温もり



今日も今日とて、内藤新宿は賑やかだ。

「たんたんの馬鹿やろうー、覚えてろー!!」
「はいはい、さっさと帰るよ、坊や」
「ぼっ、坊やじゃねー!!」

軽く受け流されたのに腹を立てぎゃいぎゃい騒いでいるのは風祭で、それじゃあねと艶然とした笑みを浮かべて風祭の耳を引っ張って去っていったのは桔梗。
それを茶店の前で見送ったのは、ひらひらと手を振り満面の笑みを浮かべる巽と苦笑を浮かべている御神槌の二人。
二人の姿が人ごみに紛れて見えなくなると、巽は手を収めて御神槌を振り返った。
風祭と口論をして、一本の団子のために実力行使に出たときの血気迫った顔は既にどこかへ追いやっている。

「やっぱりおっきーは可愛いわねー。ちょっとしたことですぐ拗ねちゃってさー」
「仕方のないこととも思いますが……ところで、おっきーというのはやはり」
「風祭おっきー」
「でしょうね……」

あっさり答えた巽に苦笑を見せる御神槌の手には、つい先ほど如月骨董品店で買い上げた槍が一振り布に包まれている。
巽が骨董品店に行くと、偶然鬼哭村で会ったときに聞いた御神槌がついでの用事を頼むと一緒に行こうと誘われた。
修道服では目立つからと残念そうに首を横に振れば、「大丈夫だって」と妙に自信ありげに背中を押され、とうとうここまで来てしまった。
そこまで自信ありげだと逆に不安に思ったものだが、山を降りてから茶店で一息入れるまでの間、御神槌を不審気に見るものはいない。
種は簡単。
いつもの修道服の上に長めの外套を身に着けているだけ。
今は冬だから怪しまれることもないし、内藤新宿には二の腕や素足をあらわにして走り回る少女や、遊女が好みそうな柄の着物を着ている京都弁の男、爽やか破戒僧に果ては金髪外人まで現れるので、それらに比べたら可愛いものであろう。
御神槌の目の前にいる、拳一つで鬼を黙らすことができるとは到底信じられない一見華奢な自称大和撫子の衣装も、生地こそ単調に白なれど背中に一匹の龍を背負っている。


幕末とは真奇怪な時代だ。


「……さて、あたしの用事は終わったし、お茶とお団子をもらって身体も温まったわけだけど。御神槌はまだなんか用事ある?」
「いえ、私の用事もこれだけです。冷えてきましたし、そろそろ帰りましょうか」
「承知」


軽くおどけて浮かべた巽の笑みは、媚びたものでも高飛車なものでもなく、快活で屈託がないもので見ていて何故か安心する。
しかし、最近御神槌は一抹の不安を覚えてしまうのだ。
彼女は誰にでも優しく、親しい者にはいつも輝かんばかりの笑みを向けてくれる。
だから、彼女を嫌うものはあまりいない。
お調子者だが相手になかなか一歩先を踏み込ませない們天丸も。面以外に興味を持とうとしない弥勒も。村を束ねる立場の天戒も……そして御神槌も。
性格がかけ離れていても、それぞれがそれぞれの理由で彼女を好いている。
それは、巽が相手にとって一番相性のいい『自分』を見せているから……それとも、在りのままでいるだけの彼女に、自分達が望みの姿形を見ているからだろうか?
どちらにしろ『本当』の彼女を知っている者は、どこにもいない。
だから、何故赤の他人のはずの彼女が鬼哭村に住み着いているのかも、何故御神槌に優しくしてくれるのかも……本当の理由は、わからない。



「……あ」

変哲の無い会話をしながら人ごみの中を歩いている途中、ふと巽が何かに気づいて顔を上げる。近くを歩いている人も、何人かが空を見つめだした。
御神槌も空を仰ぐと、目に付いたのは真綿のような軽くて小さい雪。
はらりはらりと、音もなく風に吹かれて気ままに舞っている。

「おおっ……雪だ」
「本当ですね……道理で冷えると思いました」
「ああ、せめて村に帰ってから降ってほしかった……」
「おや、雪はお嫌いですか?」
「嫌いじゃないよ。でもさ、こういうのは火鉢のそばでお茶でもすすりながら障子越しに……へくしっ!……あー、寒」
「ふふっ……よろしければこれをどうぞ」

くしゃみをして顔を歪める巽に軽く笑うと、御神槌は進める足を遅くする。
訝しげな顔をして御神槌を振り向く巽の首に巻かれたのは、先ほどまで彼がつけていた緑青色の襟巻きだった。

「その薄着では、風邪を引いてしまいますよ?」
「……嬉しいけど、それじゃ御神槌が寒いでしょ」
「私は慣れていますから」
「どうして御神槌って、そう優しいのかねぇ」
「あ……要らぬ世話だったでしょうか……先まで私がつけていたものだし……」
「いや、嬉しいってさっきいったし。そこで落ち込まれても」

落ち込む御神槌に巽は苦笑するが、彼が立ち直る気配は無い。
知らず足を止めてどうしようかとしばし悩んだ後、巽がとった行動に御神槌は伏せていた顔を上げる。
寒さでますます白くなった巽の手が御神槌の冷えた手を握っていて、そして

「襟巻きの代わり。首は暖かくならないけど、まあないよりはマシ。多分」
「巽師……」
「嫌?」
「そ、そんなことは!!」
「よかったー、気持ち悪いとか言われたらどうしようと思ったよ」

笑いながらの巽の言葉に、御神槌も小さく笑って握られた手に力を入れた。



彼女がなぜ自分に優しく接してくれるかは解らない。
『本当』の彼女が、今目の前に立っていると断言することもできない。





しかし、それでも。





寒さで冷たくなった巽の手の、しかし芯がじんとした熱さと。
寒さだけでは不可能なほど、顔を赤くさせてのはにかんだ笑みは。










本物だと信じたい。





02.12/25