、小太郎に心臓取られちゃったんだってね」
「大丈夫、あんたは狙われないから!」
途端に弾ける、女性特有の華やかな笑い声。
悪名高い魔法使いである小太郎の趣味が、若く美しい女性をとらえてその魂を抜き取ることだというのはあまりにも有名だった。娘たちの心臓を食らってしまうのだという噂もある。
どちらにしても、あまり政宗に興味はなかったが。
政宗は男だし、とりたて美しくもないのである。

店員が全て出払うと、政宗も店に鍵をかけて外に出た。
久しぶりに亘理の店で働いている成実に会うためだ。

濃紺のシンプルな服のまま、通りへ一歩足を踏み出す。
笑ったり叫んだり、浮かれた人たちの騒がしいこと。頭上では花火が派手に爆発している。
ちょうど軍隊のパレードの真っ最中で、鳴り響くトランペットの音の大きさに政宗は思わず耳を塞いだ。
最近仕事が忙しくて閉じこもってばかりいたせいで、引きこもりの性格にさらに拍車がかかってしまったようだった。




















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「なんだと、この野郎!」
「ぶちのめしてやる!」
「うっせえ!テメエこそ沈みやがれこのカスが!」
政宗は引きこもりだが、同時に喧嘩っ早かった。
軍服をそれぞれ今流行り風に着崩した兵隊たちが我が者顔で往来を歩いていても、政宗は何も文句を言わない。
下品な言葉で街ゆく娘たちを誘っているのも五月祭の名物の一つだが、この祝うべき日にたった一人で裏路地を歩いている政宗の前に立ちふさがって道を塞ぎ、下卑た野次を飛ばすのはマナー違反だ。
売り言葉に買い言葉。
ついでにほろ酔い気分の兵隊から酒瓶を奪い頭に叩きつけると、ふざけていた周りの男たちが途端に殺気出す。
政宗一人に対し、相手は四人。しかも訓練された兵士たち。

むしろ望むところだ。

にい、と政宗は歯を剥き出しにして笑う。
最近閉じこもっていたせいで体がなまって仕方ない。
良いリハビリ代わりになるだろうと割れた酒瓶を投げ捨て、指を鳴らす。しかし、待ち望んでいた瞬間は来なかった。


パチン。
と軽い音が裏路地に響いた瞬間、飛びかかろうとしていた男たちの動きが硬直してしまったからだ。


ふわ、と涼やかな花の香りが政宗の鼻をくすぐる。
振り向くと、いつからそこにいたのだろう。一人の男が立っていた。
政宗よりもわずかに背が高く、黒と白の色を使った服を着ている。
彼が右手を上にあげると、揃って男たちは直立不動の姿勢をとった。
政宗は唖然とするが、男たちも訳がわからなかったらしく戸惑いと恐れの声を上げている。どうやら動けないらしい。
彼が構わずに幅の広い袖をふわりと動かして横に払うと、そのまま政宗達の横を通り過ぎてきびきびとした足取りで向こうへ行進して行ってしまった。
「…………なんなんだ、アンタ」
見上げると、彼が耳につけている青磁色のピアスがきらりと光って政宗は目を細める。
前髪を長く伸ばしているので彼の目を見ることはできなかったが、口元が穏やかに微笑んでいた。とても、ついさっき不思議な技を使って男たちを退散させた怪しい人間とは思えない。
前髪をあげれば、政宗と違いさぞかし好青年として女性の人気者になるだろうに。
思わずキッと睨みあげると、彼は困ったように肩をすくめた。
「余計な真似をしてしまったかな、若いの」
カラカラに枯れてしわがれた老人の声。
とても目の前の若者の声とは思えない。
声を発したのは、彼がどこからかひょいと取り出した人形だった。
ぱくぱくかくかくと口や体をコミカルに動かすその年老いた人形は、とても人形と思えないほど人間臭い。
…………大道芸人の類だろうか。
おかげで気が抜けてしまった。
「……いや、一応礼は言っとく。Thank you」
「どちらまで?ワシも途中まで一緒に構わんかな?」
「そこまでされる義理はねえよ」
断ると、人形が意味ありげに目配せをして政宗の耳元で囁いた。
無駄なところまで芸が細かい。
「……追われておるんじゃ、この老骨を哀れと思って助けてくれんかのう」
「……誰が老骨だよ」
人形でなく、それを動かす人間を政宗は睨みつける。
自分でも目つきが悪いと思っているその眼光にも、彼はにこりと小首を傾げただけだった。
ふ、と政宗と若者の顔が近付く。
人差し指を口元に押し当てて、しい、と小さく息を吐く。
漂う甘い花の香り。
穏やかで優しい笑みを浮かべていたと思う。孫を愛しむような翁の声。

「知らん顔をして。歩いて」










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「……おい、何なんだよ、アレは!」
男に腕を強く掴まれ、引きずられないように政宗も走る。
後ろを振り返れば、見たこともない物体が二人を追いかけているのが目に入った。
何故か帽子を被っているそれは、黒くてグニャグニャとして狭い裏路地を埋め尽くし、ひしめきあいながら二人を追ってくる。
それが何なのか政宗には全く分からないが、危険な存在だということは痛いほどに分かった。
角を曲がり、塀を越え、必死でそれらをやり過ごす。
しかし、それらは分厚くできているはずの壁をすり抜けて政宗達の前を塞いでしまった。退路はない。
「追い詰められ……!」
追い詰められる寸前、ぐ、と男に引き寄せられた。
政宗が文句をいう暇もない。バネのように男の足が曲がり、引き伸ばされる。





そして、跳ねた。



















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客の求めるままに棚から商品を取り出し、袋に詰め、一言二言添えながら渡す。その都度上がる明るい笑い声。
従兄弟の政宗と違って、人と接することは成実にとって全く苦ではなかった。
奥から出てきた店員の一人から耳打ちをされて、成実は一瞬ぎょっと目を見開く。
手にしていた袋の口を鮮やかにひねって客に押し付けるように渡すと、そのままカウンターを飛び出した。
「政宗!久し振り!」
店の階段を上り、窓辺に立っていた政宗に文字通り飛びつく。
「よお、成実」
「聞いたぜ、ベランダから降りて来たって!とうとう鳥になったか?」
「んな訳ねえだろ」
親しいものにしか見せない、優しい笑い方だ。
しかし、今の政宗はいつもとちがってどこかぼんやりとしている。まるで夢でも見ているような頼りなさだ。
成実は眉根を寄せて、僅かに年上の従兄弟をまじまじと見つめる。
店の奥まで引っ張り込んで、丸椅子を二脚用意すると二人で座った。ケーキの詰まった木箱が積み重ねられた中に、ちょっとした空間ができているのだ。そこで路地裏で起こった一部始終を聞くと、盛大に宙を仰ぐ。
「それさあ、どっからどう見ても魔法使いじゃねえの」
「……だよなあ」
「だよなあ、じゃねえよ!その魔法使いが小太郎だったら、今頃政宗は心臓を食べられてたんだぞ!」
「あのなあ成実、俺は男だぜ?」
どこまでも心配性な従兄弟だと思いながら、政宗は噛み砕くようにゆっくりと諭す。
自嘲するでもなく、肩を竦めて笑って見せた。
「それに、美人でもないしな」
「またそういう!」
どこまでも自分を低く見る政宗の考え方が、成実は大嫌いだった。
思わず椅子から立ち上がり、びしっと政宗を指さし睨みつける。
「あのなあ、世の中物騒なんだよ!荒地の魔法使いまでうろついてるって噂なんだ!ちったぁ自分の身を心配しろ!」
「へいへい」
「ったく……」
政宗は全く応えない。額に手をやって、絶望的に空を仰ぐ。
「……なあ政宗、本当に一生あの店にいるつもりなのか?」
「親父が大事にしてた店だし……それに、俺、長男だしな」
「そんなん関係ねえだろ!俺が言いたいのは!本当に、帽子屋になりたいのかってことだよ」
即答することはできなかった。
帽子や服を作ることは得意だし好きだったが、一生帽子屋でいいとまでは言えなかったからだ。
けれど、帽子屋よりずっと楽しいことをしたいと思っても今の政宗には他にやりたいことがない。
政宗は父親が大好きだったし、父親の店を継ぐものだと最初から諦めていた。小十郎もそれを望んでいる。他の道なんて考えたこともなかったのだ。どうしてあの店を離れることができよう。
成実が心から政宗を心配してくれているのは分かっている。

「頼むから、もっと自分を大切にしてくれ」

わかるだけに心が苦しい。



















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「君は、自分が長男だということを随分免罪符にしているみたいだけど」

閉店時間はとっくに過ぎ、戸じまりの鍵もかけたというのにその客は政宗の前に現れた。
白テンの肩かけを優雅に纏い、純白に紫の線が入った衣装をすらりと着こなした綺麗な青年だ。
紫色の仮面越しに、彼は政宗を笑う。嘲りの笑みに。
「安っぽい店に、安っぽい帽子。君もずいぶんと安っぽい人間みたいだねえ?」
「……生憎だが、ここはしがない下町の帽子屋でね。アンタが気に入るような代物はここにはねえよ」
『かっとなれば客を失う』
商売の常識だが、今の政宗にそんなこと関係なかった。成実との会話ですっかり疲れていたのだ。
客の横を通り過ぎ、勢いよく入口の扉を開く。せいぜい慇懃無礼に政宗は銀髪の青年にお辞儀をしてみせる。
「どうぞお引き取り下さいませ、お客様?」
「……ふふ、君は本当にいい度胸をしているよ。荒地の魔法使いに張り合おうなんて」
「……荒れ地の?」
言葉の意味に気付いた時にはもう遅い。
とっさに逃げようにも、入り口はあの帽子を被った黒いゴム人間が塞いでいて通れない。
店内を吹き荒れる黒い嵐に、思わず政宗は顔を腕で防いだ。
「その呪いは人には話せないからね」
顔をあげたときには、既に荒地の魔法使いは入り口に立っている。
にこりと目を細め、親しみと嘲りを含んだ声を残して彼は去って行った。


「小太郎によろしく」


荒地の魔法使いが立ち去ったとき、重く鳴り響く扉のベルはまるで葬式の鐘のようだった。




















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「何で女!?」

鏡を前にして政宗はとりあえず叫んだ。
その声は自分が記憶しているよりずっと高く、細い。
胸に手を伸ばしてとりあえず揉んでみた。

柔らかかった。
そして間違うことなく本物だった。




















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「政宗様、政宗様!」
いつもならとっくに作業場で仕事をしている時間というのに、今日は顔も見せていない。
これはおかしい、と小十郎は首をひねった。
「おい、政宗様はどうした」
「今日は、まだ部屋から出てないみたいですよ」
風邪でも引いたのだろうか?階段を上り、政宗の部屋の扉を叩くが反応はない。
人の気配もない。
扉には鍵がかかっていなかった。
湧き上がる不安に精神を尖らせながら、小十郎はゆっくりと扉を開く。
部屋には誰もいなかった。小さな机の上に一枚書置きがあるだけだ。


『旅に出ます。探さないでください』


小十郎は三回繰り返して読んでじっくり内容を把握すると、卒倒した。