「ちょっと油断しすぎじゃないの?竜の旦那」


音もなく天井裏から畳の上へと降り立つ、目の前にはこの城の主が仰向けで眠っている。
彼の腹の上には一冊の本がのせられていた。栞にするように本には右手が挟まれていて、読書中に睡魔に襲われたというところだろう。珍しいこともあるものだと佐助は皮肉に思う。
すぅすぅと、耳をすませば穏やかな寝息が聞こえてきそうなほど見ていてこちらも眠くなるくらい静かで安らかな寝顔であった。思わず頬が緩むが、同時に敵国の忍びを前にしてその白い首を晒しているのは些か無防備過ぎる。
胸元がざわめくように暗い誘惑。

「ねえ、今なら俺でも殺せそうなんだけど」

本当に小さく、囁くように呟くと懐から苦無を取り出し無造作に振り上げる。その切っ先は狙い違わず政宗の首を狙っていたが、彼が起きる気配はない。何も知らずに眠ったままで、そんな政宗を見つめる佐助の目は鷹が獲物を捕捉した時のそれに似ている。

「……あーあ、馬鹿みたい」

殺すつもりなど最初から無いくせに。
浮かべた笑みは自嘲。
苦無を放り投げるときれいな放物線を描いて畳にすとんと突き刺さった。政宗は人の気配や殺気というものに酷く敏い。あのまま苦無を振りかざしていれば、果たして突き刺さっていたのは政宗の首かそれとも佐助自身か。どちらも遠慮したいところである。
佐助は政宗の傍らに座るとそっと指先を伸ばして政宗の唇に触れた。そのまま頬に、鼻に、瞼に、顎に。
僅かに眉が顰められたがそれきりで、起きる気配がないことに佐助は内心安堵する。
気配に敏い政宗の寝顔を見ることが出来るのは、数少ない人間の特権だ。そして佐助は数少ないその中の一人だという自信がある。
不法侵入者の佐助が傍にいても寝ることをやめない、その無防備さが酷く可笑しくて愛しい。信頼されていると言う喜び。折角築いた信頼をこんなところで崩してしまうのは心底勿体なかった。
軽く閉じられた唇に自分のそれを重ねて、佐助はもう一度政宗の寝顔を見つめた。眠っているときは奥州の独眼竜も可愛いもんだと、口元を綻ばせる。

佐助は政宗の寝顔が一番好きだ。

飢えた獣のように目を輝かせて睨んでくる顔も好きだったが、眠っているときや考え事をしているときの目を閉じた顔は意外にも穏やかで見ていてとても安心する。静かな充足感に満たされて、心の奥を見透かすような鋭い目線に引け目を感じることもない。冷たく拒絶されることもない。

(受け入れられることもないけれど)


政宗はまだ起きない。
部屋を通り抜けていく夕刻の風が背中に寒い。


「……ねえ、いつまで寝てるのさ」

佐助はぴたりと身体を寄せて心の臓の上に右耳を押し付けた。
彼が瞼の裏で何を映しているのか、どんな夢を見ているのか知らないけれど、その中の一隅でいい。自分の姿があればいいと切に願う。その左目で自分を認めてくれさえすれば。

「まさむね」

右耳から政宗の規則正しい鼓動が伝わってくる。
ぼんやりと生命の音を数えていたら頭に何かがのせられた。髪を滑るそれが随分と優しい手つきだったので、ああ幸せだなあなんてにんまり笑って政宗の好きにさせる。目を閉じて世界を遮断する。










もうろうとした夢に酔いしれる
06.5/25