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――――― 「どいつもこいつも人を馬鹿にしやがって!!」 怒りを全部掃除にぶちまけて、親の仇のように政宗は徹底的に城の中の掃除をした。 箒で掃きだし、虫を追い出して水で洗い流す。埃がもうもうと舞いあがって外に流れていく。魔法使いの家に何があったのだろうと、港町や王都の人たちはびっくりするかもしれない。外で虫干しをしているいつきは彼らへの説明に手いっぱいだ。 「政宗ー、あの、政宗さーん……俺様、消えちゃいそうなんですけどー」 暖炉の隅で小さく炎を燃やしている佐助が、遠慮がちに話しかけてきた。 政宗が火箸を持って近寄ると、もう少ししか残っていない薪の下から頼みこんでくる。 「薪をくれなきゃ死んじゃいます」 「ん。待ってろ」 と言いながら、政宗が次にとった行動は佐助ごと薪を暖炉から取り上げるというものだ。 壺に入れられた際、危うく薪から落ちそうになって佐助は叫んだ。 「あ、いやっ、やめて!何するの!」 「灰をかくんだよ。煤を飛び散らしたりしたらぶっ殺すからな」 「落ちる!マジ落ちる!危なーい!危ないって、本当、あ、やばい、消える、やばいヤバイやばい、落ちる、あ、落ちる、俺様消えちゃうから……お願い早くしてぇ!」 「情けない声を出すなよ……お前、悪魔だろうが」 新しい薪を数本、時間をかけたおかげですっかり綺麗になった暖炉の上に置いて佐助を元の場所に戻してやりながら政宗は苦笑した。 しかし、佐助にとっては死活問題なのだ。ごうごうと燃え盛り、恨めしげに睨みつけてくる。 「アンタ、俺を殺す気か!?いつになったら俺達の呪いを破ってくれるのさ!」 「とはいってもなあ、どうすれば解けるのかお前は全然教えてくれないじゃないか」 「無理だよ。呪いの一部で、それがどんな呪いなのかは誰にも話せないんだ」 「意味ねー」 「……まあ、頑張って推理してください」 これでも掃除の途中、何か呪いを解く手掛かりになるものはないかと探したりしたのだ。けれどそれらしい手掛かりなんてどこにもない。情報を聞き出そうにも小太郎はいつも外出してばかりだし、部屋を我が者顔にひっくり返している政宗を見ても何にも言ってこないのだ。感情があるのかすら怪しくなってくる。 そういえば一度だけ小太郎が魔法を使っているのを見た。といってもそれは小太郎が中庭の泥の中に膝をついて、何か絡まり合った油まみれの金属のガラクタを組み立てているというという、とても魔法使いとは思えない場面だった。魂を取られないようにと気負っていただけに、政宗はすっかり拍子抜けしてしまったものだ。 いつきが言うに、そのガラクタは船の航海に便利な何か大層な魔法の道具らしかったが、彼に泥だらけのブーツで磨いたばかりの床を歩かれる方が政宗には大問題だった。 「つーかさ。俺に何にも言ってこないけど、小太郎は俺をここに置くのを許可してるのか?」 「いんじゃない?つーかさ、アイツははっきりしたことなんて一度も言ったことがないよ」 ――――― 綺麗に晴れ渡ったうららかな午後。 政宗は佐助に頼んで動く城を草原の水辺に止めてもらうと、城中の洗濯物を干していく。 青い空の下、はためく純白の洗濯物は見ているだけで気持ちがいい。 洗濯物を吊るす紐を巻きつけ、一本足でそこかしこを跳ねまわっているのはカブ頭の案山子だ。 あれでお別れだと思っていたのだが、結局ここまで付いてきてしまった。 「洗濯物が気に入ったみたいだべな」 「おかげで、早く乾くだろう」 湖のほとりにテーブルと椅子を置いて、政宗といつきは午後のティータイムをしている。 灰色やピンク色のパステルカラー、赤や緑の様々な原色でできたへどろやぬるぬる。流しにたまったそれらを掃除するのに昨日丸一日かかった。 おかげで台所はすっかり綺麗になり、遅めの昼食もとびきり美味しい紅茶も淹れることができたのだ。 皮肉なものだと思う。 人と関わりたくないから、一人でも生きていけるよう手に職だけでなく家事も身につけた。 掃除洗濯料理に裁縫、おかげで、小太郎の城に住む口実を作ることができたようなものだ。女として違和感なく日々の生活を送ることもできている。 「政宗のようなお姉さんができて、おら嬉しいだ!」 いつきに満面の笑顔でそう言われた時、政宗は泣きたくなった。 実は男じゃないのか、と一度も疑われたことがないのが悲しいのだ。 一人前の男として、帽子屋のあとを継ぐ長男として政宗は生きてきたつもりだったのに。 自分が男だと知った時のいつきの反応が恐ろしい。 「なあ政宗。カブって、悪魔の一族かもしれねえだな。佐助が怒らんもの」 「実は死神だったりしてな」 「死神?」 「冗談だよ。ほら、食え」 きょとん、と首を傾げるいつきに政宗は薄く微笑んでハムを勧める。 いっそ死神が来た方が幸せだろうと、自分が女にされたと知ったとき政宗は考えたものだ。 今はこうして綺麗な湖のほとりでのんびりと寛ぐことができている。片隅のどこかで怯えながら。 「……こんなところまで来るとは思わなかった」 ――――― 澄んだ湖に夕陽が沈んでいく様を、政宗は一人、無言で見つめていた。 いつきとカブは、洗濯物を取り込んでたたむ作業にすっかり夢中だ。洗濯をサボり過ぎて、山のように積もった洗濯物をいつきはジャングルジムでも見るように喜んで飛びついていた。 なんて幸せな日常。 座り込んだ足元の草は柔らかく、今まで見てきたどんな絨毯より心地よい。 目の前に広がる綺麗な湖。優しい風が吹く草原。白い雪を残した山脈の群れ。 帽子屋の作業場にこもっていたら、一生見ることができない光景だった。 「不思議だな……こんなに穏やかな気持ちになったのは初めてだ」 佇んでいるだけで、自然に口元が綻んでしまう。 そんな柔らかい雰囲気がここにはある。 さく、と草を踏む音に政宗は振り向いた。 黒と白の色でできた、幅の広い袖をした服を着て小太郎が立っていた。 一瞬目を見開くが、すぐに視線を湖に戻す。 こんな綺麗な場所なのだ。 いつきを見ていると、愛されて育ったということがよく分かる。 何を心配する必要もない。 「娘たちの心臓を食ってるって噂、嘘だろ」 夕焼け色の湖に映る光景に夢中で、政宗は横を振り向かない。 それでも、小太郎が口元を緩ませて笑ったのは雰囲気でわかった。 ――――― 暖炉で佐助が火を灯しているだけが光源の、闇に染まった薄暗い深夜。 黒い面の扉から城に帰って来た小太郎は椅子に倒れると、乱雑な動作で二本の足を炉囲いの上にのせ、頭を椅子にのせた。 はあ、と疲れ切った息が口から洩れる。 薪の下から顔を出した佐助が淡々と感想を呟いた。 「臭い。生き物と鉄の焼けるにおいだ」 小太郎の返事はない。まずは乱れた息を整えることに必死なのだ。 「……っ」 しばらくは肩で息をしているだけだったが、苦しそうにうめき声を上げた。 体中が引き伸ばされ、掻き混ぜられて、押し潰されるような痛み。それに耐えなければ人間に戻ることは出来ない。 ずるり、ずるりと黒い羽が波を引くように下がっていく。 鋭く尖った爪が徐々に丸みを帯び、元の色へ戻っていく。 体中に張り付いた鱗がすっかり皮膚の下に消えると、そこでようやく小太郎は一心地ついたようだった。 「あんまり飛ぶと、戻れなくなるぜ」 忠告めいた言葉だが、小太郎がそれを聞くとは佐助自身あまり信じていなかった。 オレンジ色の火でできた細い腕を伸ばし、暖炉の脇に置かれた薪を掴んで抱え込む。 佐助が空腹にならないようにと、政宗が毎晩傍らに薪を用意してくれているのだ。 口は悪いし乱暴だが、いい人間だと佐助は思う。政宗のことは嫌いじゃない。 小太郎は椅子に力なくもたれかかったまま、ついさっき見てきたことを思い出している。 ひどい戦争だった。 南の海から北の国境まで火の海だった。 それに、飛行軍艦から飛び出た小太郎の同業者。 「……そいつら、あとで泣くことになるな」 小太郎の記憶を読んで、佐助はパチパチと意地悪そうに炎を燃やした。 「まず人間には戻れないよ」 平気だろう。 すぐに泣くことも忘れる。 口元を歪めて、小太郎も笑った。 「アンタも国王に呼び出されてるんだろ?どうすんの?」 それには答えず、小太郎は暖炉の側を離れる。 階段下の空間に折りたたみ式のベッドを置いて、そこで政宗が眠っているのだ。 カーテンをそっと開いて覗きこむと、静かな寝息を立てて政宗が眠っていた。 「…………」 しばらく政宗の寝顔を見守ると、小太郎は無言でその場を離れた。 ――――― 城中に響き渡る絶叫に、家事をひと段落させ暖炉の前でのんびりと新聞を読んでいた政宗は文字通り飛びあがった。 敵戦艦、沿岸部に上陸。なかなか無視できない記事であったが、すさまじい勢いで浴室の扉を開き、二階から下りて来た小太郎の形相に全部が吹き飛んでしまった。 腰布を巻いただけの小太郎は政宗を見つけると、胸倉を掴みかからん勢いで何かを捲くし立てる。 何かを言っているのはわかるのだが、異国語らしく何を言っているのか全く分からない。 「あー、政宗。風呂場の棚いじったろ」 「風呂場ぁ?どういうことだ」 「髪の色を変えるまじないを浴室に置いてるんだよ。コイツ、髪染めてるから」 佐助に言われて、政宗といつきは小太郎の濡れた髪の毛を見る。 不思議な事に、彼の髪の色は瞬きをする間に次々と変わっていくのだ。 シルクのような金髪から、赤毛、桃色、黒、茶、星空のような銀色へと。青紫なんて、人間の髪の色ではない。 「あ、あのー……その色も素敵だと思いますが」 「格好いいべ!小太郎!」 女の子二人の必死のフォローも、小太郎には通じない。 むしろ、似合っているという言葉が致命傷だったようだ。 今にも泣きそうな顔で小太郎は後ずさると、ぐしゃりと椅子に座って頭を抱えた。 何たる絶望、何たる苦しみ!絵画にするならそんな題名が付きそうな嘆き方に政宗は戸惑う。 こんな小太郎、見たことがない。 口を小さく動かして、小太郎が何かを呟いている。 何を言っているのか分からないので、政宗は佐助を振り返った。 付き合ってられない、といった風で佐助が通訳してやった。 「こんな姿じゃあ、生きていたって仕方がないってさ」 ――――― 「……俺なんて、美しかったことなんて一度もねえよ」 城の扉を蹴り開けて、政宗は荒野に飛び出した。 外はひどい雨で、たちまち政宗は全身ずぶ濡れになったがそんなことに気を使う余裕はない。 小太郎を殴り倒した時、手の甲についた緑色のねばねばが雨に流れて落ちていく。 自分のことばかり考えている小太郎に腹が立ったし、部屋中を埋め尽くす闇の精霊と一緒にいたくなかったし、惨めな自分が嫌だった。 彼は何が不満だというのだろう。髪の色が何だというのだ、髪なら染め直せばいいじゃないか。 でも、政宗の右目は取り換え用がないのだ。 悔しい。どれが一番悔しいのか分からないくらい悔しくてたまらない。 女というものは涙脆くていけない。腕で乱暴に顔を拭っていると、カブ頭の案山子がそっと政宗の頭上に傘をさしてくれた。 相変わらずの無表情だが、こうしてじっくり見ると政宗を気遣ってくれているようにも見える。 「……アンタは、いい案山子だな」 小太郎も、これくらい人を思いやることができればいいのに。 ――――― 「小太郎って喋れたんだな」 「え、喋れるよ。当たり前じゃん」 緑のねばねばで包まれた小太郎を、風呂場に文字通り蹴って放り込むと政宗は部屋の掃除を始めた。 荒野にへどろを吐き出しながら世間話に始めた会話だったが、佐助の言葉に政宗はむっと顔をしかめる。 当たり前だと言われたって、政宗が小太郎の声を聞いたのはあれが初めてなのだから仕方ない。 いつきも興味深そうに身を乗り出してきた。 「おらも初めて聞いた」 「見栄っ張りなんだよ。子供の頃に人参みたいな髪とかあなたの声ってカラスみたいねって言われたのを、あの年になっても気にしててさ。未だに興奮すると母国語が口を出るしね」 「子供の頃って、いつの話だよ……」 それは、もう見栄っ張りという次元の話じゃない。 モップにもたれかかって溜息を吐くと、全く同感だ、と頷きながら佐助はねばねばの被害にならなかった薪を口に放り込んだ。 「好きな子の前では格好良くいたいんだと」 「へえ」 聞き流しかけて、政宗はぴたりと硬直する。 いつきが瞳を輝かせながら、両手を目の前でうっとりと組んだ。 「……好きな子?」 「好きな子!」 「昔の話だよ」 ――――― 政宗は城の中を我が者顔にひっくり返してきたが、小太郎の部屋にだけは入ったことがなかった。 何度か試みたことはあったのだがいつも小太郎が無言で拒絶してきたし、留守の時はガッチリと特別製の鍵をかけているせいで入れないのだ。 しかし、今日は小太郎は入口を立ち塞がなかったし、鍵もかかっていなかった。 数回ノックをしてから、政宗は部屋の扉を開く。 なるほど、そんな場面など見たこともないが小太郎は本物の魔法使いだったらしい。部屋には不思議なもので溢れかえっている。天井には地球儀のような青い球体や色石の簾、材質の分からない飛行機の模型のようなものがぶら下がっているし、絨毯の上にはまるで鳥の巣のようにガラクタのような置物、お面にランプに何故か薄汚れたバケツまでが散らばっていた。 棚は難しそうな書物がぎっしりと詰まっている。 初めて出会った時に彼が持っていた、白髪の老人の人形を見つけて懐かしさを覚えた。 この城に住むようになってから、まだそれほど長い時間が経ったわけでもないというのに。 小太郎はそれらの中央で、天蓋付きのベッドに眠っていた。 髪の毛は赤燈色に定着したらしい。確かに人参のような色だったが、それより綺麗な夕焼け色の方が表現として似合っていると政宗は思った。要するに気に入ったのだ。 自分が棚の中を動かしたせいでこんな事になってしまったのだという、ちょっとした後ろめたさもある。 「Milk持ってきた。飲みな」 勧めるが、小太郎は緩やかに首を振っただけでこちらを見ようともしない。 ベッドの周りも散らかっていたので少し悩んだが、政宗は横に積み上げられた本を数冊ずらし、空いた場所にカップを置いた。 それで部屋を出ようと背を向けたら、ベッドから離れる瞬間腕を掴まれた。半目になって視線を下ろすと、当然のように小太郎と目が合う。相変わらず長い前髪が垂れ下がっているせいで、彼がどこを見ているか正確には分からないが。 「……何だよ」 「……」 返事の代わりに、ぎゅ、と小太郎の手に力がこもる。 ここにいろ、という意味だろうか。男が側にいたって何にもならないだろうに。 数回腕を振ってみたが、小太郎が手を離そうとしなかったので諦めた。ベッドの横にあった椅子に座って小太郎に右手を貸してやる。 政宗が大人しくなったことに気付くと、する、と小太郎の指が動いて甘えるように政宗の指と絡まった。 男と指を絡めて何が楽しいんだろう。政宗は心の中で呟くが、今の政宗は女だった。 自分は本当は男なのだと言ってやりたいが、向こうから指摘されない限り政宗は話すことができない。 何も知らない小太郎が少し哀れに思えてきた。 小太郎から視線を外すと、頭上できらきらと風見鶏に嵌めこまれた黒い石が光っているのに目が行く。 何気なく覗きこんで、ぎょっとした。 石の中には銀髪の青年が映っていたのだ。 忘れるはずもない、政宗に呪いをかけた荒地の魔法使い。まるで目の前にいるように、鮮明な姿で政宗にその横顔を見せている。思わず固唾を飲んでいると、荒地の魔法使いが政宗を振り返る瞬間に小太郎の手が伸びて風見鶏をくるくると動かした。 宝石の中の荒地の魔法使いは、やがて後ろ姿を見せて政宗から遠ざかっていく。 天蓋の下でリィ、リィと涼やかな音を立てていた銀の鈴がしんと静まった。 「……魔法使い除けのまじないってやつか?」 尋ねればこくりと頷く。外見の割には幼い動作に、政宗はふっと苦笑した。 この城に来てから政宗が知った小太郎は、わざと悪いうわさを流して悪者ぶって、泥の中でガラクタを組み立てるのに夢中で、髪の色に大袈裟なくらい一喜一憂して、怖い魔法使いから逃げてばかりの臆病者で。 左手を伸ばすと、小太郎の額にそっと手を伸ばす。 「ガキ」 小太郎は拒絶しなかった。 長い前髪がかきあげられて、ガラス玉のように感情の見えない双眸が政宗をじっと見上げている。