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周囲に広がる田圃を鏡で映したかのように、どこまでも金色の夕暮れ空だった。
いつもなら顔を照らすほどの赤い夕陽が出るのに、この日に限ってはちらとも顔を出さない。
夏の入道雲に比べ、すっかり小さくなった白い雲が浮かぶやわらかい秋の日差しの下。田圃の一本道を幸村が自転車で走っている。

幸村は郵便配達員だ。

誰かから誰かへの手紙や小包をバッグに詰め込んで、自転車一つでどこへででも行く。いつもは町中を走っているのだが、月に数回は郵便物を汽車に積み込んで、ついでに自分と自転車も乗せて届け先まで運んだりもする。幸村の担当する区域はとても広く、そこには山と川と田地しかないところまで含まれているからだ。
他の郵便配達人には遠出を嫌がる者もいたが、幸村は一度も苦に思ったことがない。自分の仕事に誇りを持っているし、郵便を渡した時の、届け先の人たちの笑顔を見るのがなにより大好きだった。
それに……と、自転車をこぎながら、幸村は笑みを浮かべる。
今日の届け先は一番特別だった。
月に一度、遠くに住んでいるという親戚からの手紙を心待ちにしているその人の、手紙を受け取った時に見せる笑い方が幸村は好きでたまらない。
次に来るときは、稽古道具も持ってこよう。あの人は頭がいいうえに、剣道の腕だって立つのだ。きっといい勝負になる。
などと、ついさっき別れたばかりなのにもう来月のことを考えている。
田圃道はひたすらまっすぐに続いていて、路傍の地蔵様を通りすぎれば駅まではあと半分の道のりだ。
幸村はペダルをこぐ足に力を入れた。



山と川と田圃しかないような田舎の外れに、ぽつんと建っている小さな診療所。
そこに住んでいる人の名を、伊達政宗という。




















「Thank you. いつも悪ぃな、真田」

遠方から届いた封筒を受け取ると、裏返して宛先人の名前を確認する。
そして、想像通りの筆跡と名前に懐かしげに頬を緩ませる。
ああ、その笑顔が見たかったのだ、と幸村は政宗の横顔に見惚れた。

政宗はこの診療所に住み込みで働いている医者である。

以前に務めていた医者が高齢のため倒れてしまい、その代わりということで単身街からやってきた。
目つきが悪いせいで第一印象も悪く見えるが、先入観をなくせばおおらかで気のいい男だ。彼が来てからというものの、幸村はこの村への配達が楽しくて仕方ない。
「昼飯まだだろ?今用意するから食っていけよ」
「おお、これはかたじけない!」
この会話も、すでに何度と繰り返されたやり取りだ。遠慮をすれば逆に怒られてしまう。
どうせ、次の汽車が来るまで暇なのだ。政宗が奥に消えると、することもないので診療所を兼ねている広間をぐるりと見回す。
壁には人体の医学掛図がぶらさがっていて、部屋の横には薬箪笥が置かれている。箪笥の中の無数の引き出しには様々な薬が入っているのだが、滅多に使わないらしい。元々この辺の患者候補たちは皆病気知らずで、この診療所にも世間話目当てに来ているようなものなのである。うちは寄合所じゃねえんだ、と政宗はいつも不満そうにしているが、時には診療そっちのけで彼らの愚痴や相談に付き合っているのを幸村は知っている。
(面倒見の良いお方なのだ)
二人して近所に住んでる夫婦喧嘩の仲裁に駆り出された時のことを思い出していると、かたりと音が聞こえて幸村は後ろを振り返った。

扉に寄り掛かるようにして、子供が一人立っていた。

どこの子だろう、と幸村は内心首をかしげる。幸村は政宗が越してくる前からこの村のことを知っているが、こんな子供は見たことがない。
赤茶けた髪のせいで両目が隠れていて、どんな顔をしているかもよくわからない。
思わずまじまじと見つめてしまう。子供は臆することもなく、といって何か反応するわけでなく。ただ単に突っ立っているだけである。お互い無言なもので、幸村はなんだか居心地が悪くなってきた。
「こんにちは。良い天気だな」
「……」
「其処許はどこの子でござるか?」
「……」
「……」
「……」

扱い辛い。

人見知りする性質なのかもしれぬが、だからと言って微動だにすらしないというのはいかがなものか。
他にも何か言葉をかけてみても、子供はまるで人形のように動く気配がない。これがこの子供の正常なのか、それとも何かの病気なのか。考えて、ここが診療所であることにようやく気づく。
もう一度話しかけようと口を開いたところ、ふと子供の顔が上がった。
ぽかんと開いていた口がきゅっとへの字に引き締まり、後ろを振り向く。
何事だろうと、幸村も首を伸ばして扉の奥を覗いた時だ。

「あーっ!俺の芋勝手に使ってるー!」
「誰が手前のだ!おい、こら待て佐助!そっちに行くな!」


子供の甲高い声と、政宗の怒鳴り声。
ばたばたと足音を立てて、まず子供が広間に飛び込んできた。
「聞いてよ小太郎!政宗ってば酷いんだよ!」
伸びた髪を後ろに流した子供が、小太郎と呼ばれた蓬髪の子供にきゃんきゃんと訴える。
兄弟かもしれない。背格好が似ているし、手ぬぐいで頭を巻いているこの子供の髪も明るい色をしている。
「俺の芋を勝手に取って、芋けんぴにしやがった!俺様、大学芋のほうが好きなのに!」
「どっちも変わんねーだろうが馬鹿佐助!」
「いてっ」
ごつん、と後から来た政宗に拳骨をくらって佐助と呼ばれた子供が頭を抱える。
小太郎と呼ばれた子供が佐助の頭を撫でていると、この子供もまた拳骨を落とされた。近所の子供に説教をする姿を何度も見ているので今更驚きはしないが、伊達家って意外とスパルタなんだな、と幸村は改めて思った。
「小太郎、お前もだ!……ったく、診療所には来んなって何度も言ってるのに、こいつら全然聞きやしねえ」
「ちぇー」
「……」
むす、と不貞腐れる佐助と俯いたまま微動だにしない小太郎。二人の子供を見下ろして、政宗は深いため息をついた。
「政宗殿、この子供たちは一体」
「あ?ああ……」
幸村に問われ、政宗は面倒そうに右手で首の後ろをかいた。おや、と幸村は首をかしげる。
「きつね」
「は?」
「裏山のきつねよりたちの悪い、単なる悪ガキ二匹だよ。うるさいのが佐助で、大人しい方が小太郎。遠縁の関係で少しな」
「ああ、政宗殿の遠縁でござったか。それでは其が知らぬのも無理はない」
幸村がにこ、と笑いかけると、二人の子供はさっと政宗の後ろに隠れた。詳しくは、小太郎の首根っこを掴んだ佐助が政宗の後ろに駆け込んだ。そっと顔をのぞかせて、じ、と見上げる視線が不信と警戒にあふれている。さっきまできゃんきゃん騒いでいたくせに。
「で、この赤いのが真田幸村。郵便配達員で、まあ、俺の友人だ」
「ふーん」
友人、という言葉を聞いてあからさまに佐助の眉が跳ね上がる。小太郎もひょこっと顔を出して、幸村の顔をまじまじと見つめていた。
(ああ、この顔は見たことがある)
「変な服」
「おい、佐助」
「洋服を見るのは初めてでござるか?これは郵便配達員の制服でござる」
政宗の声をやんわりと遮ると、幸村は膝を折って佐助の視線に顔を近づけた。
距離が近くなって、一層佐助の顔が強張る。
まだ子供だというのに、大事な人を奪われてなるかという、その両眼には強い気迫が宿っていた。
「もし興味があれば、表の自転車も見せてあげよう。これも赤くて、車輪が二つあってな。軽く動かすだけで、人が走るより早い速度で進むことができる便利な乗り物なのだ」
「……」
「其は政宗殿のことを、かけがえのない友人だと思っている。政宗殿の遠縁であるというそなたらとも、ぜひ仲良くなりたい」
にこやかに続ける幸村の様子に、少しだけ佐助の表情が緩んだ。
「どうか、其と友人になってはいただけぬか?」
そして、右手を差し出した。
拒絶されても仕方がないが、この手を握り返してくれたら嬉しいと幸村は思う。佐助は戸惑いがちに政宗の顔を見上げ、まるで相談するかのように傍らの小太郎へ視線を下ろす。
そして、諦めたように差し出されたままの幸村の手のひらを見つめて










幸村の右手に思いきり噛みついた。




















「痛かった……」

路傍の地蔵様を通りすぎ、駅までの道のりはあと半分。黄金色に広がる田圃の中の一本道を走りながら幸村はしみじみと呟いた。
子供とはいえ、噛みつく力は馬鹿にできない。幸村の右手には綺麗な歯型が残って、うっすらと血まで滲んでいた。
幸村が佐助に噛まれた時、当然のように政宗は怒った。とっ捕まえて説教しようとその腕を伸ばすが、佐助はまるで猿のようにひょいひょいと政宗の腕をかいくぐってはあちこちと逃げ回って容易に捕まえることができない。二人をとめようと右手を血だらけにした幸村も加わって三人で診療所の中を走り回るものだから、おかげで診療所の中がぐちゃぐちゃになるわ小太郎は我関せずと一人黙々芋けんぴを食っているわという有様で、昼食どころではなかった。
別れ際、政宗に首根っこを掴まれた佐助の「スミマセンデシタ」という誠意あふれる謝罪の言葉をもらうことはできたのだが、これは手ごわい相手が現れたものだと、路傍の地蔵様を通りすぎながら知らず幸村のハンドルを握る手に力がこもる。
けれど、政宗が手当てをしてくれたのは嬉しかった。医者らしく幸村の手に包帯を巻くしぐさも手慣れたもので、ひんやりとした手が心地よかった。おまけに、帰り際に「汽車の中で食え」といって小さな弁当も持たせてくれたのでもうこの人と結婚するしかないんじゃないかと思う。路傍の地蔵様に注ぐ視線も慈愛にあふれるというものだ。次に来るときは、稽古道具のほかに何か手土産も持ってきた方がいいかもしれない。手当のお礼と、そして子供たちが喜ぶようなものを。
などと、ついさっき別れたばかりなのに、もう来月のことを考えている。
別れる際、最後まで一言も言葉を発しなかったが小太郎は四辻まで見送ってくれた。佐助の不貞腐れた顔は、確かに憎らしいが自分の昔を思い出すようで微笑ましい。右手に巻かれた包帯を見下ろして、幸村はまた笑った。田圃道はひたすらまっすぐに続いていて、路傍の地蔵様を通りすぎれば駅まではあと半分の道のりだ。

「…………?」

ふと、自転車のペダルをこぎながら違和感。
空を見上げれば、周囲に広がる田圃を鏡で映したかのように、どこまでも金色の夕暮れだった。
いつもなら顔を照らすほどの赤い夕陽が出るのに、この日に限ってはちらとも顔を出さない。
夏の入道雲に比べ、すっかり小さくなった白い雲が浮かぶやわらかい秋の日差しの下。田圃の一本道を幸村は自転車で走っている。路傍の地蔵様を通りすぎれば、駅まではあと半分の道のり。



いったい、自分は何度この地蔵の横を通り過ぎた?



黄金色に揺れる田圃の中の一本道は、ただひたすらに果ても見えずどこまでも続いている。




















「この大馬鹿野郎!!」

怒声と同時、今日一番強烈な拳骨が佐助と小太郎の頭に落とされた。
「い、いたい。政宗が殴った」
「…………」
「痛くしてんだから当たり前だ!ちょっとそこ座れ、お前ら!」
こんなに怒ってる政宗は初めてで、少し、いやかなり怖い。佐助と小太郎は困ったように顔を見合わせるが、早くしろと怒られたので慌てて座った。もちろん正座だ。
「いいか、初めに俺は言ったよな?他の人間の迷惑になることはするなって」
「……」
「ウチに来るんなら、ちゃんと人間の真似をするって約束したよなあ?それが何だ、あれは!」
ばしん、と机を叩く音にうひゃあと二匹は頭を抱えた。あんまりびっくりしたものだから、うまく隠していた耳としっぽがぴょこんと飛び出してしまう。もちろん、そんなことで説教を止める政宗ではない。
「恩返ししたいっつったのはお前らだろ!それが何で俺のダチを化かしてんだ!」
政宗に説教されて、しゅんと項垂れているこの子供たち。頭に生えたぴんと尖った耳と二股に裂けたふさふさしたしっぽ。そして着物の裾からのぞく四肢は黄金色の毛でうっすらと覆われていて、見た目の通りに人の子ではなかった。

佐助と小太郎は、狐である。

しかも人の姿に化けれるというのだから、普通の狐ではない。いや政宗が裏山で見つけた時は、ただの狐だったのだ。尾が二股に裂けてはいたが、珍しい種類がいたもんだと政宗は大して気にもしなかった。それがいけなかったのかもしれない。
裏山で死にかけているのを拾ってやり、座布団に寝かせていたはずの子狐二匹(可愛い)が、昼飯に診療所から帰ってくると生意気な悪ガキ二人(あまり可愛くない)に変わっていたのだ。
しかも、怪我が治ったら帰れというのに、恩返しをするまで帰らないと家の柱にしがみつく。もう一匹は箪笥の上に登って、何度声をかけてもそこから降りようとしない。追い返してもいつの間にか家に入ってくる。
しょうがないから、絶対に正体を明かさないという条件付きで二匹の好きにさせることにした。それがつい半月前のことで、最近は人間の常識も覚えたし大人しくて大変良いことだと、油断した先にこの悪戯だ。
佐助が幸村の気を反らして、小太郎が幸村を道に閉じ込めた。
人間の子供に見えても、それでも目の前の二匹は妖怪だ。
様子のおかしい二匹に気づけたからよかったものの、もし政宗が止めさせなかったら幸村は一体どうなっていたのか。二度とあの道から逃れることは叶わなかったかもしれないと、考えるだけで政宗はぞっと身を震わせる。二匹を放置していた、自分の甘さに反省することしきりである。
がみがみと説教を続けていると、とうとう耐えきれなくなってぼたぼた涙を落とし始めた佐助が、だって、としゃくりあげながら呟いた。尖った耳がぷるぷると震えている。
「だって、だって、政宗が、お、俺たちの知らない人と話してるんだもん」
「別に初めてのことじゃないだろう。この村だけで何人が住んでると思ってんだ。俺だってここに座ってるだけが仕事じゃねえんだから、お前らの知らない奴と話くらいするよ」
「でも、あんな若い人初めてだった!あんな楽しそうに!」
ばっ、と顔を上げた佐助の顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃだった。泣きやまない佐助の背をさする小太郎はやはり表情が見えないが、雰囲気から察するに片割れの心配をしているのだと見える。時々ケンカはするが、仲はいい。欲しいものはいつだって二匹で共有する。
「お昼だって、あいつと食べようとしてたでしょ!ひどいよ、俺たちにはもうアンタしかいないのに、あんな、赤い、どうしよう、政宗絶対に騙されてるよ。あいつの政宗を見る目、変に熱くっておかしかったし」
「俺のダチを悪く言うな」
「う……うう……」
ぴしゃりと言い切られて、佐助はまた俯いた。ぼたぼたと大粒の涙が、こぼれては畳に落ちていく。小太郎はただ献身的に佐助の背をさすり、時には頭をなでて慰めている。見る者に庇護欲をそそる光景であったが、問題が問題だ。政宗はため息を一つ吐く。
「お前らにとってはちょっとした悪戯のつもりでも、俺たち人間にとっては命にかかわる大事なんだ。まだここにいたいというのなら、二度と人を化かすような真似はするな。次に約束を破れば、俺はお前らを絶対に許さないからな」
「…………」
「わかったら返事」
「……はい」
言葉を発さない小太郎は、代わりにこくんと頷いた。
「Okey. それと、アイツの何が気に食わなかったのか俺にはわからんが、どうせなら裏でこそこそするんじゃなく面と向かって堂々と文句を言ってやれ」
「……いいの?」
「うじうじしてるのは俺の性じゃねえ。それに、その方が面白いだろ?」
「政宗……!」
ニヤリと笑ってやると、佐助と小太郎の顔がぱっと晴れた。そしてその勢いで、どーんと政宗に突進するようにしがみつく。
「ちょ、お前ら重い。せめて順番に……」
「ごめんね。ごめんね政宗!」
わんわんと大声をあげて泣き出した佐助と、身体を震わせて必死にしがみつく小太郎を抱え、さてこいつらはどうしてくれようと政宗はまたため息を吐いた。
人の子でないと知りつつも、こうして全身で愛情を表現されれば情も映る。
愛してほしい、こちらを見てほしいと勇気を出して伸ばした手を振り払われる寂しさは人も妖も変わらぬ。政宗も知っているのだから、ああ、本当にどうしようもない。

「どうしようもない甘えん坊だな、お前らは」

苦笑して、政宗は二人の子供をぎゅうと抱きしめてやった。
次に幸村が来たときは(来てくれればの話だが)、何かお詫びをしなければならないだろう。そんなことを考えながら。




















オサキモチ

10.10/31

幸村が可哀そうな話しか書いていない気がする