ハッピーエンド!
バタン!と大きな音を立てて目の前の扉が閉まる。その何よりも雄弁な拒絶が悲しくて佐助はわっと声を上げて泣き伏した。顔を覆った両手の隙間から涙がほろほろとこぼれ落ちるが、いくら謝っても名前を呼んでも政宗が帰ってくる気配なんて微塵も感じられなかった。それがまた悲しい。
政宗と喧嘩した。
喧嘩してしまった。喧嘩なんて別に珍しいことじゃないし、二人にとっては日常茶飯事だ。といっても政宗は遠慮深いところがあるから(と、佐助は信じて疑っていない)いつだって先に感情を暴発させるのは佐助の方で、何かしらの些細な理由で一方的に怒ったり不安になったりして目の前が真っ白になるくらいの勢いで政宗に突っかかる。
つれない態度が悔しくて今日みたいに泣き出してしまうことも数知れずあるけれど、政宗は感情表現が下手で照れ屋で、何より優しいから(と、佐助は信じて疑っていない)どれだけ酷いことを言っても最後には必ずといっていい程政宗の方から折れてくれた。
仏頂面のまま頭を撫ぜたり背中を擦ってくれたり、時にはキスをして佐助の心を落ち着かせて、その度佐助は二人の距離がぐんと近まったような気持ちになって同じくらい心を込めたキスを返しながら、現金だといわれてもやっぱり愛してるんだよね、なんてベッドの中で二人シーツに包まって幸せに耽ったりするのだ。
それについて政宗からの感想は特に無い。何故なら恥ずかしがりやさんだから(そんなところも愛してる!)
だから罵られようが殴られようが、ドメスティックヴァイオレンスにだって耐えられる自信があった。
そんな佐助が一番耐え難いのは無視されることだったりします。マジで辛いです。
政宗がマンションから出て行ってしまった。財布と鍵だけをジーンズに突っ込んだいつもの格好で、いつもの英語交じりの皮肉も溜息も、見慣れた呆れた目線さえ落とさずに佐助の存在を頭から無視して目の前を通り過ぎていく政宗を佐助は呆然と見送ることしか出来なかった。
もし追いかけたとして、それでも知らない人を見るような顔で(もしくは振り返りもせず!)振り払われたらそれだけで生きていける気がしない。死にはしないけど生きていけない。
喧嘩なんてしなければよかった。あんなこと言わなければよかった。
十数分前の自分がしでかした軽率な行動を激しく後悔しながら、佐助はしくしくと涙の止まらないままガラスの破片を一枚一枚拾い上げていく。政宗を食器棚に無理やり押し付けたときの衝撃で落ちてしまった、哀れな皿の成れの果てだ。
政宗はアレで食にうるさくて、美味しいものを美味しく食べるため盛り付け方法にもこだわりを持つ性質だ。涼しげなガラスに描かれた瑞々しい薔薇の模様は、確かに見るものの目を楽しませてくれてついでに料理を美味しく引き立ててくれた。政宗が気に入っていた、とっておきの一枚だった(弁償できるかな)
大きな破片を大体拾い終えてしまい、近くに積んであった新聞紙に包んでしまうとしんと静まり返った部屋に一人きり、他に何をする気も起きなくて佐助はまたさめざめと泣き始めた。思い出すだけで泣けてくるのだ。
泣きすぎて目が痛い。涙の跡はもう多すぎてどれがどれだか見分けもつかないし、鼻の周りがひりひりする。こういう時政宗は呆れながらもいい匂いのするハンカチを貸してくれたし機嫌がよければ拭ってくれたのだけど、今日はその肝心な政宗がどこにもいなかった。
無視するくらいなら一発ぶん殴ってくれた方がどんなにマシだったろう。ばらばらになった目の前の残骸が今の佐助と政宗を表しているようで悲しくて仕方が無い。彼は優しいけれど厳しい人なのだ。
政宗は帰ってくるのだろうか。
帰ってこなかったらどうしよう。
許してくれなかったらどうしよう。
冷たいフローリングの床に座り込んだまま、ぐるぐるうじうじとそんなことばかり考えてしまうのだから涙と嗚咽はなかなか止まってくれなかった。
泣き潰れた声がしわがれていて我ながら嘆かわしい。
「……政宗の馬鹿」
自分ではない誰かが立てた、かたん、という音に佐助はハッと顔を上げた。泣き疲れていつの間にか眠ってしまっていたらしい。しょぼついた目を擦って時計を見れば、あれから三時間ばかり過ぎている。
物音は玄関の方から聞こえてきた。変な座り方をして萎えてしまった足を無理やり立たせて、もしかしてという期待と不安を半々に抱えながら佐助はおずおずと顔を覗かせる。
「政宗……?」
「……げ」
果たして、そこには政宗が立っていた。目が合った瞬間盛大に眉を顰められて「げ」とか言われたら誰だって傷つくと思うけど(特に佐助は繊細なんです)、それより政宗の革靴を脱いでいる右手とは逆、左手に抱えているものに佐助は目を奪われる。
レースとリボンで包まれた、それはそれは綺麗な薔薇の花束。割れてしまった皿の模様と同じくらい瑞々しく鮮やかな真紅の薔薇は、確かに政宗にとても似合っていたけれど彼の趣味じゃないことは知っている。ならばその薔薇は誰のために?
「それ、もしかして……」
「……いや、別に……」
政宗は決まりが悪そうな顔をしてそっぽを向いてしまう。空いた右手で髪をかき混ぜながら、何と言おうか迷っているんだろう。
仲直りに薔薇の花束なんて、現実的なくせにロマンチストな面もある政宗らしい。取り繕う必要も無いのに、どうしよう、そんな子供みたいなところも可愛くって大好きだ。
政宗はそのまましばらく黙り込んでいたけれど、やがて恥ずかしそうに(と、佐助は信じて疑っていない)溜息をつきながら花束を差し出した。
(頬をほんのりと紅く染めて明らかに何かを期待している顔で手元の薔薇を見つめている佐助に、まさか外で上杉の住職と一緒に飯食ってきてお土産に薔薇持たされました、なんて言っても信じないことを経験上彼は知っているのだ)
「………………………………やる」
「政宗ええぇっ!!」
「って、うわ、離せおい!」
思わず感極まった声で名前を叫んで、キラキラと点描とかハートを飛ばしながら佐助は政宗の胸に文字通り飛び込んだ。薔薇が政宗の手を離れて宙を舞う。
ちょっと勢いが余って玄関に押し倒す形になってしまったけれど、非難の声を上げながらも政宗がしっかり支えてくれたのが本当に心から嬉しくて安心して、そしてまた泣いてしまった。
「ごめんね政宗!」
胸に顔を埋めたまま、ごめん、ごめんねと何度も涙声で捲し立ててくる佐助に政宗は呆れた顔でしばらく好きにさせていたけれど、シャツが涙で皺だらけになった頃佐助の頭に右手を伸ばしてわしわしと撫ぜながら佐助の気持ちを落ち着かせて、顔上げろよ、とぶっきらぼうに声をかけた。
「とりあえず、その酷い顔何とかしようぜ。You see?」
泣きすぎてシャツ以上にぐしゃぐしゃになってしまった佐助の顔を、呆れたような、けれど優しい苦笑を浮かべながら政宗はいい匂いのするハンカチで拭ってくれた。
こんなに優しくしてくれるなら、偶には喧嘩も悪くないなあなんて、数時間前とは全然違ったことを思ってみたりして。
嫌がる恥ずかしがる政宗の顔にとっときのキスを贈って、佐助は満面の笑みを浮かべた。
ああ、もう大好き!
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