闇に包まれた部屋をふわりと一筋の煙が漂って空に消えていく。
蒲団の上で政宗が寝煙草を楽しんでいるのだ。
白煙の行く末を何とはなしに眺めていると、身体にするりと巻きついてくる腕がある。吸い付くように滑らかな感触が悪い気分ではなかったから好きにさせておくと、くすくすと軽やかな声が小さな部屋に響いた。勿論政宗の声ではない。
「どうした」
「何でも。ただ、政宗様がここにいることが可笑しくって」
だって、ありえませんよねえ。一国のお殿様がこんな薄っぺらい蒲団の上でさぁ。
だらしなく煙草を吹かしながら、違いがないから政宗は口を歪めて笑い返す。
身体が繋がった気安さだが、政宗はこの女のそういう遠慮のないところが気に入っているので何も言わない。殿様相手に猫のような気まぐれさえ見せる。今日も甘えるように爪を立てられた。
「帰してしまうのが惜しいくらい」
「一緒に帰るか?」
「駄目ですよう。あたしはね、貴方様がわざわざここへ来てくださるのが嬉しいんだから」
またくすくすと笑いながらしどけなく寄り添う女を、政宗は拒まない。そのふっくらとした唇を望みどおりに塞いでやった。それは政宗の楽しみでもある。
油皿に浮かんだ灯がぼうと一瞬大きく揺らめき、すぐに何事もなかったように薄暗い部屋を照らす。
不意に、政宗の隻眼が針金のように細められる。
しかし女が気付く前にそれは消えうせた。嬌声が静かな闇夜にひっそりと響く。
女の部屋を後にし、空を見上げれば今宵は光の見えない新月である。
勝手知ったる自分の城と、手燭も持たずに政宗はひとり暗い廊下を歩いて戻る。
未だ、女の甘酸っぱい残り香が身体に纏わりついているような心地がする。
女はいい。
温かくて気持ちが良い。それに柔らかい。
華奢な身体を抱きしめると、かたい政宗の身体にぴたりと寄り添う。
強弱の力に合わせて形を変え、優しく政宗を包み込んでくる。
全てを預けてくる女を抱えて蒲団に入れば、余計なことを考えずにゆっくりと眠ることができた。
与えられるものは、暖かい温もりと安心感。
あいつとは似ても似つかない。
柔らかいところなどどこにもない、骨と筋ばかりのあいつとは。
自室の前でぴたりと立ち止まり、政宗は皮肉気に口を歪めた。
「趣味が悪いねえ」
閉め切った部屋は真暗で奥のほうはほとんど見えない。足を踏み入れ、障子を閉めた途端政宗は横から腕をつかまれ強く抱き寄せられた。非難の声を上げるより早く、口を塞がれて政宗は目を開いたが相手がわかるとすぐに余計な力を抜いた。
噛み付くような口付け、こじ開けられた唇に舌が深く入り込んで熱く口内を貪られる。歯列をくすぐり、舌と舌を絡めて唾液を吸う。知らず熱中していると、気がつけば床に押し倒される形となっていた。
溜息のような熱い吐息が政宗の首をくすぐる。
目に映るのは覚えのある特徴的な忍び衣。やや硬質の髪の毛。背中に手を回して政宗は親しげに話しかけた。
「久しぶりだな、武田の」
政宗を抱きしめたまま、佐助はそれには答えない。埋めた鼻をすんと動かし、低い声で一人ごちる。
「……何か甘ったるい匂いがするんだけど」
「ああ、やっぱ匂いが移ってたか」
口調だけでなく、雰囲気までどこか不機嫌に見えるのは政宗の願いだけではないだろう。
少しも悪びれずにくつくつと喉を鳴らして響く笑いを、佐助の声がさえぎる。
「アンタさァ、俺が見てるの気付いてたでしょ」
「見る?何を」
「本当、趣味悪い」
何でわざわざ奥州くんだりまで来てアンタが他の奴と寝てるとこ見なきゃなんないの。
吐き捨てるような早口。
ああ、やっぱり不機嫌だ。怒っているかもしれない。
顔がにやけているのが自分でもわかる。
「妬けたか?」
「話を逸らさないの」
「逸らしてねえよ」
抱きしめる腕に力が篭る。
「お前が悪いんだ、佐助」
橙色の髪を撫でながら愛しげに続けた。
「お前が、全然顔を見せないから」
さみしかったんだぜ?
髪に唇を寄せて煽るように囁くと、佐助に耳を甘噛みされて政宗は柳眉を寄せる。ぬるりとした感触が耳から離れていくと同時に、微かな衣擦れの音と共に佐助が半身を起こした。
「それが理由?」
「お前が来るのを知ってたら、大人しくしてた」
「無理言ってくれるよ……」
政宗の頬を撫でながら、佐助が苦笑いを浮かべて見せる。その目は笑っているのかいないのか。暗闇の中、僅かな明かりを集めて鋭い双眸がとろりと光る。
「退屈しのぎはさ、もうちょっと可愛いので済ませてくれると嬉しいンだけど」
飄々とした口調が逆に残酷に響く。それを心地よく聞きながら、政宗はゆっくりと目を閉じた。
覆い被さるように抱きしめてくる佐助の身体。
骨ばったお互いの薄い胸、かたい男の体。
女とは何もかもが違う。
女のように優しくも柔らかくもない。寄り添ってくることもない。
加えて、この忍びはいつ寝首をかいてくるかわかったものじゃなかった。
とうにわかっていることなのに、胸の奥がじくじくと痛む。これは警報だろう、これ以上進んでしまえばろくな結果にならないという理性の。
それでもこの男を選んでしまう辺り、自分も大概イカレていると思った。
|