煙が目にしみる チョコレート→カレーに入れると結構美味い 所詮そういう認識しか持っていないものだから、今日が2月14日だからといって特に意味があるとは考えない。 わざわざそんなことを考えるのも、それは皆守以外のほとんどの人が今日を特別な日と考えているからで。 チョコレート会社の陰謀だとか外国の正式な由来はとか、もっともらしく薀蓄を並べても結局チョコレートを買ったりつくったりして女性から男性への告白の舞台をつくる、つくづく踊らされるのが好きな人種なのだ。日本人は。 「それで、先輩はいくつ貰ったんすか?」 「さあな」 「さあなって、それじゃ答えになってないでしょう!」 律儀に返事をしてしまったのが間違いだったか。 興味がないとばかりに通り過ぎれば、今度は噛み付くような剣幕で後を付いて来る。 上目遣いで必死に睨んでくる彼のことを、皆守は嫌いだとは思わないがこうやって事あるごとに突っかかってくるものだからうざくて仕方がない。 夷澤って犬みたいで可愛いよね。いいなー飼いたいなー可愛がるのになー。 いつだったか、葉佩がそんな台詞を恍惚とした顔で呟いた時は思わずドン引きしてしまったものだが、犬みたいだという点は生憎否定する理由がないのでそのままだ。 気に入った相手にはとことん懐き、気に入らない相手にはぎゃんぎゃん吠えて噛み付く。 皆守は後者と判断されているらしかくてそれがまたうざい。いっそ「どうでもいい奴」に分類された方が楽なのに。 アロマを吹かしながら愚痴ると、無理だよアンタ気に入られてるからと癪に障る声で葉佩に笑われた。 九耀か。嫌な奴のことを思い出してしまったものだ。 皆守が顔をしかめた意味を、多分夷澤は間違った解釈で理解して勝ち誇ったように鼻で笑う。 「まあ、聞かなくても想像つきますけどね。どうせ一個も貰ってないんでしょう?」 「お前には関係ないだろう。大体そんなものを貰って喜ぶ意味がわからん」 「あーいますよねーこういう人。そうやって他人を否定して自分が正しいんだと思い込もうとする人。うわー可哀想。つーか情けねー」 「あのなあ、そういうお前は」 「俺はもう貰いましたよ。チョコレート。知らないでしょうけど、俺コレでも結構人気あるんで」 「どうせ全部義理だろ」 「アンタには関係ないでしょう!」 「あの、皆守君。君に渡して欲しいって頼まれたものがあるんだけど」 そう言って取手が差し出したのは、手作りのラッピングに不器用ながらも愛らしいリボンが巻かれたどこからどう見ても「本気」チョコレートだった。 「……、…………!」 「わざわざ頼まれんじゃねえよ、つくづくお人好しだなお前は」 「ごめん。でももう一つあるんだ。放課後もし君が良ければ体育館倉庫の裏に」 「行かねえ。寝る」 「とてもいい子なんだよ」 「いい子でも悪い子でも関係ねえよ。寝る」 「何でですか可哀想じゃないですか!」 「何でお前が怒るんだよ」 授業の始まりを告げる音楽が廊下を流れる。3時間目の始まりだ。 一刻も早く教室へ帰るべきであるのに、なんとなく、という失礼極まりない理由で三人は屋上へ上る。 世の中所詮その場のノリだ。 セロテープとリボンで貼り付けられた紙のラッピングをぺりぺり外すと、中には粉砂糖で化粧された丸いトリュフが6つ。愛らしいそれらは、しかしカレーに混ぜるには甘すぎる。皆守が責任と義務と権利を行使し全て一人で食べた。かなり美味しかったので、顔も知らない彼女はきっと料理上手なのだろう。 カレーは得意だろうか。 取手が複雑な顔で微笑む。 このカレー馬鹿!人でなしめ!と代わりに夷澤が罵倒しておいた。 屋上から見上げる空は灰色だけど、久しぶりに天気が良くて暖かい。 しばらく雪が降る程冷える日が続いていたから、屋上に来たのは久しぶりだ。 最後に来たのはいつだったか。壁に背もたれながらぼんやり考えると、何故だか葉佩のことが一番最初に思い浮かんで皆守は嫌そうに舌を打つ。しかし皆守がよく葉佩と一緒に屋上でサボっていたのは間違いのない事実だ。 彼女は太陽の熱でほんのりと温まったコンクリートが大好きで、スカートを履いているくせによく大の字になってごろごろ転がっていた。 制服が汚れるのも気にせず、陽の光を嬉しそうに目を細めながら全身で浴びる。傍で呆れていたら強く腕を引かれて一緒に地面に倒れた。 たった数p先に葉佩の顔、ビターチョコレート色の瞳が皆守を捉えてくすくすと笑う。 ああ、そうだった。ここで彼女と昼寝をして、嬉々と語られる遺跡の逸話を寝物語にしたのが最後だったのだ。 その時自分はアロマを燻らしながら、最後にそうかと一言呟いただけで、一体あの頃の自分は何を恐れていたのかと自嘲する。答えなんてとうの昔から知っているけれど。 そういえば、と取手が控えめな声をあげる。 「最近皆守君はアロマを吸わないんだね」 「……やめた」 「……そう。くっちゃんが聞いたら喜ぶだろうな」 「あー、今何をしてるんでしょうねー、九耀先輩」 どこかの駅で主人の帰りを待ち侘びる忠犬のような雰囲気を漂わせながら、夷澤が大きく伸びをした。 葉佩九耀は、口にこそ出さなかったけれど皆守のアロマが大嫌いだった。 風に流れて紫色の煙が九耀の顔を通り抜けるたび、アロマが美味いと呟くたび理解できないと言いたげに顔を顰めたり肩を竦めたりする。 身体に悪い影響はないと、何度も説明したのに彼女はどうしても煙草と同一視してしまうらしい。 いつ何時もアロマを手放さない、そんな所に煙草の中毒性と重ね合わせたのかもしれない。 「同じ咥えるなら、こっちの方がずっと美味しいって」 一度なぞ、そう言ってシガレットチョコレートを差し出したことがある。 そんなものとアロマを一緒にするな、馬鹿が。 彼女は外国育ちだから外国語が達者で、頭の回転も早いし周囲とすぐに打ち解けることが出来る協調性を持っていたけれど馬鹿だった。 突っ返したはずのシガレットチョコレートが、鞄に捻じ込まれていたことに気づいたのは寮の自室に戻ってからで、そういえば食べずにそのままどこかの引き出しに放り込んだままだった。 帰ったら探して食べてしまおう。 アロマはもう吸うことを止めてしまったが、都合のいいことに今日は2月の14日だ。 「会いたいね、くっちゃんに」 夷澤に便乗して取手が笑う。 皆守は何も言わずに空を見上げる。 葉佩と屋上に寝転がった最後の日、ゆらゆらと立ち上っていた紫の煙はもうどこにも見えない。 男3人がだらだらしてるだけの話。あと夷澤は結構もてると思うよ。だって王子様だから!(笑)
05.2/15