「じゃ、いってきます」
政が風魔の家からどこかに出かけるときは、いつもそう言うことにしている。
こうしよう、と特別決めたわけではない。いつの間にかの慣れという奴だ。
玄関の戸を閉める際、風魔のばあさんとその友人の明るい声が耳に届いてきたのが今日といつものとの違い。
「いまどき珍しい、優しい良い娘じゃないの。小太郎くんの彼女?」
「やっぱりそう見える?実はね……」
(ただの腐れ縁だっての)
ぴしゃん、と音を立てて戸を閉めて、政は心の中でツッコミを入れる。
じわじわとひっきりなしに鳴き喚く蝉の声が夏を象徴していて、その暑さにそっとため息をついた。
正直しんどい。
風魔の家と北条家は比較的ご近所さんだが、一つの坂を上る必要がある。
ひたすら長く、そして急な坂だ。体力の衰えた老人なら上りきることすら一苦労で、若い人でも時々救急車に運ばれる。
だから政が使いを買って出たのだが、彼女だって辛いことに変わりはない。
でっかいスイカを丸まる一玉荷物に持っているのだ。スイカは風魔さんから北条さんへの贈り物である。政はご先祖様の話ばかりする北条のじいさんのことをあまり好きではないけれど、何故だか彼は風魔のじいさんと仲が良いのだ。
重い荷物に、熱い日差し。
流れる汗を片手で億劫そうに拭いながら政は黙々と坂を上る。
坂はただ上に伸びているだけで、見るものなど何もない。考えるくらいしかやることが思い浮かばなくて、暑さに朦朧とした頭が最初に考えたのは、先程聞こえてきたばあさんと彼女の友達の会話だった。
(なーにが、やっぱりだよ。知ってるくせにさあ)
政と小太郎は幼稚園からの付き合いで、内に閉じこもりがちな小太郎の世話を政が何かと焼くようになったのが始まりだ。その関係のまま小学、中学と同じ学校を進み高校の今に至っている、所謂幼馴染というやつである。
後ろをちょこちょこ付いてくる小太郎の手を姉のように引いてやり、同じ風呂に入って遊んできた仲なのだから、今更恋愛感情を持ち出されたって困惑するほか道がない。
どれだけ意味深な笑みで小太郎との関係を尋ねられても、
(何を今更)
という感じなのである。
風魔のじいさんばあさんに「早く曾孫の顔が見たい」と人のいい笑顔で言われたって、だからこればっかりはどうしようもない。恋人というより、姉弟といった方が政にはしっくり来るのだから。
古いだけが取り柄の木造家屋、そこで夏は夕涼みをして冬はコタツで蜜柑を食べる。
政にとって、風魔の家はもう一つの家族なのである。
それにしても、今日は予想以上に暑い。
燦燦と照りつける激しい陽射しに、肌にべたつく生温い風。
汗で滑る手のひらをぎゅっと握り締めて、政は落さないようにスイカを持ち直した。
食い込む布に痛みを覚え、眉を顰める。
政の細い手に、熟れたスイカは少し重過ぎる。
(そりゃ、最近背も伸びてガタイもよくなってきたけど)
成長期とは恐ろしいもので、いつも政の後ろにジャストサイズで隠れられる小ささを保っていた小太郎の身長は中学の半ばから急激に伸びた。政の手の届かない高さにある荷物を、後ろから小太郎が何でもない動作でひょいと取り上げたときの衝撃は未だに覚えている。
小太郎に紛れもない殺意を覚えたのも、あの日が初めてである。
(だって、生意気だ)
ぼーっとしていて何考えてるかわかんない顔してるくせに。
自分が見ていてやらないとすぐに傷だらけで帰ってくるくせに。
目を灼く陽光、むせ返る熱気。途切れない坂にぐらぐらと視界が歪む。
政は暑さに弱い。
陽射しの眩しさに目を細め、涼しさを求めて熱い息を吐いた。
ふら、と足がもつれて内心ヤバイと舌を打つ。立て直せない。
固いはずのアスファルトが、踏みしめていたはずの足元が崩れて視界が真っ暗になる。
力が抜けて、握り締めていた右手の感触がふわふわと消えてなくなる。
日傘持ってくればよかった。
目を閉じながら考えたことは、そんなことだ。
覚悟していたほどの痛みはなかった。
ぐい、と強く腕を引かれて政の身体が後ろにのけぞった所為だ。
ずるずると、力の抜けた足がへたり込んでそのまま道路に座り込む。日差しに焼けたアスファルトが熱くて仕方ないが、前から倒れこむよりずっとマシだろう。
掴まれたままの左手から、覗き込むように政は後ろを振り向いた。
どうしてこの男は「大丈夫か」の一言も言えないのだろう、腹立たしく思いながら。
「……小太郎」
名前を呼ばれて、小太郎は口元を歪めるがそれだけだ。
長い前髪(何度言っても切ろうとしない)で表情が隠されている所為で、知らない人間が見れば冷笑とも取れるそれ。政の身を心配しているだけなのだと、政は考えなくてもわかるのだけれど。
政を支えた腕を離すと、小太郎は微かな笑みのままで彼女に日傘を差し出す。
最近買ったばかりの政のお気に入りである。ぱちん、と留め金を外して傘を開くと、空より濃い青色の模様が目の前に広がってなかなか綺麗だった。
日傘で出来た影に入って一息つくと、ぼんやりした頭が少しずつはっきりしてくる。
(何しに来たんだろう)
考えたあとで、我ながら少し冷たすぎやしないかと思ったが撤回した。だって、小太郎じゃん。
政が出かけたとき、小太郎の姿は家のどこにも見つからなかった。
追いかけてきたのか、それとも単なる偶然か。
座り込んだまま目で探すと、小太郎は立ち上がって坂に転がったスイカを拾っている。
膝を少しだけ曲げて、長い右手で無造作に拾い上げるその後ろ姿。政が覚えているよりも背中が大きかった。
小太郎は暑さに強い。
こちらを振り向いたときも、汗こそかいてはいたがそれ以外はいつもと何も変わらない。いつもの、どこを見ているかわからない顔(しかも半分隠れている)のまま。彼がどこを見ているかなんて、政には目線を追わなくてもわかるのだけれど。
かちりと目線を合わせて睨み上げると、小太郎の肩がびくりと一瞬震える。小さい頃から何かへまをするたび祖父母より先に政に怒られてきた小太郎は、何の落ち度がない時でさえ未だ彼女に強く出ることが出来ない。
それでも、ただ縮こまるだけでなくなったところはきちんと成長していた。
おずおずとだったが、手を伸ばす。
ぺちんと叩かれて、今度こそ落ち込んだ。
小太郎の手を借りずにさっさと立ち上がった政の方は、不機嫌を隠しもせずにじっと自分の手を睨んでいる。
腕を掴まれたときから、本当はずっと前から知っている。
大きく筋張った、それでいてしなやかな男の手。政の手とは似ても似つかない。
思い出すだけで顔から火が出そうで、今が真夏の真昼間であることを政は心から感謝した。
スイカを片手に、道の真ん中でしょげ返っている幼馴染。こうして見れば昔と何も変わっていないというのに。
(なんか、ずるい)
(ずるい、ずるい、何で今更になって)
会うたび大きくなっていく、政の大切な幼馴染。
もう見上げなければ顔を覗き込むことも出来ない。
(……格好いいなんて、誰が言うものか)
(そんなの今更すぎる)
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06.8/27
こたにょだてです
誰が何と言ってもこたにょだてなんです(必死)
私ににょただての良さを叩き込んでくれたとさか丸様に献上
つかさちゃんこんな子にしちゃって本当すみません(土下座)
こんなオチになりましたが、リクエストありがとうございました!大好きです!
「おお、遅かったな小太郎!一丁前に彼女まで連れて来おってからに、この色男め!」
「だーからただの幼馴染っつってんだろうが、いい加減黙れよこのクソ爺!」
「……!!」
おまけで北条さん家での会話。