左頬に貼ったテープを剥がすと、ぺり、と引き攣られる感触。
痺れるような痛みに顔を顰めながら、傷口に手をやって具合を確かめる。
その手の甲にも大きな引っ掻き傷があった。
猫にやられたのならまだ可愛かったんだが、と苦笑する。
鏡を睨みながら手当てを始めていると、外から大きな音が聞こえてきた。
どぉん。
政宗は窓を見ない。
安さで選んだこの部屋だ、花火が見れる特等席など最初から諦めている。
どぉん。
わぁ、と広がる歓声が遠い。
窓を開ければ、さぞかし大きな音が鼓膜を振るわせるに違いない。
せっかくクーラーで冷えた部屋が暑くなるから、開けるつもりはないが。
無感動に聞き流していると、玄関の方でがちゃがちゃと金属音が鳴っていることに気付く。
次いで、扉の開く音。
ただいまー、と明るいだけが取り柄の声に振り向くと、丁度佐助が部屋の戸を開けたところだった。両手に荷物を抱えているから、戸を足で蹴っての入場である。
行儀の悪さに最初は辟易したが、もう慣れた。最近は政宗も足でリモコンを引き寄せたりする。
ぱたんと鏡を伏せて佐助を迎えた。
「早かったな」
「うん、俺もあんまし人ごみとか好きじゃないし。それに、こんな顔じゃねー」
困ったように眉根を寄せて笑うその顔は、左目の辺りが青く腫れ上がっていた。今は絆創膏で隠している切り傷は、政宗が指輪をつけたまま殴ったせいだ。
「屋台のおにーさんに笑われちゃった」
「ひっでぇ顔」
政宗の言葉を聞いて、佐助は肩を竦めて笑う。
にやりと腫れた左目がいびつに歪んだ。
「アンタもね」
違いない。
笑うと、佐助に殴られて切れた口の端がひりひりと痛んだ。
佐助に本気で殴られたのは、昨日が初めてのことだった。
政宗が佐助を本気で殴ったのも、多分初めてだ。
「んじゃ、とりあえずかんぱーい」
「お疲れさん」
佐助が夜店で買い集めてきた焼きそばやお好み焼き、イカ焼きとうもろこしといった定番メニューをずらずらテーブルの上に広げ、冷蔵庫で冷やしたビールを缶のままで飲む。
ゴムみたいに伸びたチープ感溢れる焼きそばは、祭という特別な空間の中で食べるからこそ美味いのだと改めて思うが、これはこれで妙な旨味があるのが不思議だった。
焼きそばを半分だけ食べて、政宗はかき氷に手を伸ばす。さくさくと氷の山を削って食べやすいように混ぜていると、しなびたフライドポテトを飲み下した佐助が口を開いてくる。
「やっぱ、まだ痛む?」
「……そんなヤワには出来てねえ」
一瞬何のことかと疑ったが、佐助の目線で見当が付いた。昨日酷く打ち据えられた右腕の所為だった。知らず動きがぎこちなくなっていたのだろう、何でもない風を装っていたかったのにこれは致命的な失敗だった。
気まずさを隠してそっけなく返すと、よかった、と佐助が安心した顔で笑う。
手を上げたことを気にしていたのかもしれない。
政宗も遠慮なく佐助をぶん殴ったりしたのだからお互い様だと思うのだが、心配されて悪い気分はしなかった。お互い、嫌いな相手ではないのだから。
綻ぶ笑みを隠して、政宗は黙々とかき氷を混ぜることに熱中する。
その様を、佐助は柔らかく目を和ませてそっと見つめている。
嘘みたいに、二人して昨日までの怒りとか苛立ちといったものは綺麗に霧散していた。
(言いたいことはたくさんあるけれど)
どぉん。
わぁぁ。
響く花火の音と、賑やかな歓声。
窓の外から聞こえてくるそれらは、酷く遠く感じられる。
コンクリートの上にずらりと並んだ夜店の道を、いつ途切れるとも知れない人ごみにまぎれて歩くのも大変だったことを佐助は思い出す。
数も数えられないほどの人々の熱気に当てられ、自分まで訳もなくそわそわと落ち着かなくなるような祭の夜。
階段登って扉を閉めて、借りた部屋に飛び込めばしかしそこは二人だけの世界だった。
窓から外を見れば、祭を楽しむために歩を進める人々の姿をたくさん見ることが出来るのだろう。
けれど今この場にいるのは佐助と政宗の二人だけで、何故だかはそれが特別のことにように思われた。
「世の中、こんなに人がいるのにさ。それでもアンタのこと一番好きなのは俺だと思うよ」
真っ暗な窓の外を眺めながらしみじみと頷くと、かき氷を攻略していた手を止めて政宗に笑われる。
「ha!健気だねえ」
「……あのさあ、俺これでも真面目に言ってんだけど」
「そんなら病院行ってこい。今すぐに」
「冗談キツイなあ。政宗は俺のこと嫌い?」
「知らなかったか?」
声と同時に、ぐいとスプーンが佐助の口に押し込まれる。
ごくりと飲み込むと、甘いブルーハワイの味がした。
口を大きく歪めて政宗が満足そうに笑う。
自分がつけた傷口を晒しながら笑う政宗の顔を見るのは、それなりに幸せだった。
「ねえ、俺はアンタのこと、 」
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