微かな衣擦れの音にうっすらと意識が浮上する。
だが、覚醒とまでは至らない。光よりも闇、喧騒よりも沈黙に慣れてしまったそれを引き上げようと、体の芯に残るじくじくとした痛みを思い出して開かぬ瞼を無理やり開けた。
思わず漏れたうめき声と布団の上で身じろいだ音が耳に届き、自分のものでない潜んだ笑い声が重なる。
「まだ寝ときなよ」
乾いた掌が頭を撫ぜる。すっかり冷めてしまったそれに心地よさよりも不快感を覚えて、政宗はそれを振り払った。
ゆったりとした動作は邪魔されることが無く、それがまた癪に障る。片膝を立て疲れた身体を起こすと、払われた手をひらひらと遊ばせて傷ついた風もなく飄々と笑っている佐助と目が合った。
手甲こそ付けていないがその身はすでに忍び装束に包まれており、いつでもこの部屋を抜け出ることができるようだった。先程まで漂っていた情事の気配など微塵も感じられない。こちらは未だ夜着一枚で無防備な姿をさらしているというのに、何と隙の無いことか。

「相変わらず薄情な奴だ」

ほつれた髪をかきあげながらその独眼で睨んでやると、相手は困ったように眉尻を下げた。
「毎回毎回、人が寝てる間にあっさりいなくなりやがる」
「そう言わないでよ。俺だって本当は旦那ともっと一緒にいたいんだから」
「ha!どうせならもう少しまともな嘘を考えてくれよ。睦言にもなりゃしねえ」
「うわ、酷くないソレ?ちょっと傷ついちゃった俺」
わざとらしく嘆いて見せながら、佐助は腕を伸ばす。文句を言いながらも、政宗は拒まない。首筋に両腕を絡ませ掻き寄せてくるその反応を、佐助は愛しいとさえ思う。
宝物のように抱きしめて白い首筋に何度も口付けを落とす。橙色の髪を梳かれる心地良さを手放したくはなかったが、故にその身を剥がして誤魔化すように笑いかけた。
「ごめんね、あんまり構ってあげられなくて」
「で、俺を放って真田のおさんどんか。忍ってのは忙しいもんだな」
否定できないこの身が空しい。この口の減らない想い人を負かせてやろうと、頬を手で挟んでへらりと笑って見せた。こうして茶化せば、態度だけでも酷く嫌がることを数度の経験で知っている。
「なーに。旦那、もしかして妬いてくれてるの?」
「妬いて悪いか」
まさか肯定されるとは思わなかった。
内心驚いて彼を見詰めると、彼の顔から人の悪い笑みが抜け落ちている。
政宗の指が佐助の頬をたどり、その滑らかさにひくりと息を呑んだ。
どこまでも深みのある低い声。


「行くなよ、佐助」
「そんで、そのまま俺のものになってしまえ」


月明かりの中、開かれた片目だけがゆらゆらと濡れたように光る。それが妙に艶かしい。
否定の言葉を許さないほど鋭い目線は、それでいて雲に隠れた月明かりの如く不確かで危うい。目を離した瞬間にどこかへ消えてなくなりそうで、誰でもない自分だけのために彼がそんな顔をしているということはとうの昔に無くしたはずの執着心を満足させる。
出来ることなら彼の願いをかなえてやりたい。
我ながら情けない顔で笑っていると思う。
抱きしめる腕に力を込めた。
(それでも彼が頭を垂れるのは竹を背負った雀ではなく赤い六文銭なのだ)
「……大好き」
「ンなこた聞いてねえんだよ、馬鹿が」
がつんと、目の前が暗くなる。星が飛んだかもしれない。佐助の頭に力の限り頭突きをしてやった政宗は、興味が失せたように不意をつかれてうずくまる佐助を放り捨ててさっさと布団に潜り込んでいた。
「ったく、色ボケた忍が相手だと悋気の出しがいもねえ」
「……返す言葉もございません」
「単なるJokeだ。本気にすんな」
異国の発音混じりに鼻で笑われる。佐助に背を向けたまま、追い払うようにひらひらと手をひらめかせた。
「さっさと行ってこい。そんで二度と帰ってくんな」
口調ばかりはいつもの尊大なそれだ。布団の中から煙草盆を引き寄せ、火をつける政宗の後姿。相変わらず可愛げのない反応だったが、仕様が無い奴だと、呆れてるんだか困ってるんだかと大きく息を吐くその顔がとても綺麗だと思ったから何も言わないで置く。
彼の望んだ答えでないことは知っているけれど。
ひらひらともう一度手が振られ、次いで発せられた言葉に佐助は口元を緩めた。
こんな自分でもかの人はきちんと愛してくれているのが嬉しかった。



「イッテラッシャイ」
「うん、いってきます」





かたりと一陣の風が走りぬけ、何事もなかったかのように静寂が戻る。
一人きりになった部屋のなかで、政宗は煙管から昇る煙に目をやりながら闇へ消えていった男に思いを馳せた。敵国の忍の癖して、やけに幸せそうな笑みを浮かべていた。あちこちをフラフラさ迷う様には苛立たしいと何度でも腹を立てるが、忘れる前にきちんと帰ってくるものだから始末に終えない。
「……coolじゃないねぇ」
どちらがどうとは言わないが。
まあ、気長にやるさ。
手に届きそうでその隙間をすり抜けていく、追いかけさせる。駆け引きなんていつものことだ。

にやりと一人呟いて、煙草の火を灰に落とせばそれきり部屋は闇に包まれた。










そして夜は昨日を繰り返す