単純思考
突然ですが、俺こと緋勇高龍は柳生宗嵩に斬られました。
生きているのが不思議なほど出血が激しく、駆けつけた仲間たちは生きた心地がしなかったそうですが、しかしさすがは黄龍の器といったところでしょうか。さすが俺。
傷は残ったものの、桜ヶ丘の名医の力もあって他には大きな後遺症もなく、世間が賑わうクリスマスの日、めでたく俺は退院することとなりました。
のっしのっしと、言葉にするならそんな音を残して去っていったたか子先生に頭を下げると、俺は荷物を手にしてロビーを後にする。
本当にたか子先生には頭が上がらない。尊敬に値するね。医師の腕は文句のつけようがないし、何よりあの存在感。京一だって一捻りだ。
俺も将来はああなりたい、といったら仲間の全員に反対されたけど。
玄関には一台の車。
車にはあまり興味がないから種類は知らないけれど、黒塗りで見るからに高級そうだ。
産婦人科の前に停めるにはいささか不釣合いな気もする。
でも御門の家の車だから仕方ないか。
あいつが軽車に乗ってる姿なんて、そっちのほうが想像つかない。
その御門清明さんは、黒塗りの車の前で俺を待ってくれている。
『たまたま』暇だったらしいから、退院祝いにと夕食をご馳走してもらうことにしたのだ。
京一とラーメンでも、如月の店で麻雀見ながら揚げだし豆腐を食べるのもいいけど、たまには贅沢がしてみたいのですよ。
さて、どこに連れて行ってもらおうかな。
フランス料理もいいけど、和食も捨てがたい。あ、天ぷらがいいな。前に義父さんに連れてってもらったときは、天ぷら用の汁と刺身用の醤油を間違えたからそのリベンジで。
そして天ぷらでパワーを回復したら、柳生宗嵩にもリベンジ。
俺の身体をキズモノにしてくれた、あの男に。
自動ドアの前で俺の足が止まった。
病院から出てご馳走を食べて。明日になれば、また東京の平和のため戦う毎日。
無意識に伸びた手がなぞったのは、身体を二つに分けるような縦に長く走る傷。
斬りつけられたときの記憶は、ずいぶんと曖昧で希薄だ。
覚えているのは、視界にこびりつくような鮮烈な紅と、鋭く美しく光る刀身。
それが体の中を走り抜けていく、冷たく、熱い感触。
紅に染まっていく世界の中、血が外に流れていく音よりも俺が倒れる音よりも。
強く強く耳に残ったのはあの男の笑い声。
高らかに、まるで狂ったように響く笑い声。
公園で初めて会ったとき、柳生は敵だった。
次に会うときも、きっと敵だろう。あの他者を拒む紅い孤独な男は。
次は殺されるかもしれない。
……それとも死ぬかな?相打ちとかで。
柳生を倒したはいいけれど、俺も瀕死の重傷を負ってしまいました。
お義父さん、お義母さん、そして大事な仲間たちよ。先立つ不幸をお許しください。
なんてね。ああ、格好悪い。
「高龍さん」
「……ああ、悪い」
外からの催促の声に、俺はいつの間にか伏せていた顔を上げて荷物を肩に担ぎなおす。
空いた手で頬を軽く叩いて、そして足を一歩踏み出した。
勝手に開くお節介の自動ドアを通り抜けて外に出る。
桜ヶ丘病院の玄関とは違う質感の地面に、足が少し震えたけれど気にしない。考えない。
深く考えたら、逃げ出したくなる。
戦うことが怖くなって、動けなくなる。
「お待たせ。な、もしかして俺この車に乗ってもいいの?」
「そうでもなければ、わざわざここに停めておくことなどしませんよ」
「嬉しいこといってくれるねぇ」
車に乗り込む前の軽い会話。
ここまできれいに磨かれてたら、逆に指紋とかつけてみたくなるな。
そんな誘惑を感じていると、御門が扇子で口を隠していつもの深いため息。
「病み上がりなのだからあまり騒がないでください。また倒れては意味がありませんし、なにより耳に障る」
「容赦ないな、相変わらず……」
「おかげ様で」
ひどい言い草に思わず苦笑い。
でも車に指紋をつけるにはやめにした。
皮肉が効いてるのは胸に痛いけど、これが御門なりの気遣い方だと知ってるから。
こんないい加減な人間を心配くれる、大事な人の使用人さん(御門が車を手入れする光景なんて絶対目に浮かばない)を煩わせるわけにはいきませんよ。
御門は俺を甘やかしてくれないし、そう簡単に手を差し伸べてくれないけど。
たまに、気づかなければわからないほどだけど、ほんのたまに優しい言葉をかけてくれる。
言葉はただの言葉なのに、御門のその言葉が嬉しいんだ。
後ろに待ち構えている、負の感情がつまった暗い穴のことを忘れさせてくれる。
前を見させてくれる。
先がどうなるかなんて、深く考えない。
愚痴や泣き言は全て終わってから聞いてもらおう。
わざわざ暗い顔を見せて、無用な心配させるようなことはしたくない。
なんてね。偉そうな物言いだけど、だって俺は俺を大事にしてくれる人に気の利いたこと何一つできないから。
「……どうかしましたか?」
「御門。俺、天ぷらが食べたいな」
「…………」
答えの代わりに聞こえてきたのは、本日二度目の深いため息。
何かいいたそうだけど、結局いわないのが御門の嫌でいいところ。
けらけら笑ってたらさっさと乗りなさいと促された。
月並みな言い方だけど、じゃれあってる時って幸せだね。
高級車に乗り込んで、土がついている靴を申し訳なく思いながら落ち着けるその足は、我ながら単純なことにもう震えていなかった。
うん、もう少し頑張れそうだ。
気合を入れて目の前で拳を軽く打ち鳴らすと、腹が空いてきた。
とりあえず、まずは俺を待ってくれている豪華な夕食のために全力を投入しますか。
02.12/16
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