佐助の怒り
政宗は額を押さえた。
「何でおまえここに…」
客間には、にこにこ笑いながら風呂敷包みを突き出す、武田の忍びの姿があった。
「お土産。
ホントなら、アンタ大っ嫌いなんだけどー、旦那の命令だからね」
「Han、たかが忍びに好かれようが嫌われようが知ったこっちゃねぇな」
「それだよ」
佐助は大げさに天を仰いでみせた。この忍び、いちいち芝居がかっていて、真意が読めない。
「俺様、竜の旦那に恋い焦がれてたのに。まさか竜の旦那が差別論者だったなんて」
「得体が知れねぇヤツなんか、誰が信用するかよ」
いいながら、風呂敷包みを受け取りシッシッと手を振った。
「あ、傷ついたよそれ。俺様のガラスの心臓が」
「毛が生えてるくせによ。帰れ。帰って伝えろ、正式な使者を送ってこい、ってな」
「…ますます嫌いになったよ」
佐助はむっと口をへの字に曲げ、腕組みをした。
「俺をただの忍びと思うなよー、旦那」
「ほーう?じゃあどんな忍びなんだ」
面白半分に、尋ね返す。佐助は至って真面目な顔で、声を落とした。
「武田の財布を握る忍びデス」
「…ウソだろ?」
幸村ならともかく、甲斐の虎が一介の忍びに財布を預けるような真似をするだろうか。どんなに信用していたって、周囲の反発は免れまい。
「ウソだよ」
佐助はあっさり肩をすくめると、にやっと笑った。
「信じた?」
「…悔しいけどな」
政宗は素直に認めると、佐助に背を向けた。
「あれーぇ?どんな用事か聞かなくていいの?」
「言ったろ?忍び風情に貸す耳はねぇ。それなりのヤツを連れてこい。それが礼儀ってもんだろう」
少し、かちんときたようだった。佐助は腰に手を当てた。
「あのね。財布を握ってる云々はウソとして、俺様ほど信用のある使者はいないよ?大将と、真田の旦那、二人から厚い信頼を得ていて、武田の中でも、信頼が―――」
「たがが忍びだろ?」
政宗が鼻で笑うと、佐助は不快な顔をして、気の抜ける声を出した。
「ぷっちーん。俺様、大激怒ー」
しかしまるで怒っている様子はない。政宗は、シッシッと手を振った。
「ちくしょーう、覚えてろォーー」
棒読みの捨て台詞を残し、佐助はしゅっと姿を消した。
本当に怒ってはいない。
そう思っていた、次の日。
すがすがしい朝だった。暑くも寒くもなく、朝得有の、澄んだ空気。
政宗は伸びをすると、顔をしかめた。
「…何か聞こえたな…」
「……のおー…政宗殿ぉー!」
床板を踏み抜かんばかりの勢いで、赤犬が走ってくる。
障子が蹴り開けられるのを眺めながら、政宗は伸びをしたままの姿で固まっていた。
「…よぉ」
「おはようでござる、独眼竜殿」
幸村は入ってきた勢いの割に、丁寧に頭を下げると、情けない顔をした。
「さ、佐助に何をしたでござるか?」
「What?」
「佐助が、おお、佐助があああああああ!!」
佐助が佐助が、とわぁわぁ叫ぶだけで、具体的に佐助がどうしたのかがわからない。
「なんだよ。どうしたんだ。あの忍びが、キレて暴れだしたか?」
「そ、その方がはるかにマシでござる!!とにかく、独眼竜殿はいったいどんなことをしたでござるか!?あの佐助が…うぅーッ」
政宗の着物を掴み、涙でぐちゃぐちゃの顔を歪ませて泣き叫ぶ。そこには、虎の若子と言われた若武者の姿はなかった。
「なんだよ。ゆっくり話せ」
政宗が幸村の肩を揺さ振ると、幸村はしゃくり上げながら頷き、ぽつりぽつりと説明しはじめた。
幸村は、使者として使わした佐助の帰りを待っていた。
佐助の姿が見えて、幸村は嬉しくなって駆け寄った。
その途端、凄まじい目付きで睨まれたのである。
一瞬のことで、幸村が固まっているうちに佐助は笑顔になった。
「ごめんね、旦那。団子、忘れちゃった」
いつもの笑顔だ。幸村は、さっきの凄まじい顔は気のせいだと思ったが、よく見ると佐助の口元が痙攣していた。
怒っている。
それも、はらわたが煮えくり返るほどに。
それでも、使者として頼んだのは自分だったから、聞かざるをえない。
「どうだったでござるか…?」
「んー。俺じゃないほうがいいみたいよ。追い返されちゃった」
笑顔で頭を掻くが、幸村は見た。
佐助の片方の手が、かつてないまでに握り締められているのを。
佐助は、普段怒らない。笑って、何でも受け流す。
その佐助が怒り、なおかつ、怒りを隠せないまでにはらわたが煮えたぎっている。
その事実に、幸村は震えた。
「あ、あの、佐助…」
「なあに、旦那?…ああ、疲れちゃった。少しお休みをくれないかな」
笑いながらも、目が笑っていない。
幸村は頷くしかなかった。
政宗はそこまで聞いて、肩をすくめた。
「怒ってようがいまいが、関係ねぇじゃねえか」
「大ありでござる!佐助が休んだら、いったい誰が拙者のご飯を!?拙者昨日から何も食べてないでござるゥ!!お・な・か!!ぺこぺこーーぉぅ!!!」
「自分で作れよ」
「佐助の手作りしか食べたくないでござる。と、いうわけでお覚悟!」
幸村は、何も食べていないと言う割りには素早く政宗を縛り上げ、担ぎ上げた。
「おい!!」
「拙者考えたのでござる。部屋に閉じこもった佐助の降臨を願うには、政宗殿が最適でござる!拙者のご飯のため、いいや、引いては武田のご飯のため、贄になってくだされ!!」
幸村は政宗を軽々と担ぎ上げ、上田城へかっさらった。
「戻ったか、幸村!!」
信玄が、佐助の部屋の前に仁王立ちしている。そのまわりに、数えきれないほどの武田の兵士が、腹を押さえて座り込んでいた。
「おぅやかたさぶあああ!これ!このように、贄を!生け贄を連れてきましたぞオオオ!!」
「うむッ!!その祭壇に乗せるがいい!!」
散々暴れたため、猿轡を噛まされぐるぐる巻きに縛られた政宗を、簡易な台に乗せる。
台には、『ごめんなさい佐助 謝るからでてきてください』と書かれていた。
「さすけぇー、しゃしゅけぇー、出てきてくれぇー」
幸村と信玄が、ひざまづいて拝む。政宗はだらだらと冷や汗をかいた。
忍びごときが、と言ったけれど、もしかしてかなり重要人物だったのか。
「んーッ!ん、んー!!」
離しやがれ、と言いたかったが、猿轡のせいで何ともならない。
「これ!このように政宗殿もごめんなさいと言っているでござるぅー」
言ってねぇよ!!
政宗は暴れたが、どんな縛り方をしたものか、暴れれば暴れるほど縄が絞まる。
何度目かのごめんなさい、の時だった。
「旦那ァ。うるさい。寝れない」
がらりと襖が開き、佐助が目を擦りながら姿を現した。
「何やってんのォ!?ちょッ…ヒドすぎない、旦那ァ!?止めてよ大将!!」
「佐助。お腹減った」
「今日お休みもらったでしょ?」
「お腹減った」
「仕方ないなぁ。ちょっとまってて、支度するから」
佐助は障子を閉めると、すぐにいつもの姿になって出てきた。
「竜の旦那も、災難だねぇ。まッ、自業自得だと思って、しばらくそのままでいてよ」
佐助は祭壇の政宗を楽しそうに眺め、それから、
ガンッと祭壇を蹴り上げた。
「我慢しろよ、ま・さ・む・ね?」
目が。目が恐い。
政宗は、幸村が恐がったのも無理はないと実感した。
しばらくして佐助は戻ってきた。
「旦那も考えるねー。はは、竜の旦那が生け贄か」
呟きながら、政宗の顎を軽く上げる。
「ぶっ殺してやろうかと思ったけど、わかったろ?俺様、信頼されてるんだよん」
佐助の手が、猿轡に触れる。
一瞬で解かれ、佐助の顔が大きくなった。
「…!!」
唇に、ふにっとした感触。
「おいし」
佐助が、にこにこわらいながら唇を舐める。
「…てめぇッ…!」
政宗は真っ赤になった。
「嫌いだけどー、好きなんだよね」
「わけわかんねぇよ!!俺の、は、初めてを返しやがれ!!」
「初めて?えー、そんなこというタマだっけ?」
「うるせぇ!返せよ!!」
「わかったよ、はい返す」
言うなり、佐助は政宗の唇に甘噛みし、深く口付けた。
「ッ…!」
貪るように顔を固定され、政宗は頭が真っ白になった。
何で俺は、こんなことされてるんだろ。
ちゅ、と佐助が離れていく。
「好きなヤツに、あんなこといわれたらさ…頭にくるだろ?へへ、まさに据え膳ってヤツ?」
佐助が、政宗を抱き締める。
政宗は言葉を探したが、真っ白になった頭には何も浮かばなかった。
「お、俺は―――」
なんとか言葉を押し出そうとしたが、幸村がほおに米粒を付けて走ってきた。
「あっ、政宗殿だけずるいぞ!拙者も、佐助にぎゅっとされたいー!!」
「ふふ、はい旦那、ぎゅー。ご飯粒ついてるよ」
佐助は幸村の頬に付いた米粒を取って食べると、政宗の縄を取った。
自由になった政宗は微笑んで、
幸村と佐助をぶん殴った。
「いたーい」
「ッるせえバカ!!!!」
「うわぁぁん、政宗殿がぁー!」
「黙れ人さらい!!」
「沸点低いなぁー」
「容認しろっていうほうがおかしいだろ!!?」
「…確かにそうかも…」
佐助は笑い、それから真顔になった。
「次、バカにしたら…押し倒すよ」
あの顔だ。政宗は冷や汗をかいた。
「わ、わかったよ…」
「へへ、よろしい、なんてね」
佐助は笑い、政宗はコイツだけは怒らせないようにしようと誓ったのだった。
「で、お土産気に入った?」
「アヒルが入ってたぞ」
「…ごめぇん、間違えたわ」
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