もしその場に男がいたのなら、きっと一人でいるよりずっと愉快な時間を過ごせるのだろうという思いはあった。
しかし別段どうしてもいなければならないという訳でもなかったし、いなければいないで一人静かに時間を過ごすのも風流でまたいいと思う。政宗にとってはどちらでも構わないことだった。大体、その男が来て欲しいと思ったときに都合よく居合わせることから不可能に近いのだ。どこで何をしているか、どこに行くかなど聞いても教えてくれたためしがないし、そもそもまともな連絡を取り合えるような間柄でもない。彼は自分の忍ではないのだから。
それでも何度か顔を合わせて酒も酌み交わせばそれなりに情がわく。会いたいと思う時もある。
それまでに来なければ運が悪かったと見切りをつけて、結果橙色の髪をした忍が天井裏から政宗の寝所に現れたのは最後と決めた日から3日前のことだった。


「でも遅ぇ。Too late!」
「え、何、もしかしてここ俺が謝るところですか」
手前勝手に憤る政宗を前に、天井をざくざく槍で突付いて燻し出された佐助は何か理不尽なものを感じたが相手は気にしていなかった。手にした槍を元の場所にかけると、何事もなかったかのような顔で部屋の隅から瓢箪やらを取り出し草鞋の紐を結び始める。月の光も消えてしまいそうな夜更けだというのに、一国の主がどこへ出かけるのか佐助には全く理解ができなかった。
「どこ行くの?」
「付いてくりゃわかる」
肩越しに振り返って、にやりと口元を歪めた。僅かな夜光を吸収して隻眼が炯炯と光る様は、戦の時といい今のような夜といい、まるで化生の様な薄気味悪さと威厳を持った人間だと佐助は考える。
「盛りは過ぎたが、まあまだ見る価値はあるだろうさ」
それで大体の理由を察し、物好きな人だと肩を竦めた。





城を抜け出たと思ったら、随分と奥深い山の中まで来てしまっている。
鬱蒼と茂る木々の合間を二人して黙々と歩く、その時間は佐助の想像していたより長く、かといってそう大した時間でもなかったと思う。
「う、わ」
ざわ、と生温い風を受けて枝が一斉に揺れる。伊達の旦那はこれを見せたかったのかと佐助は頭上を見上げた。ひらひらと雪のような花弁が周囲を舞う。そこにあるのは、齢こそまだ若そうであったが伸び伸びと枝を走らせて周囲を睥睨する一本の夜桜だった。
「見事なもんだろ」
「凄いね。他のはとっくに青葉茂らせてんのに、まだ咲いてるのがあるなんて」
桜の木の下に腰を下ろすと、政宗は瓢箪を傾けて持参した杯に注ぐ。一つを佐助に差し出して、遠慮するところを無理やり持たせた。
「俺、これでもお仕事中なんですけど」
「偵察もできて美味い酒も飲める。良い仕事じゃねえか」
お前も飲めよと機嫌よく笑うと、くい、と白い喉を逸らして杯を煽った。
付き合い程度に佐助も口をつけると、確かに美味い。後味がすっきりとしていて、喉を焼きながら滑っていく辛口の感覚が心地良い。つい飲み干してしまった。
杯が空になると同時に、また政宗が酒を注ぐ。桜の花びらが一片ひらりと杯に落ちてきて波紋を浮かび上げる様を見せては、静かに笑う。

(ホント、なんで俺なんだろう)

彼の傍らにいたいと願う人間は、政宗自身が思っているよりたくさんいる。その中には佐助より政宗に似合いの人間も大勢含まれているだろうに。

「この桜も、前はこんな狂い桜じゃなかった」
佐助の思いをよそに、政宗は頭上の桜を見上げて息を吐いた。
「他の桜と同じ時期に咲いて、同じように散っていく、何の変哲もない普通の桜だ。なのに、何年前だったかな。遅れて咲くようになった」
「ふぅん」
「こんな山奥だ。わざわざ季節を外して見に来る物好きもいない。可哀想だから俺がこうして毎年来てやってる」
そう嘯く政宗を責めるように、一際強い風が吹いて桜吹雪が周囲を舞いあがる。
月の明かりも頼りなく、黒々とした木々に囲まれたこの場所は外界から隔絶されたかのような錯覚を受けた。暗い孤独に包まれ、それでも美しく咲き誇っている一本の桜。
「伊達の旦那みたいだね」
ゆっくりと鳶色の隻眼が瞬いて、佐助を見据える。酒気を帯びた紅の目尻、濡れた唇を舐める舌。零れる雫を拭う指。そんな小さなところに酔った色気と凄みが同居している。
こんなに綺麗な人でも、誰にも愛されてないと憎まれていると絶望した日があった。
「他のと一緒でいたくないだなんて、とんだ天邪鬼だよ」
「ha. なるほどね」
肩に寄りかかってきた政宗の身体は春だというのに随分冷たかったけれど、確かに自分以外の温もりがこの世界にあって、生きててくれてよかったとぼんやり考えた。桜は人を惑わせるから始末に負えない。
「ここで何があったの」
「大したことじゃねえ」



「人を半分埋めただけさ」
独眼竜が浮かべた笑みは、自嘲のそれだった。

(そして新しく生まれてきた貴方の生命を祝福しよう!)










目を植えた桜
06.5/10