by the side
「すんません、九耀さん呼んでください」
「くよう……ああ、葉佩ね?あっれ、さっきまでいたんだけど」
「馬鹿。葉佩なら、英語ん時に皆守とどっか行ったぜ」
教室を見渡して頭を掻いた生徒に、もう一人が助け舟を出す。
それを聞いた夷澤は、忌々しげに小さく舌を打った。
皆守と一緒に、か。
予想はしていたが、面白くない。
「何か伝言があるなら伝えとくけど」
「いえ、いいです。どうも」
二人に適当に礼を言うと、夷澤は歩きながら携帯を開いて、メールを送る。
あちこち探すよりはこの方が手っ取り早い。
『今、どこにいますか?』
階段の踊り場、壁に背を預けてしばらく返事を待つ。
しばらく経っても返事が来なかったら、今度は直接電話をかけるつもりだった。
携帯を眺めること数分。メールの着信音に再び指を動かす。
来たのは、もちろん葉佩からの返信。文章をさっと読む。
といっても、たったの一行だから読むほどの内容ではなかったが。
『ねます』
「答えになってねー!!」
突然の叫び声に周囲の人間が驚いてあとずさり、同時に好奇の目を向けたのは言う必要もないだろう。
屋上のドアが勢いをつけて開け放たれると、冬の冷たい風が音を立てて階段を走り抜けていく。
現れた人影に片手を挙げ、皆守は迎えてやった。
「ああ、早かったな」
「……何してんすか、センパイ」
「昼寝に決まってるだろ」
「そんなこた聞いてないんですよ」
苛、と目を怒らせて夷澤が答える。
壁に背もたれ、悠々とアロマを咥えるその姿は知っている人なら見慣れたものだ。
夷澤にとってはそう見慣れた光景ではない(つーか見慣れたくもない)が、いつも通り授業をサボって昼寝を楽しんでいたであろうことは容易に想像がつく。
問題は、厳密に言えば皆守本人ではなく、その隣。
夷澤が探していた人が眠っているのだ。壁に背もたれ、足を曲げてしゃがみこんで。
しかも警戒心の欠片もないことに、無防備に皆守の肩に頭を預けて。
(何ですかその体勢は。あんた等いつの間にそんな仲になっちまったんですか!)
(俺にはろくなメールも返してくれなかったのに!)
夷澤がわなわなと拳を怒らせても、葉佩は眠りが余程深いのか夷澤が来たことに気づかずにすやすや眠り続けている。
それがまた夷澤には気に食わない。
「だろうな……何か用か」
「九耀さんにね(テメエになんざ用はないんだよ!)」
「……悪いが、今日は寝かせといてやれ」
「は?」
「こいつの夜更かしは自業自得だが、最近は無理をしすぎだ。今は少しでも寝ないと本気でやばい」
「嫌に詳しいんすね」
「夜遊びに付き合わされてる身だからな」
「俺だって付き合ってますよ!」
「……何か、勘違いしてるようだから言っておくが」
葉佩が寄り添っていない方の、自由な腕を伸ばしてアロマを燻らした。
紫色の香りが、ゆらりと立ち上って風に溶ける。
一学年しか違わないというのに、その堂に入った動作が夷澤より遥かに大人びて見える。
「別に、俺と九耀はお前の考えてるような仲じゃない。
偶然クラスが一緒で、馬が合うから適当につるんでるだけのクラスメイトだ。安心しろ」
「っ、どの面下げて……」
「……ぅん?」
話し声が聞こえたのか、うとうとと眠っていた葉佩が小さく身じろぎをしてゆるりと目を開いた。
思わず、二人とも口を噤んで彼女を凝視する。
ビターチョコレートを思わせる、アーモンド型の黒い瞳。空気を求めた半開きの赤い唇。
まだ意識がはっきりとしないのか、寝起き独特の気だるげな表情に夷澤は何とも居心地の悪い気分を抱えたものだが、皆守は特に感銘を覚えた様子はないようだった。
いつもの面倒くさそうな口調で、
「起きたか」
「……やー……うん……たぶん」
「眠いなら寝てろ。授業が始まったら起こしてやる」
「…………でも」
起きるかどうしようか悩んでいるらしい。
何かを伝えたいのか、ぼんやりした目で皆守の顔を見上げる。その距離は文字通り目と鼻の先。
更に詳しく言うと、どちらかが少し前に動くだけで、あっさりと顔が重なってしまいそうな距離。
ひき、と夷澤の頬が音を立てて引きつった。
「ちょ……っ、ちょっと待ってくださいよ本当。自分が何やってんのかわかってんですか九耀さ」
「九耀」
「……甲?あ」
夷澤の言葉が終わるより前に、皆守が肩を動かして退いた。葉佩が凭れ掛っていた方の肩で、当然体重を預けていた葉佩のバランスが崩れる。
倒れるかと思った瞬間、しかし皆守は自由になった腕を伸ばして葉佩を己へ引き寄せた。
先ほどよりは楽になったこの体勢で、更に。
「わかってる。傍にいる」
「…………ん」
数回、黒髪を撫ぜられて葉佩は安心したようだった。
口の中で小さく何かを呟くと、今度は呆気なくとろんとまた眠りに落ちる。
結局、葉佩は一度も夷澤の名前を呼ばなかった(呼ぶのが面倒だったのか、それとも気づかないほど寝惚けていたのか)
「………………センパイ」
「何だ」
「一応、一応聞いときますけど、アンタそれでも自分たちのこと」
拳でなく視線で人を凍らせることができるなら、夷澤は間違いなくそうしていただろう。
ひどい剣幕の後輩に、しかし皆守は平然と答えた。
「クラスメイトだ」
「んなクラスメイトがいてたまるかー!!」
「ああ、くっそ、絶対負けねえ!九耀さん、ちょっと起きてくださいって、九耀さん!」
「……け、え、何?はい、起きてます起きてます…………くー」
「思いっきり寝てるじゃないですかー!」
「ぐーぐー!」
かなりの剣幕で葉佩を皆守からひっぺがし、鬱憤を晴らすかのようにゆさゆさと強く肩を揺さぶる。
気持ちよく眠っていた葉佩にはかなり辛い仕打ちだ。最初は為すがままに揺れていたが、目も覚めてさすがにそろそろ反骨心も芽生えてくる頃だろう。
関わりたくない、と言わんばかりの態度で皆守は既に二人から距離を取っている。
視線も合わせないよう、妙に厭世的な気分で空を見上げるとアロマに新しく火をつけた。
ふと、先ほど自分自身が言った台詞を思い出して苦笑を溢す。
傍にいる……か。
「……悪いな」
隣では、無理に起こされて切れ気味の葉佩と夷澤が何かを言い争うのに大忙しだ。
空に向かって放たれた言葉は、結局誰にも届かなかった。
夷澤は主人公を意識するとき、絶対皆守をライバル視しそうだと思って。
04.10/10
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