近くにいると、桂の匂いに気づくときがある。
香のように自己主張が強いわけでなく、女や花のように甘酸っぱい匂いを漂わせているわけでもなく、ならばどんな匂いかと自問しても上手い言葉が思い浮かばない、万事控えめでそれほど面白みも何もない、しかしそれは紛れもなく桂から香ってくる、他とは違う、桂自身の匂いだった。 他の連中の匂いなんて俺にはわからないが(そして興味もない) 行く先のない俺たちのような馬鹿どもと同じ襤褸屋にたむろして同じ臭い飯を食っているのに、何でこいつだけと不思議に思ったことがあるが、思い返せば結構昔から俺はこの匂いを知っていたような気がする。 お互いガキの頃から知ってる仲だ。とはいっても、あいつは年上なのを傘に、俺のやること言うことにネチネチと文句をつけてくる鬱陶しい奴だったが、俺も文句を返しながら、何だかんだいってあいつの後を追いかけて行った。あいつなりに俺のことを案じての行動だったのは何となくだが理解していたし、背筋を伸ばして颯爽と歩くその背中、風にひっそりと揺れる長い黒髪を、まだガキの癖に大人ぶって攘夷を語るその顔を、格好つけてるだけだと嘯きながら、決して嫌いだとは思わなかった。桂は誰よりも賢く優しい幼馴染だった。あれでも。 桂があのうざったらしい髪をかきあげる時、目の前を通り過ぎる時、笑って俺の肩を叩く時。ガキの頃から何度も見慣れた仕草の癖、やっぱり思い出すのはあのクソみたいな戦争中の時の光景なもんだから、知っていても意識しだしたのはその頃というわけなんだろう。ふとした瞬間に強く意識する、桂の匂い。それはあの頃の俺に劣情を抱かせていたような気がする。 馬鹿をして敵に片目を持っていかれた時、桂は遠方での作戦に参加していたというのにいつの間にか帰っていやがった。馬鹿だ貴様はと、怪我人の俺を力の限り殴りやがって、あの野郎。 目が痛いからと俺が明かりを閉め出した薄暗い部屋で、俺の片目に包帯を巻きなおしながら、無茶はしてくれるなと、何かを堪える様な小さな声を出したときの桂のあの俯いたうなじから漂う匂いたつ芳香。押し倒したら長い黒髪が畳に散らばった。首筋に顔を埋めて桂の匂いを吸い込むと何かが満たされていく、アアこんなことならもっと早くからこうしていればよかったのだと後先考えずに喉を震わせた。 |
誰にも言う気はないし認めるつもりもないが、俺はお前のことが好きだったんだ。
「ガキじゃない、桂だ」
慣れ親しんだ声。忘れた筈の匂い。
馬鹿みたいに懐かしいその台詞に、声を上げて笑い出したい気分だった。
視界の一部が、自分の血で赤く染まる。その中央にあいつが白けた面で立っている。
わかりやすい答えを有難う!
大変結構。上等じゃねえか。思う存分嫌えるってもんだ。
そういうどうでもいいとこに拘るお前の癖は、例え死んでも治らねーだろうよ、ヅラ、なあ?