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……同情なんてするんじゃなかった。
高位の貴族令嬢が好みそうな、とびきり上等で流行りのドレスと帽子で着飾った自分が鏡の向こうで絶望の表情を浮かべている。
絶対スカートなんて履くつもりなかったのに。
世の女性は、よくスカートなんて頼りないものを履くことができるものだ。
「うわぁ、綺麗だべな政宗!」
「うんうん、馬子にも衣装ってやつだね」
いつきと佐助は単純にはしゃいでいるが、褒められたって少しも嬉しくない。
似合うはずがないのだ、自分は下町育ちの人間なうえに真っ黒の眼帯まで付けているのだから。
上機嫌にニコニコしている小太郎を、政宗は機嫌悪く力の限り睨みつけた。
しかしどれだけ睨んだって、もう約束してしまった。これから政宗は小太郎の姉として王宮に赴き、王様の前でさんざんこき下して彼が王宮に召されるのを阻止しなくてはいけないのだ。
「くそ、なんで俺がこんなこと……」
「いってらっしゃーい!」
「お土産よろしくねー、政宗ちゃん!」
「誰が!」
扉の取っ手を赤に回していると、涼やかな花の香りを漂わせて小太郎が政宗の手をとった。
長い男の指が、政宗のすらりと細い左の人差し指に銀の指輪を通す。
「お守りじゃ。無事に行って帰れるようにな」
訝しげに見上げると、疑問に答えたのは小太郎でなくしわがれた老人の声だった。
いつの間にとりだしたのか、小太郎の腕の中であの年老いた腹話人形がぱちりと政宗にウィンクを送る。
「わしらも姿を変えて付いていく。何も心配はいらんよ」
全く嬉しくない話だった。
もしかしたら政宗の気分を和ませようとしての行動かもしれないが、全くの逆効果だ。
彼はどこまでも人を、政宗を馬鹿にしている。
「……本当に、お前が俺を心配してくれるというなら」
小太郎の腕から腹話人形を奪い取ると、政宗は自分でも驚くくらい大きな声で怒鳴った。
「人形なんかに頼らず、自分の言葉で言うべきだったな!」
扉を壊さんばかりの勢いで叩きつけ、外に出る。
どれだけ引っ張っても指輪が外れないので、政宗は貴族の令嬢らしからぬ悪態を思いつく限り吐き捨てた。

別に、そこまで小太郎の声が聞きたいわけじゃない。
小太郎の声を聞いた、彼の好きな女の子に嫉妬しているわけでもない。


ただ、彼に自分を認めてもらえないのが悔しいだけだ。




















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王宮へと続く、王都の表通り。
足元をじゃれついて離れない一匹の犬を、政宗は困ったように見降ろしている。
姿を変えて付いていく、と彼は言っていた。
言っていたが、もしや……
「……小太郎?」
「ワン!」
うわ、マジですか。
何で赤い鉢巻きを巻いた風変わりな犬に化けようなんて思ったのだろう。
しかも、さっき政宗は小太郎に怒鳴りつけてやったというのに。
タフなのか堪えていないのか、それとも政宗の言葉なんて少しも気にしていないのか。
一番最後だったら傷つくな……と落ち込んでいる政宗の隣に一台の車が並んだ。黒のレースでできたカーテンをめくり、一人の青年が政宗に声をかける。
「久しぶりだね。君、あの時の帽子屋だろう?」
「テメエ……!」
銀色の髪に、紫のマスク。
政宗は荒地の魔法使いに飛びかかろうとしたが、ぞろっと伸びたドレスが邪魔な上、例の黒いゴム人間に阻まれて近寄ることができない。
ぎりぎりと睨みあげると、荒地の魔法使いは面白そうに笑った。
「小太郎に手紙を届けてくれてありがとう。彼は元気かい?」
「布団被って震えてるよ。アンタのおかげで、俺はあの城の掃除婦だ」
「それはよかった」
車の横を歩きながら、ちら、と下を見る。
赤い鉢巻きを巻いた犬は、上手く荒地の魔法使いからは見えないように隠れながら歩いているようだ。
「ところで、君は何故王宮へ向かっているのかな」
「就職活動!あんな奴のところ、もううんざりだね」
口実は嘘だが、本心なので偽る必要もない。
忌々しげに吐き捨てる政宗を、荒地の魔法使いは興味深く見降ろしている。
「お前こそ何の用だよ」
「僕は王様に呼ばれてるのさ。元就君もいよいよ、僕たちの力が必要になったみたいでね」
「僕たち?」
「それは、君が知る必要はない」
「なんで小太郎を狙ってるんだ」
「侮辱されたからさ。あの男、よりにもよって秀吉にあんな暴言……!」
ばき、と車の中で何かを折る音がした。
優雅を気取っている荒地の魔法使いの顔が醜く歪んでいるところを見ると、余程手酷い侮辱の仕方をしたようだ。
足元の犬を見降ろすが、彼は素知らぬ顔で歩いている。
「……もう、俺は関係ないだろ。呪いを解いてくれよ」
「それは無理な相談だ。僕は、呪いはかけられるけど解けない魔法使いなのでね」
「なっ!」
「それじゃあ、お先に」
「ちょっと待てよ、おい、待てって!このくそったれの変態野郎!」
急いで追いかけるが、人の足では車に追いつけるはずもない。
みるみる間に距離を離され、趣味の悪い紫色の車は政宗の視界から消えてなくなった。

「小太郎!テメエがいなけりゃあの気取った顔を踏みつぶしてやったのに!」










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「おいおい、大丈夫かアンタ」

王宮への階段は馬鹿みたいに長ったらしく、段差が高く幅が広い。一番上まで上るだけでも一苦労だ。
政宗は女になったとはいえ、まだ若いままなのだから少し息を弾ませるだけで済んだ。
だが、車から降ろされ自分の足で歩かなければならなくなった荒地の魔法使いはそうでないようだった。
政宗の声に答える余裕もない。
赤い鉢巻きを巻いた犬を抱えなおして数段下りると、そっと荒地の魔法使いの顔を覗き込む。
一歩足を進めるたび、左の胸を押さえながら苦痛に顔を歪める。呼吸も酷く乱れていて、いつ倒れてもおかしくはない。
顔には汗が薄く吹き出ており、白テンの肩かけを握りしめる病的に白い手が震えているのが見える。
おぼつかない足取りで一歩一歩階段を上っていく荒地の魔法使いの姿が政宗には哀れに見えた。まるで病人だ。
「……なあ、今日はやめといたら?無理だろ」
「……50年。ここを追い出されてから、50年だ」
ぜい、ぜいと息を整えながら荒地の魔法使いが枯れた声を絞り出す。
浮き出た脂汗を拭うこともせず、今にも死んでしまいそうな顔をしてる癖、紫色の仮面の奥では二つの目がギラギラと燃えていた。

「僕たちは、荒れ地でこの日が来るのをずっと待ち続けていたんだよ」




















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「お前……!」

からからと車椅子に乗せられて現れた男を見て、政宗は声を呑んだ。
全面にガラスを嵌めこんだ陽光暖かな植物園の中では、彼はさらに惨めな存在だった。
一瞬死んでいるんじゃないかと政宗は息を呑んだが、車椅子に座らされた荒地の魔法使いはまだ呼吸をしていた。
つい先ほど政宗と別れたばかりだというのに、いったい何があったというのか見るも無残にやつれきった顔。炎のように強い眼光を放っていた彼の目は虚ろで、何もない床をじっと見つめているだけだった。
まるで別人になってしまった荒地の魔法使いを見て、元就は鼻を鳴らした。この国の王室付き魔法使いで、小太郎の魔法の師匠である男。
「ふん、貴様が残ったか。半兵衛」
「……半兵衛?」
「この男の名だ。これでも昔はそれなりの魔法使いだったのだが、何を思ったか悪魔と取引をした挙句身も心も悪魔に食い尽くされた」
元就の冷ややかな声に、荒地の魔法使い……半兵衛が小さく震える。
しかし何かを反論しようにも、そんな体力はどこにも残っていないらしい。魔力を奪われた魔法使いを見下す元就の顔も冷え切っていた。
「アレも同じだ。小太郎も悪魔に心を奪われ、我のもとを去った」
「……っ」
「このままではそこにいる者と同じ末路を辿ることになる」
元就は政宗の眼をじっと睨めつける。
力強く他者を圧迫する声は、確かに軍事国家の権力者であることを証明していた。


「今、王国はいかがわしい魔法使いや魔女を野放しにすることはできぬ。小太郎がここへ来て王国のために尽くすなら、悪魔と手を切る方法を教えよう。

来ないなら力を奪い取る。

その男のようにだ」



「……小太郎がここに来たがらない理由がわかりましたよ、Mr.元就」

元就は、彼がその気になれば小太郎などすぐに自分の意のままにすることができると思っているんだろうか。
せいぜい育ちの良いお嬢様らしく、政宗はお上品に微笑んだ。
上から押し付けられたら、それを跳ね返したくなるのが政宗の性格だった。
「あの意気地なしの臆病者が、アンタみてぇなおっかない人間に近付きたがるものか」
「ほう、随分とアレに詳しいようだな」
す、と目を細めて元就は冷笑を浮かべる。
「アレに姉がいるなど、師匠である我も聞いたことがないというのに。そのような目立つ為りをしているならば、なおさらのこと」
「何年も顔を見ていない姉を身代わりにする男ですから」
眼帯で隠した右目を面白そうに見つめる切れ長の目を、左目で睨み返す。
二人の気迫に、元就の足元で寝ていた幸村(あの赤い鉢巻きを巻いた犬は、何と小太郎でなく元就の使い犬だった。goddamn!)がぞわりと総毛だたせる。
しばらく無言で睨みあった後、言い聞かせるようにゆっくりと言葉を発す。
「小太郎は、来ない」
「いいや、来る」



「我が采配に間違いはない」




















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「元就ぃ!いよいよ決戦だぞ!今度こそ叩きのめしてやる!」
将軍からの報告書を意気揚々とぶん回しながら、元親は意気揚々と植物園の扉を開いた。
ふかふかの高級感あふれ過ぎる椅子の上で優雅に足を組んでいる元就のもとまで歩いたが、彼の近くに佇んでいる男の顔を見て元親は右目を見開く。
軍帽から白銀の髪、靴の爪先から左目の眼帯まで目の前の男は自分とまったく同じ姿だったのだ。
「俺の影武者か?よくできてるじゃねえか」
「違うが、面倒だからそういうことにしといてやろう。貴様は引っ込んでいろ」
「俺、王様なんですけど」
「それが?」
「……何でもありまっせーん」
じろ、と一睨みされこの王国で一番偉い人はすごすごと帰って行った。
元就は不快気に鼻を鳴らすと、今度は目の前にいるもう一人の元親を見据える。元親の隣にいる政宗は、未だ困惑しきった顔で彼を見上げていた。顔色を伺おうにも、左目の眼帯のせいで政宗からは何も見えない。
「久しぶりだな、小太郎」
「先生もお元気で何よりです」
右手を胸に当て、元就に頭を下げているのは紛れもなく小太郎なのだが、その姿も声も元親のままだった。
小太郎のその姿も、声も、慇懃な態度も全てが気に食わない。
「……嘆かわしい。貴様は、未だに他人の顔を借りねば自分の意見を言うこともできぬのか」
「私が臆病者なのは、先生もご存じの筈ですが」
「黙れ!今すぐにそのみっともない顔を下げよ、虫唾が走るわ!」
眉を吊り上げた元就の怒号が、植物園を満たしていた静かな空気を引き裂く。
それでも小太郎は、顔色一つ変えず彼に頭を下げているままだ。
「……その腐った性根、どうやら我が直々に叩きなおしてやらねばならんようだな」
「誓いは守りました。先生と戦いたくはありません」
そこで言葉を区切ると、元親の顔が動いて少しだけ左に傾いた。
怪訝そうな政宗の顔が右目に映り、目が合う前に視線をそらす。
こくりと、喉が震えたように政宗には見えた。小太郎にしては随分とはっきりした主張。例え元親の声を借りていても。





「姉と、帰らせていただきます」





「逃がさんよ」

元就が口を歪めて、采配を振るう。
きらきらと光が溢れて二人を襲った。




















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小太郎と空を飛ぶのは、これで二度目だ。
盛大にガラスの天井をぶち破り、政宗たちは文字通り植物園を飛び出した。
黒灰色の羽を仕舞い、白銀の髪が風に暴れるのを好きにさせながら小太郎は舵を握る。上空は風が強く、政宗はたなびくスカートを押さえつけるのにかなり手間取っていた。何で女はこんな無駄にひらひらした服を着れるんだ。
後部座席に乗った、半兵衛と幸村を視線だけで振り返って小太郎が苦笑する。
「あーあ、政宗は皆連れて来ちまったな」
頭上から降って来た小太郎……が元親の声を使っての言葉に、政宗は盛大に舌打ちをした。全身から生やした黒灰色の羽を引っ込めても、まだ彼は仮装をやめようとしない。同じく、空を飛んでの追手に対する牽制のつもりだろうか。
確かに半兵衛は政宗が弱った体を引っ張ってここまで連れてきたが、元就の使い犬である幸村は勝手に付いてきただけだ。しかし親切に説明してやる気はない。元就ではないが、ここまで自分を隠されると政宗だっていい加減嫌になるのだ。
「……お前が来るなら、俺が来ることはなかったんだ!」
「政宗がいると思うから行けたんだ!あんな怖い人の所へ一人で行けるかよ!」
耳元を唸る風の音に負けないよう、自然声も大きくなってしまう。
握らされた舵を苛立ち紛れにぐるぐる動かしていると、心配になったのか、小太郎が背をかがめて手を伸ばした。
政宗の手を包み込むように舵を握って、方角の修正を始める。
「おかげで助かった。さっきは本当に危なかったんだ」
「……?」
なんだ、この声。
耳元で聞こえた知らない男の声に、政宗は横を振り向いた。
この国の軍服姿のまま、赤橙色の髪をなびかせ慣れた手さばきで小太郎が方向を正している。
政宗の視線に気がつくと気まずそうに顔をしかめ、けれど蚊の泣くような本当に小さな声で政宗の耳元で囁いた。


「…………ありがとう」


政宗はしばらくぽかんと口を開いていたが、小太郎の言葉が胸に沁みこむと同時、嬉しそうに顔を綻ばせた。
「お前、いい声してるじゃねえの」
左目を細め、上機嫌に笑いかけるとすぐに小太郎は顔をそむけてしまったが。
照れていると思えば可愛いものだ。
地平線の果てまで飛んで行けそうな最高の気分で、政宗はペダルを力強く踏んだ。