キャンディ





      「Trick or treat?」





      さすが外国育ちというか、発音は綺麗なものだった。
      絵本に出てくるような、つばの広い馬鹿でかい先の尖った黒帽子を目深に被っている、カラスのように黒づくめの女。
      左右非対称で、歪みやねじれのある頓狂なデザインは阿門の美意識からかなりかけ離れていたが、そんなこと目の前の女は全く気にしていない。
      にっこりと、むしろ反応を楽しむように笑う葉佩に阿門は大きくため息をついた。
      思えば、こんな思いをするのは半年振りだろうか。
      3月の卒業式に別れて、そのまま春が過ぎ夏も過ぎ秋になり、そう、もう半年を過ぎてしまった。
      何の音沙汰もなく、それも仕方がないと思っていれば、ふらりと前触れもなく阿門邸に現れ「Trick or treat?」と問いかけられる。何の関連性もあったものじゃない。

      「……それを言うためだけに、わざわざ戻ってきたというのか」
      「まさか、本当にまだアンタがいるとは思わなかったけどね。運がよかったよ」
      「學園のセキュリティーは」
      「俺を誰だと思ってんの?」

      一種の傲慢とも取れる、挑発的な笑み。
      それだけで、葉佩がまだ《宝探し屋》という危険な仕事をやっていることが容易に知れた。
      天香學園の遺跡を開放してからも、この世界のどこかで、どこかの遺跡で、目を輝かせながら変わらず《秘宝》を探しているのだろう。
      帽子のつばを爪弾きながら、世界を又に掛けるトレジャー・ハンターは身軽な動作で阿門愛用の机に乗り上がる。
      礼のなっていないその所作を見て阿門の眉間に皺が寄ったが、やはり一向に気にせずすらりと伸びた足を優雅に組んだ。

      「知ってるとは思うけど、去年も不法侵入者がいたんだぜ。見直した方が良いと思うよ」
      「善処しよう。それでお前は何の用だ」
      「Trick or treat!」
      「どちらも御免だ」
      「だと思った。まあ、無いなら無いで構やしないんだ。単なる口実だしね」

      にっこりと、肩越しに浮かべられた悪戯っぽい笑みに阿門は何も言わず寄った米神を解す。
      それはわかっている。たかが嫌がらせ一つのためにわざわざ海を渡って大陸を越えるなんてこと、普通ではありえない。ありえない、と思うことを平然とやって見せるのが葉佩という人間なのだが、あまり想像したくはない。
      葉佩は机の上でくるりと身体を反転させ、両手をとん、と机にのせる。
      綺麗に塗られたマニキュアの色が印象的だった。
      ビターチョコレートを思わせる両瞳が、すい、と細まって笑う。





      「久しぶりに、顔が見たかった」





      それだけか。

      最初に思ったのは、本当にそれだけだった。
      顔が見たかった。ただそれだけの理由で、真夜中におかしな帽子を被って、厳重なセキュリティを破って、もしかすれば遠い国から、いないかも知れない人間に会いに。
      馬鹿らしいと次に思ったが、同時に葉佩らしいとも考えてため息をつく。
      葉佩はやはり、ありえないと思うようなことを平然と行なう人間だった。自分の顔が見たい、なんて口説き文句じゃあるまいし。
      ……口にはしないが、悪い気がしない。

      「……そうか」
      「そう。元気にしてた、会長?」
      「お前がいないお蔭でな。それに、俺はもう生徒会長ではない」
      「俺にとっては、いつまでも生徒会長さ」
      「止めろ。むず痒い」
      「へー、会長もそう思う時ってあるんだ?」
      「当然だ」
      「だったら、何て呼んで欲しい?阿門?阿門様?門ちゃん?それとも坊ちゃま?」
      「……止めろ」
      「駄目?……じゃーねぇ」

      視線を宙にさ迷わせ、しばし考えるそぶりをしていたが良い案が浮かんだらしくまたにやりと笑う。
      両手を伸ばし、机に置かれた阿門の右手をそっと撫ぜて通り、包み込む。
      吐息がそっと阿門の頬の傍を吹き抜けた。葉佩の顔が、近すぎるほど近づいている。






      「帝等?」






      甘い香りが微かに届く。
      香水ともアロマとも違う、しかし覚えのあるこの香りは何だったか。




















      「失礼致します。坊ちゃま、お茶がはいりましたが……」




















      「あぁん、
      千貫さぁーんっっ










      ばっ、と音が聞こえるならそんな風を切る音。
      何の未練もなくあっさり葉佩は阿門から離れると、文字通り飛んでいって千貫を心底嬉しそうに扉を開いて迎える。
      この屋敷の主は阿門なのだが、葉佩はそんなこと全く気にしないのだ。
      紅茶一式とお茶請けを載せてきた千貫に、やたら丁寧に優しく接していたりする。

      「あ、運びます運びます。俺にやらせてください」
      「いえ、お気になさらず。どうぞ楽になさって下さい」
      「いいんですよー。こっちがやりたくてやってるんですから」
      「有難うございます、九耀さん。相変わらず手際がよろしくていらっしゃる」
      「そんな、俺なんてまだまだ……」

      ぽ、と顔を桃色に染めると両手を頬に当てて恥らう葉佩。
      先ほどまでの威勢、更に言うなら艶気はどこに行ったのやら。お前は誰に会いに来たのかと、そう問い詰めてやりたい気分。


      葉佩に握られた手を開くと、セロファンに包まれた極彩色の飴玉が一粒転がっていた。
      ああ、さっきの甘い香りはコレのせいだったのかと、どこか遠くで考える。にっこりと、葉佩がタチの悪い魔女のように笑っている。










      ウチの葉佩も例に漏れず執事さん好きー。会長イジメも大好き。

04.10/31