赤紫


仄かに漂う花の香り。
一々気を荒立たせるほど子供ではないが、気にしないでいられるほど大人でもなかった。
自分にこんな感情があったのかと、気づく度に一人で驚いている。


櫛を通すと、それが安物で出来ているにも関わらず静かな清流のようにすっと漆黒の髪が流れて落ちる。
いつも遠目で見ては、何て綺麗な髪をしているのだろうと思っていた。羨望も込めて手を伸ばす。彼は黙って葉佩の好きなようにさせてくれているから。
しっとりと濡れた真直ぐの髪。ふわふわとした軽さは無いが、心地いい重量感がある。手触りはまるで上質のシルク。枝毛は一本も無い。白髪も無い。……完璧だ。

「気に入りましたか?」

ほう、と感嘆のため息をつくと神鳳が苦笑して訊ねた。否定する理由は無い。うっとりと目を細め、如何に自分が彼の髪に魅了されたか切々と語る。
ありがとうございます。神鳳はそう返したけれど、浮かべた笑みはやはり苦笑だった。

「九耀さんの髪も綺麗ですよ」
「ありがと。神鳳の髪って、いい匂いもするんだねえ。何の香り?」
「ああ。多分それは椿油のせいでしょう」
「つばきあぶら」
「昔から使われているもので、髪に良いんです。試してみますか?」

神鳳が振り返ると、予想通り葉佩は好奇心に目を輝かせて嬉しそうに頷く。その動作がなんとも可愛く見えるものだから、神鳳も口元を綻ばせた。





「……お前、シャンプー変えたか?」
「ああら嫌だわ甲太郎さん。それってセクハラ発言ですわよ」
「どこで覚えた、そんな台詞」
「女子寮には不思議がいっぱい」
「不思議で片付けるな」

くしゃ、と葉佩の髪をかき混ぜるついでに引き寄せる。きゃー、と皆守の胸元で楽しそうに抵抗する彼女の黒髪はいつもより潤いがあり、独特な匂いを漂わせていた。
この匂いは、確か覚えがある。

「椿油か?」
「あ、よくわかったね。さすが日本人。神鳳から貰ったんだ」
「アイツか……」

知らず口調が苦々しい。不審に思った葉佩が上げた頭を、がしりと掴んで縮めとばかりにぎゅうぎゅう押し付ける。今自分がどんな顔をしているのか、自分でも予想がつかないのだから葉佩に見られたく無い。右手から香る椿油の匂いに、大きく舌を打った。

今日の彼女は、ラベンダーでなく椿の香りを漂わせている。

それが理由も無く気に入らなくて、ふうと紫の煙を葉佩に吹き付けた。上がる非難の声は、誰のせいだと取り合わないことにして。

ラベンダーと椿の芳香が混ざり合って、なんとも妙な匂いになった。