「何々。王子は魔王の差し向けた試練を次々と突破していく、と……」
蔵書から引っ張り出してきた典型的ヒロイック・サーガを読みふけっている半兵衛の後ろでは、小太郎が配下の魔物たちに指示を送って王子の元へと送り込んでいる。といって本当に王子を倒してしまっては意味がないし、負けなければならない戦いで大怪我をするのも馬鹿らしい。頃合いを見て適当に死んだふりをするよう指示を忘れずに、しかもきちんとレベルの低い魔物から順番に送り込んでいる辺りが律儀な小太郎らしかった。
「でも、いいのかい?魔王が王子に倒されたなんて噂が立つかもしれないよ」
念を押すような物言いに、何の問題があるだろうと小太郎は考える。彼は魔王ではあるが、世界征服とか人類滅亡といった魔王らしい願いを抱いたことは一度もなかった。歴史の表舞台に名を残すつもりもない。ただ、この森で静かに過ごしていられればそれでいいのだ。自分が死んだことになれば、もう正義の味方や英雄たちは静かなだけのこの森に訪れることもないだろう。穏やかな時間を守るためなら、小太郎は自分の名声、魔王の誇りなんて何の未練もなかった。今回のことはただのお遊びだが、ちょうどいい機会でもある。むしろ噂を広めてもらわねばと思っていた。
「……君がそれでいいなら、僕は何も言わないけれど」
気負いも何もない小太郎を見て、半兵衛は肩をすくめた。どう見ても何かを言いたそうだが、それ以上は決して言わない。
ここへきて、今更ながらにちりりと焦げ付くような不安が政宗の脳裏を掠めた。何か大事なことを忘れているようだが、それが何かを思い出すことができない。
『囚われの姫君』らしく、政宗は特製の檻に入って幸村王子の登場を待っている。鍵は魔王の小太郎が持っていて、姫役を外へ連れ出すのは彼を倒さなければならないという設定だ。さっき1分で考えた。
檻は鳥籠の形をしていて、緩く弧を描いた銀の檻は細部に至るまで政宗好みの美麗な細工が施されている。サイズも、政宗の身長に合わせてちょうどいい大きさだった。こんなもんどこから調達してきたのか、それともいつから用意していたのか。そして何を入れるつもりだったのか深く考えると怖いことになりそうなので政宗は考えるのを止めたけれど。
「王子は無事試練を乗り越えたようだな。もうすぐここへやって来るぞ」
水晶玉を覗いて、幸村の様子をうかがっていたかすがが顔を上げる。いよいよラスボス戦である。今までだらだら寛いでいただけだったが、ともかく小太郎はラスボス戦への準備のためバサッとマントを翻すと、それだけで彼の姿は変貌していた。
赤い髪は錆びた血がこびり付いたようにより暗い色に変わり、鋏を入れたことのないような長い蓬髪へと。陰鬱な夜を思わせる漆黒の衣装は神への呪いの言葉を背徳的に縁取っていて、尖った爪の一本一本、全ての先までに魔力を浸透させうっすらと不気味な色に光らせていた。
そして、天高く伸びた一対の禍々しい金色の角。周囲に纏わりつく険悪な空気。

一体誰がこの男を前に希望を抱くことができるだろう。
彼は、生きとし生けるものに死と静寂をもたらす存在。文句なしに正統派の魔王スタイルである。

普段は城の屋上でぼーっとしてるだけの何の威厳もない小太郎だって、それっぽく見せることくらいはできるのだ。
きゅん、と乙女ゴコロを刺激された政宗が両手を胸の前で組んだ。
「Perfect……!格好いいぜ小太郎!最高だ!本物の魔王みたいだな!」
「いや、本物だからさ」
ツッコミの声も二人の耳には入らない。銀格子から腕を伸ばして指と指を絡め、うっとりと視線を交わす二人だけの世界。完璧な愛の形に誰も入れこめやしない。入ったら殺される。
かすがが悔しそうにハンカチを噛みしめた。
「くぅ、ここに謙信様がいたら私も薔薇を飛ばせるのに……!」
「僕だって秀吉がいたらこんなとこで脇役やってないっての。いやもう本当話進めようよ、王子すぐそこまで来てるんだから」





















さあ、いよいよラスボスだ!

「魔王、覚悟ぅおおおおお!!」
バタン!と勢いよく扉を開いて幸村王子が城の最上階までやってきた。ちなみに無傷である。小太郎の言葉を守り、城を守る魔物たちがさっさと白旗上げて素通りさせまくった結果だ。半兵衛が趣味で仕掛けていたトラップコンボ(レベル1)に見事嵌って、ラストの金タライが直撃した頭にちょっとコブができているが、これくらいなら気にする必要もないだろう。
最奥に鎮座したでっかい鳥籠の中から、それっぽい声で政宗が叫んだ。
「幸村ぁ!」
「政宗殿!今すぐお助けいたします!」
「フッ、それはどうかな!?」
バサッ!
駆け寄ろうとした幸村の前を、黒いマントが翻って行く手を遮る。血で染めたような長い髪に深淵の衣装、纏わりついて離れない闇の瘴気。いわずもがな、魔王役の小太郎である。
「数々の試練を乗り越え、この魔王の前に姿を見せたこと。まずは褒めてあげようじゃないか!」
びしっと長い爪先で幸村を指し、小太郎は朗々と宣言する。睨みあって火花を散らす王子と魔王。
どうでもいいが口パク合ってねえな、と政宗は思った。
「しかし、政宗君を君に渡すことはできない!悪いが君にはここで死んでもらうよ!」
嫌がっていた割にはノリノリな半兵衛の声に合わせ、小太郎がそれっぽくバサバサとマントをはためかす。はためかしているだけだ。大根役者にも程があるんじゃないだろうか、とスモークを焚いて雰囲気を演出していた裏方のかすがも思ったが幸村王子が気にしていないのが幸いだった。
「ならば、お主を倒して政宗殿を連れ帰るまで!覚悟ぉ!!」
「無駄なあがきを!ならば見せてくれよう、この僕の」





べちっ。





弱っ!!






この僕の、の続きを言う暇は半兵衛にはなかった。
二槍を構え突進してきた幸村を迎え撃つべく、腕を払い小太郎が放った衝撃波がモロにド真ん中ストレートで幸村に当たって壁まで吹っ飛ばしたのだ。
単純にレベルの差と魔王殺しの特別な武器を手に入れていないせいと占い師や魔法使いの啓示(今日の運勢は恋愛運絶好調。魔王をぼこって運命の人に自分の強さを見せる大チャンス!ラッキーカラーは赤。など)を受けていないせいである。
王子は英雄になる可能性を秘めているが、そのための準備を怠れば勇気はただの無謀となってしまうのだ。

人間って、脆い……

なんて人外らしいことを思いながら小太郎がアドリブに困ってうろうろしていると、はらはらと瓦礫の埃を散らしながら幸村王子が立ちあがった。その姿は既にボロボロで、槍に縋りついて立っているのがやっとであるがその双眸は未だ希望を諦めていない。
おお、と何故か感動する悪役組。ぱちぱちと拍手を送る政宗に応えるように、幸村が吠えた。
「このまま負けるわけにはいかぬ!囚われた政宗殿のためにも、そして、世界を闇から救い出すためにも……!」
知らぬ間に壮大な設定が付いていた。
二槍をしっかと握りしめ、今までにない気迫が幸村の身体を包む。

「うおぉおおおお!大華炎花火ぃぃぃぃいい!」

赤い炎を纏った槍を回転させ、周囲に炎が舞い踊る。
避けたほうがいいだろうか。大技を前に小太郎はちょっとだけ考えたが、実行に移すより幸村の槍が魔王の胴を貫く方が早かった。
ぼう、と燃え盛る炎。崩れ落ちる魔王。
ちゃりん、と空々しいまでに軽い音を立てて銀色の鍵が床に転げ落ちる。
面倒くさいからこのまま負けることにしたらしい。動かなくなった魔王を後に、幸村は鍵を拾い上げると鳥籠の檻の前まで走り寄った。
「幸村、こんな傷だらけの身体でよくぞ……」
「政宗殿を思えば、これくらいの傷痛くもかゆくもありませぬ」
しばし意味もなく見つめあう幸村と政宗。その背後で倒れたまま嫉妬の炎を燃やしている小太郎。
鍵を使って政宗を檻から助け出すと、二人は後ろを振り返らず魔王の城を去っていった。
そして流れるスタッフロール。
グッドEDのフラグ成立である。


「……はい、ご苦労さま」
「無事か?」
むく、と煤を落としながら小太郎が起き上がると半兵衛とかすがが舞台裏から顔を出した。
髪の毛がちょっと焦げついてはいるが、それくらいである。ファンタジーの世界でレベルの差は結構重大だ。
「で?これからどうするんだ」
かすがの問いに、角とか余計なオプションを引っ込めながら小太郎は首をかしげた。
実は全然考えてない。
政宗は『王子が魔王を倒す』までしか言わなかったし、そもそも人外の存在である小太郎が人間の物語の結末を知っているはずがない。
それはかすがも言えることで、二人は揃って半兵衛を振り向いた。読書好きで知識を詰め込むことに長い人生費やしている人物である。ひょい、と肩をすくめてだから言ったじゃないかとため息を吐いて見せた。

「御伽話のオチなんて、今さら言う必要もないだろう?」










魔王の住む森を抜け、幸村と政宗は街道まで出てきた。
道は目の前で二つに分かれている。右へ進めば政宗の生国。左を選べば幸村の国だ。
「じゃあ、俺こっちだから。本当に世話になったな。幸村」
分かれ道を前に、政宗はすとんと白馬から下りる。そのまま幸村に背を向け、去るつもりだったががっしりと腕を掴まれて怪訝そうに振り返った。
「……何だよ?礼なら、後日きちんとお前の国へ……」
「何、とは政宗殿の方でしょう。政宗殿はこのまま共に拙者の国へ参らなければ」
「…………Ha?」
なんで?と首を傾げる政宗へ真正面に向きなおし、幸村はきらきらと爽やかな笑顔を向ける。爽やか過ぎてて目に痛い。
ぞく、と、何故だか背筋に悪寒が走るのを政宗はしっかりと感じた。
「魔王を倒した勇者は姫を助け出した後、結婚して二人末永く幸せに過ごす。これぞファンタジーの常識!まさに王道!」
「ファンタジーでは常識でも現実は異常だろうが!」
「今はファンタジーの世界でござる!さぁさぁさぁ遠慮はいりませぬ!このままレッツウェディーング!!」
「近づくな顔を寄せるな息が荒いんだよふざけんなテメエー!!」
前に感じた悪い予感ってコレかー!?
後悔するが今更遅い。ウェディングどころかハネムーンもすっ飛ばして初夜へ雪崩れこむ勢いの幸村から必死に顔を逸らし、とにかく離れようとするが握りしめる手が馬鹿力過ぎてどうにもならない。
ふざけるな、と政宗は叫んだが幸村は真面目な男だった。純情一途で真面目なだけに、その情熱のベクトルが変な方向に向かうと歯止めがきかなくなってしまうのである。
真面目な男ほど思いつめると怖い、とはよく言ったものである……なんて、しみじみ考えてる場合じゃない。
全力をかけての押し問答の末、幸村の熱い吐息が、ふぅ、と政宗の唇を掠めたときとうとう何かの臨界点をぶちっと超えた。

「……いい加減に!」





ごすっ。





空中からの見事なダイビングエルボードロップが、幸村王子の脳天に突き刺さった。
「……こた!?」
完璧に大技を決めて見せたのは小太郎だ。半兵衛から物語の結末を聞き、自分というものがありながら他の男と結婚されてはたまらないと大急ぎでグリフォンに乗って政宗を追って来たのである。
上空から赤いものが見えたのでとりあえず飛びおりざま攻撃しておいたが、周囲を見渡せば滅多に泣かない政宗が肩を震わせてじんわりと左目を潤ませている。トドメに足もとの王子をぐりっと踏んでから、小太郎は最愛の人を抱きしめた。
「……!」
「小太郎……!」
ぎゅ、と背中に回される温かい腕。
政宗が、王子より魔王である自分を選んでくれた証明。
生きててよかった、としみじみ幸せに浸っていると、顔まで地面に沈められていた幸村がガバッと顔を上げた。
「なんと、先程の魔王ではないか!?何故ここに……!」
顔中泥まみれではあるが、怪我ひとつない。英雄たる資質、『強運』が時と場を選ばず如何なく発揮されているあたり彼はやはり大物である。
慌てて先刻の様に『変化』した小太郎は王子へ振り返り、政宗を後ろに隠すが文字通り返す言葉がない。

どうする?ここで殺っちまうか?

一瞬物騒な考えが浮かんだが、政宗に裾をくいっと引かれて近くの茂みに視線を移す。
きらりと緑の森には不釣り合いな金色が一瞬輝いたのを見て、小太郎は躊躇うことなく幸村を睨み返した。それっぽい行動をしてれば、あとはなんとかしてくれるだろう。

「ふん、あの程度の攻撃で私が死ぬはずがないだろう!相手の力量も見極められないとは、貴様の国はよほど人材に困窮しているようだな!」
「貴様……!我が国を侮辱することは許さん!」
「事実を言って何が悪い!大体、貴様らはいつも野蛮なのだ!やれ熱血だの漢だの暑苦しい……!少しは謙信様を見習って優美さの一つでも身に付けてみろ!」
「漢が熱血で何が悪い!そういうお主こそ、御館様の雄々しく猛々しい肉体美を理解できぬとは!」
「いいや、謙信様こそが最も美しい!」
「おぅやかた様こそが世界一ぃいいいい!!」





話が終わらないので煙幕張ってその場から逃げました。




















悠々と風を切って、グリフォンが空を飛んでいる。
その背には、小太郎と政宗。乗り心地は決して悪くないが、鞍もつけていないので油断すれば落ちてしまいそうだ。騎獣として調教しているわけでもない。良くも悪くも自由で、荒々しい飛び方。人の善悪なんて、彼らには関係ないのだけれど。
後ろから抱きしめられて、落ちないよう小太郎に支えられている政宗はふと力を抜いて彼に体を預けた。
ぽつりと、風に流されるように小さな声で呟く。
「……Sorry。迷惑かけた」
「……」
「……怒ってる、よな」
言葉の代わりに、小太郎は政宗を抱きしめる腕に力を込めた。白い首筋にそっと頬を埋める。
怒ってはいないが、不安だった。
やはり、最後に『姫』は魔王より英雄を、王子を選んでしまうのかと。自分を置いてどこかへ行ってしまうのではないかと。
政宗のことを信じていたけれど、それでも幸村は王子で、今はあんなのでも将来の英雄で、姫の相手としてこれ以上ふさわしい人間はいなかった。嬉しそうに政宗に駆け寄る幸村を見た時は本当に胸が潰れそうだった。あんな思いは、二度とごめんだ。
政宗が彼に応えたらどうしようと、彼に微笑みを向ける場面を想像するだけでも涙が出そうで、やっぱり殺っとけばよかったと今は思っている。
ぽつぽつと断片的な言葉で泣かれ、政宗は困ったように眉を下げる。小太郎にしか見せない笑い方で、幸村には聞かせなかった優しい声で。
「ん。もう、あんな我儘は言わねぇ。俺には、やっぱ王子より魔王の方が性に合ってるわ」
風になびく赤い髪を後ろへ流しながら、政宗の白い指がするりと頬を撫でる。
それでも不安げな、不満そうな小太郎の顔。自分は一言も声を出さないくせに、たくさんの言葉がないと彼は満足しないのだ。
なんて勝手な奴だろう。自分のことは棚に上げて、政宗は笑う。彼が不安になればなっただけ、自分の本音を言えばいいだけの話。

「お前が好きだよ、小太郎」

吐息のようにささやかな声。両手で頬を挟んで、真正面に視線を合わせる。幸せそうに綻ぶ目元。
そうすることが自然であるといった風に、二人は唇を重ねた。


本当なら住む世界から違う。
食い違ったまま思いを告げることもなく、恋をすることも叶わず、言葉を交わすことすら許されなかった魔王と姫君。
今は高い高い空の上で、邪魔をする者はどこにもいない。




















「でもさ、結局何も解決してないから幸村の奴また来そうだよな」
「…………」





次の日。
リベンジすべく再び魔王の城へ挑戦にやってきた幸村王子は魔王に淹れたての紅茶を勧められ囚われの姫自らが作ったかぼちゃケーキで素敵におもてなしされたそうである。

めでたしめでたし。










07.10/31
大昔「なかよし」に掲載された紫部さかな先生の読み切り作品のパロディ。南第一学園の人。
なにせ大昔なのでタイトルも忘れましたが、魔王とお姫様がラブラブで熱血王子を当て馬に愛を再確認する話だったのは覚えてる。
せっかく思い出したんでパロってみたらなんか違う話になりました。一言で言うなら、ごめんね幸村。