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「いつき、窓を閉めろ!」
政宗が叫ぶのと、いつきが窓を開いたのは同時のことだった。
バランスを崩してしまうほどの地を揺るがす音と衝撃。台所で食器がガシャガシャと落ちて割れていく。
興味深げに窓の外を覗こうとするいつきを引っ掴んで戻すと、政宗は窓を閉めて暖炉の前まで避難させる。
「いつきは半兵衛を頼む。俺は店を見て来る!」
いつきの答えも待たずに中庭を出ると、夜の空は赤く燃えていた。街が焼けるにおいと煙、そして避難を促す鐘の音に顔をしかめる。
「好き放題やりやがって……」
火の粉が飛び散る大通りを歩いて、件の黒いゴム人間が近づいてくる。
やけにゆっくりとした動作で、しかし逃げられないように包囲を固めて。
この国の軍服を着こんだソレは店に近付くにつれぶくぶくと膨張し、形を歪め、まるでこの店を呑みこんでしまおうとしているようにも見えた。
鬱陶しい。
政宗は苛立たしげに舌を打った。
「こんな時に何だ、お前ら!今は火事を消す方が先だろうが!」
政宗の一喝にも全く反応しない。
ばたん!と荒だたしく閉めた扉へ向けてゴム人間たちが襲い掛かる。扉にしっかりと鍵をかけ、簡易バリケードとして椅子や机を立て掛けたが突破されるのも時間の問題だろう。扉の隙間から入り込もうと、黒いゴムが触手を蠢かせるのを横目に政宗は店を出る。
中庭を上から覆う黒い影に空を見上げると、上空には花畑で見た軍艦が並んでいた。それの腹にびっしりと詰められた黒い塊。小太郎が口を歪めて睨んでいたことを思い出す。
爆弾だ。
「It's crazy……」
ボロボロと爆弾が何の躊躇いもなく落ちてくる。
街や人を焼き殺す殺意の塊が、この店へ向けて。
目を離すこともできないまま、茫然と爆弾が降ってくる様を見つめているとそれに平行する黒い影を見つけた。
人の形をしていない。どちらかといえば隼に似ているが、鳥にしては大き過ぎる黒灰色の。
店へ目がけて落ちてくる爆弾にとりついたそれの正体に気がついて、政宗は声を上げた。
「小太郎!」
―――――
どん、と腹の底まで響くこれまでにない大きな音。
衝撃と瓦礫の破片から守るためにかざしていた手をどけると、中庭には爆弾が中身を破裂させないまま半ばまで土に埋もれている。
そして爆弾に寄り添うように、黒灰色の羽を広げたままの生き物。
「小太郎!」
ゆっくりと顔をあげて、小太郎が政宗を見た。政宗が気に入っていた赤橙色の髪まで黒灰色の羽に変えて、それでもまだ彼は微笑んでいる。
「すまない……今夜は数が多すぎた」
「生身で爆弾に突っ込む奴があるか、馬鹿が!」
よっぽどぶん殴ってやろうと思っていたが、小太郎が前に踏み出した瞬間たたらを踏んでしまったので慌てて手を伸ばす。
後ろに手をまわして支えてやると、羽に隠れているだけで小太郎の体はまだ意外と人の形をしていることがわかった。小太郎の身体は小十郎と似たような同じ背丈で今の政宗には重かったが、たったそれだけの小さな体で軍艦と渡り合っていたのかと考えるとそれだけでぞっとする。
彼の身体にまとわりついた硝煙と埃、鉄と生き物の焼けるにおいが鼻について政宗は顔をしかめたが、構わず彼に肩を貸して家の中まで連れて行った。
ずるずると地面を引きずっていた、小太郎の身体を支える大きな両翼が扉の前で一度羽ばたく。
店の戸を破り、今にも二人に押し寄せようとしていたゴム人間たちは強風に煽られ全て姿を消した。
「小太郎!政宗!」
暖炉の前に避難していたいつきの元に政宗が駆け寄ると、小太郎は佐助の前に立ちくすぶっていた炎を赤く燃やす。
「佐助、起きろ」
「……うあー、気分悪……吐きそう」
ぼふ、と口から黒い煙を吐いて佐助の炎が縦に伸びた。ぱちぱちと小太郎の手の中で火花が飛び散り、薄暗く変色していた佐助の炎も綺麗なオレンジ色に戻る。
「喋った……」
小太郎の姿より、喋ったことの方が問題らしい。茫然と見上げるいつきに口だけで微笑みかけると、小太郎は半兵衛の前に立つ。
「随分と久しぶりじゃないか、小太郎君」
「そいつが俺様に変なものを食わせたんだよ!」
佐助の声に、半兵衛がすっと目を細めて笑った。
頭を垂れる小太郎の、差し出した手のひらに葉巻の火を押し付ける。
「珍しいね。君が逃げないなんて」
「……彼らをよろしくお願いします」
答えはなかった。荒地の魔法使いは興味深そうに眺めているだけだったが、同時に否定もしない。小太郎は踵を返し扉に向かう。
「ここにいてくれ。佐助が守ってくれる。外は、俺が守るから」
「待てよ、お前が行く必要はないだろう!?」
横切る小太郎の腕を掴んで、叫んだ。羽毛と鱗に包まれた彼の腕は、想像していたよりもずっとごわごわして固い。人間の腕をしていないのだ。
「次の空襲が来る。佐助も爆弾は防げない」
「逃げればいいじゃねえか!戻れなくなったらどうするんだ!」
初めて見た時は、まだ見た目にもはっきりと人の形を保っていた。それが、今はどうだろう。
いつかの夢に見た魔獣の姿。悲しげに鳴いて政宗の前から飛び去っていってしまった。
政宗の腕をゆっくりと解いて、小太郎が前に立つ。
黒灰色の羽の隙間から覗く彼の眼はガラス玉のように透明で虚ろで、何を考えているか見当もつかない。
ガラス玉の両目を隠して、彼は微笑んでばかりだと政宗は思った。
「……契約をして以来、自分でもどんどん心が削られていくのが分かる。もう何を見ても何も感じることができないし、こういう時どんな顔をすればいいのかも忘れてしまった」
「小太郎……」
「それでも、守りたい人がいるんだ」
鋭い爪が伸びた、鱗の生えた腕が伸びて政宗を抱きしめる。死臭漂う異形の男。彼ならば一人でどこまでもいけるはずなのに、誰のために選んだ道なのだろう。
窒息してしまうんじゃないかというほど強く、強く、それでいて全てを委ねたくなるような優しくて心地よい温もりが小太郎の腕の中にはあった。
……全身で愛情を感じる瞬間とは、こういう時をいうのだろうか。
「政宗を、守りたいんだ」
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黄色の面を選んで扉を開き、政宗は雨の降る荒野へ下りる。
雨に濡れて重くなる髪を払いのけもせず、政宗は眼下に広がる街を見下ろした。
土砂降りの雨にもかかわらず、政宗の育った街に広がる戦火の炎は一向に消える気配が見えない。
「……るな」
政宗を見つけたのだろう、トン、トン、と一本足を動かしてカブ頭の案山子がやってきた。
トン、トン、と地を蹴る特徴的なリズム。聞こえているはずなのに、政宗は顔を上げなかった。
トン、と最後に一つ飛んで、カブ頭は政宗の側に寄り添う。
カブ頭は案山子だから、人間のようにモノを言うことはできない。彼が何を思っていようと、伝えようとしていても。
「ふざけるな!!」
ダン!とぬかるんだ草原を踏みにじって、政宗が叫んだ。
政宗の育った街で、爆弾をたくさん詰め込んだ軍艦相手に小太郎がたった一人で戦っている。元就の手下である、あのゴム人間もたくさんいることだろう。それなのに、彼は自らを異形に変えてまで抗っている。
そんなこと誰も頼んでいないのに。
「ふざけるな、ふざけるなふざけるなふざけるな!!俺を誰だと思っていやがる!俺は女じゃないんだ、守ってくれなんて一言も頼んじゃいねえ!野郎にんなこと言われたって嬉しくなんざねえよ、気持ち悪いだけなんだよ!!魔法使いのくせにんなこともわからねえのかよ!わかれよ、それくらい!勝手に一人で盛り上がって、自己完結してこっちに押し付けて。鬱陶しいったらならねえよ!頭おかしいんじゃねえの!?」
あんな馬鹿知るかと、死んでしまえばいいと言い捨てることができるならどれだけ楽だったろう。
街の上空を飛ぶ、何か黒い塊がゆっくりと地に落ちる様がこの荒野からも見えた。軍艦なのか、小太郎なのかはここからではわからない。
振りしぶく水を切るように、政宗は勢いよく身をひるがえして城へと戻った。
「……俺の迷惑も少しは考えろってんだ」
政宗のあとを、トン、トン、とカブ頭の案山子が当然のようにつき従っていく。
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単なるガラクタの集合体になった城に入り込み、暖炉のあった場所にシャベルごと佐助を置く。
「早く燃やすものを……って、ここ湿ってるし!」
「いつき、半兵衛をここへ!」
幸村が口に咥えて持ってきた棒きれを、佐助は無いよりはマシと細長い手を伸ばして受け取った。
半兵衛の手を引いてきたいつきは、城の中が予想よりずっと荒れ果てていたことに目を丸くしている。
「お城、空っぽになっちまっただな……」
「だから、あっちにいれば俺様と小太郎とで守れたんだよ」
愚痴愚痴と文句を絶やさない佐助に、階段を引っぺがして作った木の板をどさどさと被せて黙らせた。
「佐助、頼みがある」
本題はここからだ。
「小太郎のところまで行きたい。城を動かして欲しい」
「ええー?」
「お前なら簡単だろう?すごい力を持ってるじゃないか!」
「でもさ、ここには煙突もないし」
案の定、佐助はいい顔をしなかった。
ぽたりと天井から落ちてきた雨漏りに顔をしかめ、ふっと姑が嫁をいびるような指遣いで木の板を拭う。
「湿ってるしぃ……」
「昔から言うだろ、一流は場所を選ばないって!」
「そりゃそうだけどさぁ…………ううん、そうかなぁ」
常にない政宗の必死な顔と、いつきの期待に満ちた顔。
一つでも何か失態があれば鼻で笑ってあげようじゃないか、と言いたげな半兵衛の姿に佐助はちょっとだけやる気を出したらしい。
ちら、と、いつかのように何かを期待する目でオレンジ色の炎は政宗を見上げる。
「じゃあ、政宗の右目をおくれよ」
一瞬、理解ができなかった。
「……何だって?」
「俺様だけじゃ駄目なのさ、力を使うには代償が必要なんだ。目とか、心臓とか。アンタの右目はぐちゃぐちゃだし、もう目の役割はしてないけど一応まだ目蓋にくっ付いてるから特別割引としてそれで手を打ってあげる。悪い話じゃないでしょ?」
だって、アンタはそれが嫌いだものねえ?
上目遣いでニヤニヤと笑う佐助の顔を、政宗は口を歪に吊りあげながら笑い返した。
すっかり忘れていたが、確かに最初はこういう関係だったのだ。
「左目じゃないだけありがたいと思えってか?」
「んー、まあ、右目の方が俺様の好みってだけでもあるんだけど。どう?」
「ha!わかりきったことを聞きやがる」
「政宗!?」
「心配すんな、いつき」
彼女を下がらせ、見えないようにしてから右目につけた黒の眼帯を引き剥がした。
白く濁った眼球は、赤く腫れあがった瞼に隠されている。引き攣れて皺の寄った肌は、政宗が北国育ちで他が白い分異様な圧迫感を他に与える色をしている。確かに大嫌いな部分だ。長年一緒だったせいで、なくなると思えば淋しいとも思うがそれだけである。
今更右目を失くしたところで、これ以上醜くなりようもない。
「持っていきやがれ」
政宗の言葉を聞いて、佐助は嬉しそうにくつくつと笑った。
オレンジ色の炎が勢いよく燃え盛り、政宗の右目を掴もうと暖炉から佐助の細い腕が伸びる。
思わず後ずさった政宗を追って、五本の指がぶわりと広がった。
「これで、俺とアンタは二重に契約する仲になったわけだ」
佐助の、酷薄に弾んだ笑い声。
押し当てられた佐助の手は、燃えるように熱かった。火でできている身体なのだから、当たり前かもしれないが。
するりと骨ばった指が右の頬を伝う、その冷たさに政宗は訝しげに左目を開く。
オレンジ色の髪を炎のように後ろへ流した、政宗の知らない男が目の前で笑っていた。
「約束だからね、アンタたちを小太郎のところまで連れてってあげるよ」
額を晒して狐のように細い眼を見せている以外は、驚くほど小太郎と似た顔立ちをしている男だった。
彼の言葉と、見覚えのある笑い方に政宗は茫然と呟く。
「佐助……?」
「そ。惚れた?」
冗談めかして笑う佐助の声には、もう薪が燃えてパチパチと爆ぜる雑音が混じっていない。
彼の周囲にはオレンジ色の炎が燃えていたが、不思議ともう熱くはなかった。ぐい、と肩を引き寄せられ佐助と政宗の顔が近付く。文句を言うよりも早く黒の眼帯で右目を隠された。やはり、ないよりは落ち着く。目線で外を見るよう促されると、ただのガラクタに戻ったはずの城が、また形を変え収縮し、轟音を響かせて荒野を駆け下りているのがわかる。
「ねえ?凄いでしょー」
「ああ……thanx、佐助。さすが一流だな、恩にきるぜ!」
「これくらいお安い御用ってね……なんなら、小太郎から俺様へ乗り換えたって構わないんだよ?」
頬と頬がくっ付きそうなほど近い距離で囁かれ、政宗はぞくりと背中を泡立たせた。
いきなり耳元で囁かれたからで、他に理由はない。
「ごめん、無理」
「…………」
「可哀想な奴だべ……」
「ふ、猿のように焦るからそうなるんだ」
「ワン!」
「え、ちょ、犬の旦那にまで同情されるんだ俺……」
せっかく人間の姿になったというのに、早速いじけて部屋の隅っこに体育座りをした佐助を半兵衛が鼻で笑った。
佐助の後ろに立って、無造作に鉄のシャベルを振り上げる。
「全く、恋に狂った者ほど恐ろしいとはよく言ったものだよ」
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