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政宗は必要最低限の荷物を用意すると、朝一番で帽子屋を抜け出ていた。
そりゃあ勿論お別れを言った方がいいかなとは思ったのだが、今の自分を見て小十郎が政宗だとわからなかったから嫌なので止めてしまったのだ。
どこかに落ち着いてから連絡をすればいい。しかし、どこに落ち着けばいいのか。
荒地の魔法使いが残したキーワードを思い出して、政宗は溜息を吐く。たどり着いたとしても、すぐに心臓を取り出されてしまいそうだ。といっても、政宗は女になっても右目が醜いままだったから、彼は興味も持たないかもしれないけれど。
町を出て畑を通り、橋を渡り、その先に続く草原、丘の頂を目指して政宗は歩く。
いつもなら何でもないはずの行程も、女になって歩幅が小さくなり体力が落ちてしまってはなかなか辛いものがあった。
土手に座ってパンとチーズを食べながら、眼下の光景を見降ろす。
予定よりまだ半分も来ていない。
さて、どうしたものか。
考えながら周りを見渡していると、生垣にちょうど良い棒きれが突っ立っているのを見つけた。
杖代わりに使えそうだと、棒きれを掴んだ自分の華奢な手に改めて目眩がする。かぶりを振って勢いよく引っこ抜くと、それは古ぼけた案山子の足だった。頭は萎びたカブでできていて、生意気にも羽飾りをあしらっている。
それだけならどこにでもよくある案山子なのだが、政宗が手を放しても直立に立ったままというのが不思議なところだ。
「また、これも魔法の一種なんじゃねえだろうな」
じりじりと距離をとり、睨みつけるが案山子は動かない。当り前なのだが、ゆらゆらと無表情に見下ろすカブの顔が何とも不気味だ。
しばらく案山子と睨みあいをしていたのだが、いつまでたっても埒が明かないので飽きてしまった。
「……逆さになってるよりマシだろ。じゃあな」
やる気なさ気に手を振って別れる。
それで話は済んだはずなのだが、政宗のあとをトン、トンと一本足で案山子が追いかけてくるのには参ってしまった。
「テメエにゃ用はないんだよ!どっか好きな所に立ってろ!」
怒鳴ると一瞬動きが止まるが、またすぐにトントンと政宗を追いかけてくるのだ。
掛ける言葉を間違えたのかもしれない。




















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恩返しの一種だろうか、案山子が動く山を連れて来た。
鉄くずのガラクタが集まってできたような奇妙な塊だ。この場でバラバラにならないのが不思議なほど無茶な組み立て方をしているが、しかしそれには扉がある。手すりがある。案山子と別れ、走って追いつくと階段を駆け上って政宗は小太郎の城に入った。
城の中は、いかにも魔法使いの住まいらしく不思議な道具であふれている。梁には数珠つなぎにしたタマネギや薬草が束ねて吊るしてあるし、棚には異国語で書かれている異国の本や曲りくねった口をした瓶、いかにも本物らしい古びた頭蓋骨まで並んでいる。そのどれもが乱雑に散らかって埃を被り、クモの巣を巡らせているのでこの家の主は掃除に無頓着のようだ。
魔法使いの家なんて初めて見たから興味はあったが、それより疲れてしまった。朝からずっと歩き通しだったのだ。
暖炉の前にある椅子に腰を下ろし、政宗はふうと安堵のため息をつく。
椅子の背中に体重を預けて揺らめく暖炉の炎を見ていると、ぼんやり眠くなってくる。まるで炎に顔が付いているような錯覚まで見えてきた。
オレンジ色の小さな炎の中に、小さくキラッと光る目玉が見えるのだ。

「……こんがらがった呪いだね」

だからそのオレンジ色の炎が口をぱっくりと開けて、話しかけてきたときは驚いた。
火が喋った。
夢見心地だった政宗は一瞬で目を覚まし、まじまじと見つめる。
パチパチという薪の燃える音と一緒に、どこか飄々とした声音で炎は続けた。
「オマケに人には喋れなくしてある。かけたのは荒地の魔法使いかい?」
「……お前が小太郎か?」
「違うね。俺様は火の悪魔、佐助様さ!」
名乗ると同時、ぼう、と得意げに炎が強く上がった。
悪魔なんて存在、昨日までの政宗なら鼻で笑うだけで全く信じようとしなかったに違いない。けれど実際目の前では炎が喋っているし、本物の魔法使いや一人で動く案山子に出会ってしまった。今更悪魔が出て来たって、もう政宗は驚かなかった。
それに、本物の悪魔なら魔法使いの呪いを解くことなんて簡単そうだ。
「なあ佐助、お前なら俺に掛けられた呪いを解けるのか?」
「お安い御用さぁ。アンタが俺様をここに縛り付けている呪いを解いてくれれば、すぐ、アンタの呪いを解いてやるよ」
「HA!悪魔と取引をしろってわけかい。だが、テメエは人間との約束を守れるのかね?」
「悪魔は約束をしない」
「……なら、他を当るんだな」
「ちょっと待ってくれよ!俺様ほど可哀そうな悪魔もいないんだって!」
哀れっぽい声を出して、佐助は政宗を引き留めた。悲しげに炎をちらつかせるが、政宗はどうもこの悪魔が最初に見せた小ずるそうな顔が気に入らないので油断できない。
「契約に縛られて、もう何年もここで小太郎にこき使われてるんだよ!この城だって、俺様が動かしてるんだぜ!」
「アンタだって、この契約で何か得をしてるんだろ」
「……そりゃあね。そうでなきゃ取引なんてしないし」
渋々、といった態で悪魔は肯定した。体があったら、頷いたり肩を竦めていたりしたかもしれない。
「でもさ、こんな事になるってわかってたらしなかったよ。長い目で見たら、この契約は俺にも小太郎にもためにならないんだ」
「……ふぅん」
「アンタもさ、その恰好でこの城にやってくるくらいだ。早く呪いが解けてほしいんだろ?」
小太郎が若い娘の心臓を食べてしまうという噂は政宗も聞いている。
その恰好、と言われて政宗は政宗は嫌そうに自分の手を見た。
昨日の自分よりずっと小さくて細い手だ。体つきも全体的に細く華奢になっているし、声も高い。まるで女のような、と言いたいところだが今の政宗は本物の女なのだ。性別が変わっても、右目の痕だけが変わらないのが余計に苛立たしいことだった。
「俺様と小太郎の契約の秘密を見破ってくれたら、呪いは解けるんだ。そしたら、アンタの呪いも解いてやるよ」
にやにやと口を歪めて佐助が笑っている。
「……だが、俺がお前らの呪いを解くにはここにとどまる必要がある」
「口実くらいなんとでもなるよ。なんせ小太郎の奴は自分のことばっか一生懸命で、ろくに周りを見ていないんだ。他のことには頭も回らないのさ。俺とアンタの二人で騙すくらいワケないって」
と、ここで口をつぐんで佐助は政宗を見上げる。
ちら、と何かを期待する目でそっと打ち明けた。
「アンタがここに残ってくれれば、だけど」
……他に方法はなさそうだと、政宗は溜息をついた。
「Okey、取引成立だ」

ぼう、と悪魔は嬉しそうに炎を燃やした。




















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「港町!」

すぐ近くで聞こえた男の声に、政宗は目を覚ました。いつの間にか眠っていたらしい。
もしかしたら、今までのことは全て夢だったんじゃないだろうか。期待しながら体を起こすが、目の前には灰だらけの暖炉がある。自分の身体は女のままだ。
全く、なんで自分がこんな目に合わなければいけないのか!
「ずかずかと店に入ってきたと思ったら、言いたいことだけ言い捨てした挙句人に呪いをかけやがって!絶対思い知らせてやる」
どん、と腹いせに暖炉を蹴ると薪の間から小さく炎が上がって佐助が顔を出した。
「おはようさん、約束は忘れてないだろうね?」
「わーってるよ!」
悪態をつきながらも、それが小声なのは近くで他の人間の声がするからだ。
政宗が入ってきた扉の方から、誰かが会話しているらしい声が聞こえる。
「国王陛下からの招請状です。いよいよ戦争ですぞ!」
「魔法使いもまじない師も、魔女ですら皆国家に協力するようにとの思し召しです」
「必ず宮殿へ参上されますよう」
「必ず、必ず出頭するように!」
「……嫌だねえ、戦争なんて」
ぱたんと扉を閉じる音が聞こえると、一人の少女が顔を出した。
銀色の髪の毛を左右に編んだまだ幼い女の子で、魔法使いの家にはあまり似合っていない。
まじまじと政宗の顔を見つめると、右目を隠す眼帯にちょっと怯む。本当に普通の女の子だった。
「誰だべ、お前さん」
「政宗ってんだ。荒地で佐助が入れたんだよ」
「荒地から?まさか魔女じゃないだろうべな」
「魔女なら入れるもんかい」
「へえー、そんならお客さんか?」
「NO、ちょっと違う」
「そうそう違うんだよ、ほら何だっけ、ねえ?」
「ねえ?ってなんだ、ねえってこの野郎」
「なんだべ、二人とも?」
「…………あー、掃除婦とか、かな?」
口実を考える前に寝てしまったせいだ。
佐助と意味もなく目配せあいながら、必死でこの城に留まる口実を考える。
歯切れ悪く返す政宗を少女は不思議そうに首をかしげて見ていたが、彼女は細かいことを気にしない性格のようだった。
もしかしたら、汚れきった城内を彼女も気にしていたのかもしれない。なにせ床石は汚れて油だらけだし、暖炉は灰の山なのだ。
にこっと、ひまわりの花が咲くように明るい笑顔を浮かべて政宗を見上げた。

「おらはいつきってんだ。よろしくな」










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政宗が転がり込んだ家は一見ただのボロ屋だったが、確かに魔法使いの家だった。
扉についている取っ手を動かし、4色の色を選ぶことでそれぞれの場所に行くことができるのだ。
呼び鈴が鳴らされるたび、佐助が場所を教えていつきが色を選び扉を開く。
青は港町、赤は王都、緑は荒れ地。
もう一つの黒い色が運ぶ場所はわからない。小太郎しか知らないのだという。
「朝ごはんにしねえべか?パンとチーズしかねえけど」
「って、おいおい、こっちにはベーコンがあるじゃねえか。卵もこんなに」
「小太郎がいないと、火は使えねえんだ」
「ふぅん?」
政宗は壁にかかっていたフライパンを取ると、上にベーコンをどさっとのせて暖炉の前まで運ぶ。
暖炉には一年中燃えていそうな火の悪魔がいるのだ。
「無理だべ。佐助は小太郎のいうことしか聞かねえ」
「その通り!料理なんかやんないよ」
「頭を下げな、佐助」
佐助の言葉を無視して、頭にフライパンをのせる。
佐助がそれを拒絶するので自然押し付けるような形となり、ぎりぎりと力の押し合いになった。
「俺は、誰の、指図もっ!受けないね!」
「言うこときかないと、水をかけちまうぜぇ?そ、れ、と、も……」
体重を乗せて佐助を押しつぶそうとしながら、政宗はにやりと笑う。
口の端を吊り上げ左目を細めた政宗の顔は、女になってもそこらの悪魔より凶悪だ。
「取引のことを小太郎にばらしてやろうか?」
「……チェッ、チェッ!こんな跳ねっ返りいれるんじゃなかった!」
「さあ、どうする!?」
もう一度叩きつけると、ぶわっとオレンジ色の炎が燃えて輪になった。
それきり佐助は大人しくフライパンをのせているので、政宗は上機嫌でベーコンを炒め始める。
「そう、いい子だ……」
「ベーコンなんか焦げちまえ」
「馬鹿じゃねえんだから、卵割るまでじっとしてろよ」
じゅうじゅうと気持ちのいい音を立ててベーコンが焼けていく。
随分と久しぶりの匂いにお腹を空かせながら、いつきは茫然と呟いた。
「佐助が言うことを聞いた……」
「飲み物が欲しいな。おい、ポットはあるか?」
「うん!」
「どーせ、それも俺様に温めさせるつもりなんだろ……」










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きりきりと独りでに取っ手が動いて、黒い面を指した。
扉が開いて一人の男が現れたが、政宗はベーコンが焼ける音に気を取られていて気がつかなかった。
「あ、小太郎。おかえり」
いつきの声にぎょっとして振り向くと、黒と白の服を着ている男が目に入る。
すっと背の伸びた若者で、目の色は前髪で隠しているために分からないが。
見間違えるはずもない。五月祭で出会ったあの変わった男だ。
政宗を見て不思議そうに首をかしげ、何か言いたげに口が開くが彼は相変わらず言葉を発しようとはしない。
コツリ、コツリと音をたてて家に入ると、暖炉に近付いて政宗の隣から佐助を覗きこむ。
ベーコンの匂いに混じって、小太郎からは涼やかな花の香りがしている。
「小太郎!コイツが俺様をいじめるんだよ!」
哀れっぽく訴える佐助の言葉に、小太郎がふいと政宗を振り向いた。
前髪で目を隠しているくせに、政宗は彼から目を外すことができない。覗きこめばそのすだれ越しに目の色くらいわかりそうなものなのに、何故かこれ以上踏み込むことが恐ろしいことに思えてならなかった。

魔法使いの小太郎は若い娘の魂を抜き取ってしまう。

そんな噂を思い出して、政宗は小太郎をきっと見返す。真実はどうであれ、悪魔が見破ってくれたとして、今の政宗はれっきとした女だからだ。
「……俺から心臓を取ろうったって、無駄だぜ」
「その人、小太郎が雇っただか?政宗は新しい掃除婦って言ってたべ」
まさむね。
小太郎の唇が動いて、ゆっくりとその名前をなぞった。
吐息だけのそれは小さく、言葉ですらなかったが、どこか愛しむような呼び方が知らず政宗の胸を打つ。
す、と小太郎の手が政宗の頬に伸びても、だから政宗は一瞬反応するのが遅れてしまった。
「……っ!テメエ、何を!」
「あー、それ俺様も気になってたわ」
気色ばむ政宗に対して、佐助の声はのんびりとしたものだ。
佐助に文句を言うか小太郎の手をはねのけるか、歯ぎしりしている内に小太郎の手は政宗の腰まで下がる。ざわざわと鳥肌が立って気持ちが悪い。

腰のポケットに手が届いた途端、ばちっ!と何か静電気のような音がした。

小太郎が政宗を押しのけ、距離をとる。政宗は非難の声を上げようとしたが、彼の手が燃えていることに気づいて言葉を失った。
正確には、小太郎が手にしている赤い紙が燃えているのだ。政宗のポケットから取り出した赤い紙。紙はひらひらと宙をさまよい、床に落ちると紫の炎を出して燃え尽きる。
後には一つの複雑な紋様が残った。
「焼きついた!?小太郎、これ……」
「とても古い魔法だね。しかもとびきり強力だ」
「荒地の魔法使いだか?」
「他にいないよ」
暖炉からギリギリまで身を乗り出して、佐助が答える。
小太郎は床に片膝をつくと、ゆっくりその紋様に手をかざした。
ぼう、と紫色の炎が紋様を走る。
構わずに、小太郎は右手でそれを覆う。時間をかけて、荒地の魔法使いの魔力を払拭していく。
魔力と魔力が衝突する余波のせいで、風も吹いていないのに小太郎の髪が舞い上がった。
にい、と小太郎の口が楽しげに歪む。
次の瞬間、右手で拭きとった床にあった焼け焦げた文様は嘘のように奇麗に消え去っていた。
「すごい!消えた!」
「……焼け焦げはね」
いつきの感心した声と、佐助のどこか物憂げな声。
どちらにも構わずに小太郎は立ち上がると、左手で佐助の上に乗っていたままのフライパンからベーコンを一枚口に放り込む。
一回だけ政宗の顔を見ると、あとはもう全ての興味を失ったように無表情で階段を上って二階へ上って行ってしまった。
茫然とそれを見送っていたが、いつきが怪しそうに目を細めて政宗を振り返る。
「政宗って、実は荒地の魔法使いの手下?」
「んな訳ねえだろ!俺こそアイツの……!」
続きの声は、どれだけ言葉にしようとしても声に出ない。
荒地の魔法使いの呪いのせいで、相手に気付かれない限り自分から呪いのことは話せないのだ。
つい最近まで、自分は正真正銘の男だったとは口が裂けても言うことができない。荒地の魔法使いや火の悪魔、全てが謎だらけの魔法使い小太郎と関わりたくもないのに縁を結ばなければならなくなった。
「魔法使いのくそったれ!絶対ぶちのめしてやる!」
ぎりぎりと歯ぎしりをして、政宗は苛立ち紛れに戸棚を蹴っ飛ばした。
戸棚から床から盛大に埃がもうもうと舞いあがり、二人で盛大にくしゃみをする。
薪の奥に引っ込んで埃から逃げた佐助は、ふう、とわざとらしくため息を吐いた。

「全く、大した呪いを持ち込んでくれたよ」




















汝 流れ星を捕えし者 心なき男 お前の心臓は私のものだ