佐助と小太郎は同じ会社の同僚で、これで結構長い付き合いになる。
これといった定職にも付かずフラフラしていた佐助がこの会社に潜り込んだときからの仲で、コンビを組めばそこそこの結果が付いてきたからいつの間にか二人で組む事が多くなった。懸命な上司の判断だ。
この二人に加え、かすがが入れば結構無敵なチームだったと佐助は今でも思っている。彼女は強かったし、聡明だった。ここだけの話し、彼女に惚れていたところもある。夜の街を舞う姿は、きらめく星を思わせるほど美しい肢体と金髪の持ち主だったのだ。だから、彼女があろうことかターゲットに一目惚れして自分達を見捨て(それもあっさりと!)、書置きも残さず会社を去っていった時は本気で落ち込んだ。彼女は今、その相手とヨーロッパで薔薇のように美しい日々を過ごしていることだろう。連絡もあれきりぱたりと途絶えているから、又聞きで聞いた話しか知らないけれど。
場末の小汚い飲み屋で、佐助は泣いた。ビールジョッキ片手に大泣きした。
女なんて知らないと、これからは仕事一筋に生きてやると、まあ素面の佐助が見たら肩を竦めるしかない台詞を延々愚痴って、それを小太郎はいつもの如く無表情で黙々と聞いていた。彼は最後まで何も言わなかったけれど、店が閉まっても道路の隅っこで佐助の愚痴にちゃんと付き合ってくれて、友達っていいなあとしみじみ思ったものだ。だからその日の酒代は全部佐助が払った。
その小太郎が、佐助より女っ気がなく、仕事以外趣味を持ってなさそうな風魔小太郎が、結婚した。
佐助の愚痴に付き合った、一ヵ月後だった。
佐助がそれを知ったのは、二ヵ月後だった。
酒代返せと言いたい。
小太郎の奥さんの顔を佐助は知らない。式も挙げていないらしい。
しかし必要最低限以外に携帯を使いたがらない彼が頻繁にメールを打っていたり、仕事が終わればさっさと家に帰りたがるあたり夫婦仲は良好のようだ。ムカつくことに、最近は愛妻弁当まで仕事場に持ってきやがる。
会わせろと言っても全力で拒否してくる。どこに惚れたんだと聞けば、「全部」と答えもそっけない(しかもわざわざメールでだ。普通に喋れよ)
いっそ尾行して後ろからその面を拝んでやろうかと思ったことも一度や二度ではないが、ばれたら怖いので実行したことはない。同業だし、小太郎はそういうのに気付くのがやたら上手いのだ。切れると手が付けられないのも理由になる。
そんなこんなで鬱積した毎日を佐助は送っていたのだが、機会はやってきた。
るんるん、と鼻歌まで歌いだしそうなほど上機嫌な佐助と、近づいたら鬱が伝染してしまいそうなほど機嫌の悪い小太郎。
小太郎とその妻の、愛の巣へ帰る道筋だ。
佐助は、今日生まれて初めて彼の家に「お呼ばれ」されたのである。
というか、させた。
提案したときはそれだけで殺されそうなほど酷い視線を返されたが(背筋がぞっとした)、貴重な貸し一つをこんなことで帳消しにしてやろうというのだ。ここは感謝されるところだろう、と佐助は逆ににんまり笑う。
小太郎は今、何であの時致命的なミスを犯してしまったのかと反省することしきりだろう。今回の教訓を生かし、是非次回に励んでいただきたい。
「へぇー、結構いいトコに住んでるんだねえ」
たどり着いたのは、最近出来たばかりのオートロック式でホールも綺麗なマンションだった。
仕事柄、ついつい監視カメラの死角になりそうな場所を探していると、ずいっと小太郎が開いた携帯を押し付けてくる。画面を見ろという意味だ。
『妙な真似したら殺す』
目がマジだった。見えないけど。
そーっと冷や汗を流してこくこく頷くと、小太郎は不精不精、本当に嫌で仕方がないといった顔でインターホンを鳴らす。次いでコンコンと数回ノックをしたのは、多分旦那さんのご帰還を知らせる合図なんだろう。だから口で言えよ、面倒だから。
しかし、そんなに自分の奥さん見せるのは嫌なもんなのだろうか。
見せるのが勿体ないほど美人なのか、見せたくないほど不出来な不細工なのか。
後者だったら精一杯慰めてやろうと(半笑いで)思っていたら、ガチャリと扉が開いた。
「おかえり」
前者だった。
患ってでもいるのか右目に眼帯をつけているのが難点だったが、それを別にしても結構な美人だ。すらりとした長身に、白い肌。目鼻立ちは整っていて、吊り上がった薄い色の猫目が印象的だった。服のセンスも悪くない。
畜生、上玉捕まえやがって。
内心ギリギリと歯軋りしていると、小太郎の奥さん(佐助はまだ名前も教えてもらってない)が佐助を振り向いてにこりと笑う。
「同僚さん?ええと、」
「あー、佐助です。猿飛佐助」
「へえー。面白い苗字ですね」
「はは、よく言われます」
小太郎の鞄を受け取った奥さん(なんだこの良妻ぶりは。お前ら結婚してもう1年過ぎてるだろうが!)と笑っていると、膝を後ろから思いきり蹴られた。誰、なんてわざわざいう必要もない。
「どうぞ、何にもないですけど」
しかも、上手い具合に奥さんが背中を向けた瞬間を狙っての犯行だ。
話しただけでこの反応かよ。
先が思いやられるなと、佐助は乾いた笑いで自分をごまかした。
政さん(名前を聞いた。奥さんの口から)は、愛妻弁当を見た時から想像がついていたが料理が上手かった。
冷えたビールに、上手いつまみ。しかも自炊暦ン十年を越す佐助にとっては、涙が出る女性の手料理である。
「このから揚げ、美味しいですねー。衣に何入れてんですか」
「ああ、わかる?これは揚げるときに……」
加えて、佐助は政さんと話が合った。小太郎が全く喋ろうとしないから、代わりに奥さんがホストを勤めた努力の結果である。だから隣で殺気を飛ばすのはやめて欲しい。お返しとばかりに色々聞いてみる。
以前から興味があった、小太郎は家では喋るのかと政に聞いてみたら全然喋んないとの答えが返ってきた。ある意味予想通りで、そもそも饒舌に喋る小太郎を佐助は想像することが出来ない。
「最初は戸惑ったけどね、いつの間にかそれが普通になってたから」
「あー、わかりますわかります。こっちが合わせないとどうにもなんないですよね」
「そうそう」
けらけらと二人して笑う。それを小太郎が隣で苦虫噛み締めた顔で見ている。間に入れなくて悔しいのだろう、酒気も手伝ってかなり気分が良かった。
グラスの中身が空になって、それに気付いた政が新しいビールに手を伸ばす。
その手を、そっと小太郎が上から被せるように手で遮った。
見上げてくる奥さんからさり気にビールを取り上げ、簡単にビールの栓を開けるとこの上なくぞんざいに佐助のグラスに注ぐ。どう見ても泡が多い。
残った分は政に注いでやった。綺麗に盛り上がったそれに奥さんは最初目を丸くしていたが、やがてきつい目尻を柔らかく和ませて、嬉しそうに旦那に微笑みかける。
「ありがと」
そのままどっか逝ってくれませんかね。
栓抜くの苦手なんです、と恥ずかしげに微笑む政は確かに可愛かったけれど。
男一人暮らしン十年の佐助は、横でケッと不貞腐れた。
「今日は楽しかったです、またいつでも来てくださいね」
ウチの人をヨロシク、なんて台詞はあえて無視して、ほろ酔い気分の佐助は頬をほんのり染めた政に玄関まで送られて風魔家を後にする。勿論政の顔が赤いのは酔いの所為だが、美人にそんな顔で見つめられて悪い気はしない。
ここだけの話、佐助は人妻もなかなか好みのタイプなのである。
マンションの外まで見送りに出た小太郎に、にへらと上機嫌に笑いかけた。
「なんか、お前が奥さん見せるの嫌がってたのわかる気がするわー。あんな綺麗でいい人、うっかり変なのに見せちゃったら岡惚れされてもおかしくな」
ガンッ
……俺も早く結婚したいなあ。
小太郎に蹴り壊された自動販売機を見ながら、佐助はひっそりと涙ぐんでみたりした。
一人身がやけに淋しく感じたのは、かすがに置いていかれた日以来のことだった。
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