ふくれ菓子



「不愉快だ」
「……?」

龍泉寺が柳生に襲われ、太陽も姿を隠し世間が混乱しているある日のこと。
情報収集のため、江戸中を走り回る日々が続いていればそりゃあ不愉快になるだろうが、巽が不機嫌な理由はそれだけではないようだ。
なにせ今巽がいるのは内藤新宿ではなく、王子。
如月骨董品店の商売品が数多く眠っている蔵の前なのだから。
何の前触れもなく発せられた言葉に、涼浬はちょうど動かそうとしていた手を止め、少しだけ不思議そうな顔をして巽を見る。
彼女の唯一の兄、奈涸も招き猫を磨きながら興味深そうにこちらを見やった。
巽は蔵の前に置かれている箱の一つを紐解きつつ、息も荒く続ける。

「得意先への荷物運び皿の修繕店の掃除客への応対そして倉庫の整理!
 あたしはここに来るたび手伝わされている気がします」
「いつも頼んでいるからね」
「ああそうだよねいつも奈涸が頼んでるんだよね無料でね」
「あの、巽さん。今日は私が……」
「強制はしていないよ」
「頼まれると嫌といえない自分が嫌なの!そういう話!」

どういう話なんだろう……
奈涸と巽の間に入っていけず、涼浬はただ所在無さ下に二人の会話……といえるかどうかわからないような会話を聞いているだけだ。

「手伝ってもお手当くれないし武具の割引もしてくれないし!これだから守銭奴の亀って嫌なのよね!」
「亀って……」

兄上が亀なら、その妹である私も亀なのだろうか……と飛水流忍者の一人である涼浬が悩んでいると、見も蓋もない中傷に苦笑していた兄に小声で話しかけられる。

「そろそろお茶にしよう、涼浬。悪いが用意してくれないか?」
「……それは構いませんが……」

躊躇ったが、大丈夫だからと優しく微笑まれては大人しく頷くしかない。

「……わかりました」
「頼む」
「巽さん、少し休みましょう。私はお茶を淹れてきますから」
「え?ああ、ありがとう」
「いえ……」

するりと返ってきた、何の含みもない感謝の言葉。
家に入り、戸棚からお茶菓子を物色しながら涼浬は彼女が暴言を吐く理由を考えてみる。
如月骨董品店に姿を現したときは、まだいつもどおりだった。
屈託なく話しかけてきて、明るく笑って場を和ましてくれて。
蔵の整理がまだ終わっていないのだというと、なら手伝おうかとすぐに言ってくれた。
なのに、今彼女の顔が優れないのは……

「巽さんは、兄上がお嫌いなのでしょうか……」

湯飲み茶碗に湯を注いで、ポツリと呟く。
彼女は奥から出てきた奈涸と目が合った途端、不機嫌になってしまったのだから。
しかし、だとしたら一体いつ不仲になったのだろう?
龍閃組と鬼道衆が協力体制をとってまだ日も浅いのに。





最近は店に猫がやってきて暴れていくので、割れ物を店に並べるのは控えることにしたらしい。
紅葉をあしらった白薩摩の抹茶茶碗を箱に収め、棚に収めながらもなお巽は奈涸に突っかかる。

「本当、涼浬っていい娘よねー。素直だし優しいし可愛いし。どっかの亀忍者に似なくてよかったわ」
「確かに。俺が可愛かったら大変なことになっていたな」
「それは考えるだけで嫌」

舌を出して本気で嫌がって見せる巽を見て、奈涸はふわりと笑う。
そして手を伸ばして、巽を腕の中に抱きしめた。
巽は嫌がったが、背に手を回してそのまま放さない。

「……放せ、亀」
「放したくない」

腕の中でため息をつく気配。吐息が着物越しに肌に伝わり、くすぐったくそして暖かい。
こうして彼女を身近に感じるのは、ひどく久しぶりだ。
久しぶりだからこそ、彼女が不機嫌なのだということを奈涸は知っていた。

原因が自分だということも。

「……すまなかった」
「…………」
「すまなかった……巽君」

龍閃組の巽と、鬼道衆の奈涸。
全く逆の道を生きてきたように見えるが、今の道は柳生のせいで比良坂によって変えられたものだということを知る者は少ない。
九角も、九桐も、桔梗も、風祭も、そして奈涸も。
巽と共に過ごした日々の記憶を全て失っていた。
例え違和感を感じていても、巽のいない鬼道衆を当然と考えて日々を送っていた。
巽と比良坂だけが、全てを知って同じ道を歩まないよう日々を送っていた。
時にはかつての仲間と争いながら。
奈涸たちが彼女を思い出したのは、ごくごく最近。
それでも全ての記憶をとり戻したとはいい難い。

「…………のに」
「うん?」

声はくぐもっていて、よく聞こえなかった。
聞こえやすいようにと腕の力を弱めると、逆に着物を掴まれ離れることができない。

「あたし、何度もここに来た」
「……ああ」
「何度も奈涸に話しかけた」
「……ああ」
「でも奈涸に殺されかけた」
「…………」
「奈涸、私のこと忘れてたでしょう」
「……すまなかった」
「謝ってすむ問題じゃない……!」
「……そうだな」
「そうよ……!」

着物を掴む手に力がこもる。
顔を伏せたまま上げようとしない巽をなだめるように、奈涸は何度もゆっくりと彼女の髪を撫ぜる。

「……巽君」
「……何」
「今、俺と君はこうしてここにいる」
「……そうね」
「俺は君を傷つけたけれど、君が許してくれるなら一生をかけてでも償っていきたい」
「…………」
「今度は、決して放さないから……」
「…………ばーか」

返答は、苦笑。
断片しか残っていないかつての記憶の中でも、確かこうして笑われたことがある。

「答えは、ずっと前に教えてるんだけど」
「……ありがとう、巽君」
「でも、今度あたしを忘れたら殺すからね」

白い手が伸ばされ、奈涸の頬に触れる。
奈涸がそれに触れると、巽は幸せそうな顔をした。

「嬉しい?」
「嬉しいね」

そして二人で笑ったが、不意に巽が奈涸を突き放して慌てて距離をとる。
不思議に、そして少々残念に思いながら奈涸は巽の狼狽した視線の先を追うと、

「……涼浬」
「す、すいません……お茶が入ったので……」
「ああ!そう、お茶ね、お茶!今日のお茶請けはなにかしらー」
「あの、私お邪魔なら……」
「邪魔じゃない、邪魔じゃないから!」
「でも……」
「変な遠慮しないの!早くしないとお茶が冷めちゃうでしょ?」
「は、はい……」

顔を赤くしながら家に入る二人を見て、奈涸の唇が笑みをかたどる。
そして、ゆっくりと二人の後を追った。



帰る家があって、仲間がいて、涼浬がいて、巽がいる。
文句のつけようもない幸せな時間。





それは例えば、甘くてふわりとした





02.11/10