マドンナの宝石





    「あ、マニキュア発見」

    何も文句言われないのを良いことに、好奇心丸出しで辺りを物色していたら意外なものを見つけてしまった。見つけた場所が、例えば教室や女子寮ならばおかしくも不思議でもないだろうが、タロット研究会の部室という辺りに葉佩はもの珍しさを覚える。
    机の引き出しから取り出し、目の高さまで持ち上げてラベルを読む。
    ゴールデンスパーク。細かいラメがちらちらと光る、黄みの強い綺麗な金色だ。
    誰かの忘れ物だろうか?
    この部屋の主に尋ねると、あっさりと葉佩の質問に答えくれた。

    「ソレ、僕ノデス」

    ……トトって、そんな趣味があったのだろうか。
    葉佩の記憶の中では一度としてそういう記憶はないが、人とは変わるものである。
    塗るのか。自分で塗るのか、そのマニキュアを。双樹や朱堂じゃあるまいし。
    どうにも上手い想像が浮かばなくて葉佩は頭を悩ませるが、そんな彼女の様子に気づかずトトは言葉を続ける。

    「金色ガキレイッテ言ッタラ、プレゼントシテクレマシタ」
    「女の子に?」
    「ハイ」
    「……トトって、実は人気あるよな」

    タロット研究会の占いは、よく当たると最近評判になっていることは葉佩も知っている。
    葉佩がこの部屋に訪れたのは初めてのことだが、休み時間には結構色んな人が足を運んでいるらしい。
    友達ができないことを悩んでいたから、良い傾向だと思う。
    朝からたくさんの女生徒に囲まれている姿を見た時は、ここまで好かれているのかと驚いたけれど。
    ああ、そこあんまりトトに引っ付くな。触るな袖を引っ張るな。お前らつい最近までトトのこと全然興味なかったくせに!とまでは考えなかったが。本当に、微塵も、1ミリたりとも考えなかったが。

    「我ガ王ノオカゲデス」

    にこりと、トトは人懐こい笑みを浮かべた。
    その言葉は日本語としてはまだ拙いけれど、屈折することなく真正面から葉佩を揺さぶってくる。

    「色ンナ人トタクサン仲良クナルヨウニナタノ、本当ニ最近。貴女ガ僕ヲ救ッテクレタカラ、僕ハミンナトタクサン話シスル勇気ツクルコトガデキマシタ」
    「そんなまっすぐ言われると照れるんだけど……」
    「本当ノコトデス」
    「……それは、どうもありがとう」

    手放しで褒められたせいか、ひどく気恥ずかしい。
    赤くなった姿を見られまいとトトから顔を逸らすと、不思議そうな顔をされてしまった。

    「ドウシテ、我ガ王ガオ礼ヲ言ウノデスカ?」
    「トトが、俺を褒めてくれたから。嬉しい時だってお礼を言いたくなるのさ」
    「ジャア……コッチハドウイタシマシテ、デスネ」
    「うん」
    「僕モ、ソウ言ッテクレテ嬉シイ。アリガトウ。我ガ王」
    「どういたしまして」

    言葉のやり取りがおかしくて、二人で一緒に笑う。
    ふと手に持っていたままのマニキュアを思い出して、トトに返す。
    返されたそれをトトはしばし見つめていたが、葉佩を振り向いて口を開いた。

    「我ガ王ニ、コノマニキュア塗ラセテクダサイ」
    「これはトトが貰ったやつじゃないか」
    「デモ、僕コウイウノ使ワナイ」
    「……そりゃそうだ」

    忘れかけていた、嫌な想像を思い出して苦く笑う。
    使う人間がいないとなると、このマニキュアは部屋に飾る位しか利用価値がない。
    それは何だか勿体無い話であるし、誰かに塗ってもらうなんて経験、早々あることじゃない。

    「貰ラッタ時カラ、ゼヒ我ガ王ニ使テ欲シカッタ」
    「じゃ、お願いしようかな」

    葉佩が右手を差し出すと、トトは嬉しそうにぱっと顔を輝かせた。
    見ているこっちまで嬉しくなってしまいそうで、彼のこういう顔が葉佩は心底好きだったりする。







    椅子を動かしてお互いが向かい合うように座ると、トトは改めて葉佩の右手に触れる。
    葉佩の手は、俗に言う「白魚のような手」からは程遠い。それは、一応女だから手入れは怠っていないつもりだけれど、仕事柄生傷が絶えなくてどうしても荒れてしまう。特に指先は触ると少しざらざらしている。色は黄色人の父親に似て白くない。毎日のように銃やナイフを握っているため所々皮が固まって厚く、タコも多い。力だって強い。
    それでもトトの手は葉佩よりもずっと大きくて、ずっと太陽に黒く焼けていた。
    葉佩の手を片手で包んでしまえそうなトトの手の大きさに、頼もしさと劣等感を同時に感じてしまう。

    その大きな手が、太い指がマニキュアの細い筆を動かしている。不思議な気分だった。
    意外と丁寧な手つきで、動きに無駄がない。たった数回で綺麗な金色が葉佩の爪に乗せられていく。
    あっという間に右手が終わって、その手際に葉佩は左手を差し出しながら感嘆のため息をついた。

    「……上手だなー、トト」
    「アリガトゴザイマス。細イ作業、得意デス」
    「手際も良いしさ。慣れてるって感じがする」
    「エジプトデモ、何度カ頼マレテヤッテマシタ」
    「へー。何か羨ましいな、その人達」

    葉佩にとっては何気ない相槌の言葉だったが、トトにとっては何か思うところがあったらしい。
    やはり素早く最後の爪まで塗り終えると、筆を止めて葉佩を見つめる。そのあまりにも真摯な顔と言葉のせいで、不覚にも胸が高鳴りそうだった。



    「我ガ王ガ望ムナラ、二度ト他ノ人ニヤラナイ」



    「……えーと、あの、それはどういう意味で」
    「我ガ王ハ、僕ノ一番ダカラ。貴女ガ喜ブコトタクサンシタイシ、嫌ナ思イハサセタクナイ」
    「(懐かれたなあ……)」

    気持ちは嬉しいが、やっぱり恥ずかしい。
    返す言葉が思い浮かばすに苦笑していると、トトは席を立って葉佩の目の前に立った。
    頬に褐色の手が添えられる。逆らう理由も見当たらなかったから促されるまま少し上を向くと、トトの真直ぐで綺麗な闇色の目と視線がかち合う。真直ぐに微笑んでいて、何となく微笑み返す。


    「愛シテマス、僕ノ唯一ノ人」


    本当にすぐ目の前に、トトの精悍な顔。さらっ、とトトの前髪が揺れるのを見ていたら、視界が遮られた。
    口を塞がれて、一瞬呼吸が止まる。










    …………





    ………………どうしよう。


    唇に押し当てられた、柔らかい感触の正体に気づいて葉佩は今更ながらに考える。
    こういう時は、殴ったり蹴りを入れたり、とにかく拒絶の意思を伝えるべきだろう。
    いきなりなんて酷いわ!とか何とか、そういう台詞も叫んだほうがいい。
    いきなりでなければいいのか、なんてあげ足をとられそうな気もするが、大事なのは勢いだ。とにかくだらりと下げたままの腕を動かそうと力を入れて……





    ま、いいか。
    考えることをあっさり放棄すると、葉佩は両目を閉じた。



    だって、まだマニキュアが乾ききっていないのだ。



    抵抗したら、きっと歪んでしまう。
    折角トトが塗ってくれたのに、無駄にするなんて勿体無い。


    殴りかかる代わりに、両腕を伸ばしてトトを抱きしめ返す。
    甘えるようにトトが頬をすり寄せてくるのでくすぐったい。
    彼の背中では、きっと黄金色の爪が陽光を浴びてきらきら光っているのだろう。

    そう思うと、何故だか笑みが浮かんだ。










    トトは色々器用そう。そしてエジプトの荒くれたちに可愛がられてるといい。
    異性に爪を塗ってもらうのって凄く色っぽくないですか?

04.11/19