すっかり慣れた日常。 いつもと同じ学校の帰り道。 細い坂を登った先、暴れる髪を抑えながら大きく背中を反らして空を見上げる。 走るように流れる真っ白い雲がとても清々しかった。 汗ばむくらい強い太陽の日差しが目に痛いほど眩しかった。 僕はじわじわと不安になって、こっそり涙ぐんだ。 幼いふたり 出かけるなんてバクラは一言も聞いていなかった。 予定も、前触れも何も無かった。だから何がしたいのかわからない。 電車を何度も乗り換えて、たどり着いた先は初めて名前を聞く駅と街。 一体何時間電車に乗っていたのだろう。空の色は夕焼け色を通り越して漆黒へと染まりきっている。 バイトの女店員が、時々興味深げにこちらを盗み見してくるのが気に入らない。 確かに、こんな夜遅くに高校生がたった一人で(自慢じゃないが、しかもとびきりの美少年だ)時間を潰しているのは珍しいかもしれないが、こっちは向こうに興味がないのだから煩わしいだけだ。 どこにでもある24時間営業のファーストフード店。朝まで居座るつもりらしい。 味が安っぽいからと、彼は嫌っていたはずなのに。 わざわざ遠くまで足を運んで、ここで寛ぐ理由がバクラにはさっぱりわからない。 学校の宿題やらTRPGの構想をまとめたノートやらを正方形のテーブルに撒き散らしたまま、隅っこの席で獏良はぼんやりとネオンの光る街を見つめている。 何を考えているのか。それとも、何も考えていないのか。 どれだけ見てもわからない。面倒くさいからもうどうでもいい。 とりあえず今わかっていることは一つ、終電の時間はもう過ぎてしまって家には帰れないこと。これは困ったことだから舌打ちをする。ここには薄っぺらい安物の肉と萎びたポテトしかない。どうしようもないともう一度舌打ちした。 『……明日、学校に間に合わねえぞ』 「意外だなあ。お前がそんなこと心配するとは思わなかった」 『勘違いすんなボケ。誰が心配なんざするか』 「似合わないもんね」 面白い冗談を聞いたと、そんな顔で笑う。 隣の椅子に座ったバクラは、悪態をつきながら散らかったテーブルに両脚を組んで乗せた。 行儀が悪いと、これはもう反射のように文句を言われる。構うものか。素行の悪さは生まれつきだ。 (それに、どうせこのモヤシ以外に自分の姿は見えやしないのだ) 下敷きになったノートを見て、獏良が嫌そうな顔を作るのが堪らない。それが面白くてにたりと笑う。 『お前がいない時に、向こうでなんかあったら俺サマが迷惑するんだよ』 獏良が《名も無き王》の器と交友関係を持つことは、バクラにとって好都合だった。 顔を見るたびその喉を掻っ切ってやりたい衝動に駆られるが、バクラがリングの中で大人しくしている限り傍にいても不審に思われることがない。ありがたい話で、そういう意味でも獏良は最高の宿主だった。しかしそれは獏良が器の傍にいるから考えることであって、離れていれば意味が無い。 さすがに四六時中べったりくっ付いとけとは言わないが(馴れ合いが過ぎて下手な情でも湧かれては困る)、適度な距離は保っておいて欲しいと思っている。 軽い皮肉のつもりだった。自分の「器」に過ぎない少年へ、自分に無断で行動したことに対しての。 獏良は嫌がる顔を元に戻そうとしない。 「そんなの知らないよ」 『知らないで終わらせねえ』 「だってねえ、こっちにも事情があるんだから」 ぽつりと呟くと、視線をまた窓の外へと戻す。 いったんきゅっと口を閉じて、また開く。 何でもない世間話でもするかのように早口で切り出した。 「行きたいところがあるんだ」 「行きたいっていうか、やりたいことなんだけど。高校を卒業したら専攻したい分野があって」 「童実野町ってさ、ほら、もうほとんど海馬君が仕切ってるじゃない。別名海馬ランド。だからアミューズメント系には強いけど他はさっぱりで」 「遊戯くんは、お爺さんのお店もあるし。多分性にも合ってるから。残るんだろうね。あの町に」 「そりゃあ、色々な思い出があるから離れるのは寂しいけど。でもそれって只の感傷じゃない?」 ただの寄生虫、厄介者に過ぎない俺にそう弁解するのは、感傷以外の何があるというのだろう。口には出さないが。 両足をテーブルに投げ出したまま、バクラは続く宿主の声音を聞き流している。 馬鹿じゃないかと思う。そうでなければくだらない。 今まで色々なものを勝手に捨てさせて、これからも諦めさせていくだろう自分に未来を語って何になるというのだ。 (こいつは一体俺に何を望んでいるのだろう) 何か悩み事があって機嫌が悪いのはバクラにもわかる。わかるが、何に悩んでいるかはわからない。興味もない。 理由を想像することは出来るし、この少年を一番理解できるのは他でもない自分だから、仮定をたてることなど造作もないと思う。けれど、その答えが正解とは限らない。正解でも不正解でも、自分に出来ることは幾許もないのだ。仮定など何の役に立つというのだろう。そもそも何かしてやろうなんて思わないし。 だからわからないままでも構わない。どうでもいい。理解できれば楽なのは事実だが、どうでもいいのだ。そんなことは。獏良が何を考えているかなど。 ……どうでもいい、と何度でも自分に言い聞かせるのは、どうでもよくないという証明でもある。 つくづく面倒くさい話だが。 『暗く考えすぎなんだよ、手前は』 獏良は窓の外ばかり見ていて、いつまで経っても視線が合わないものだからイライラする。足を下ろしてこっちを見ろよと睦言のように耳元で囁いた。 意図的に作った、舐めるような声音。前触れなしに近づいてきた気配と吹き込む生温い風。 さっと赤らんだ項を隠すよう耳に左手をやりながら、心底嫌そうな顔でようやくこちらを見た獏良にもう一度にたりと笑う。 『心配しなくても、お前がボーっとしてる間にちゃんと闇の力を手に入れて世界を征服してやる。そしたら俺は王様で、お前はお妃様だ』 「…………男なんですけど」 『他に適役がいねえ』 何かを言い返されそうになったので、その前に口で口を塞いだ。反論はうるさいから嫌いだ。 バクラには実体が無い。だから獏良にしてみれば唇に微風が過ぎった程度の感覚しかなかっただろう。 それでも顔だけは同じのくせ、目つきが妙に悪い男にキスをされたのは事実で、憮然と唇を撫ぜる仕草が男の癖に愛らしかった。ほっそりとした頬に手を伸ばす。 (生まれる性別間違えたんじゃないだろうか) 『んな余計なこと考える暇があったら、俺様のこと考えてろよ』 「……子供じゃないんだからさぁ」 『どっちが』 「……あれ、どっちがだろ」 曖昧に流して、へらりと笑いかけた。のは、バクラに対してではなくバイトの女店員へだった。 いくら獏良の見目がいいとはいえ、話し相手が3000年前の亡霊だ。他の人間には見えないのだから、深夜に少年が一人、のけぞったり笑ったりする様は傍から見ていて不気味なものがあったのだろう。 ばっちりと視線が合った店員が気まずそうに顔を逸らす。まあ彼の外面がイイのは昔からのことで、見事なまでのファニーフェイスに彼女がこっそりと顔を赤らめていたのを、バクラは見逃していなかったのだが。 赤の他人相手にそこまで気を回す必要もないだろうに。気に入らない。 『……なあ、マジでこの店出ねぇの?そこら辺歩けばビジネスホテルくらいあんだろ』 「財布の中380円しかないけど」 『げ。マジかよ……馬っっ鹿じゃねえのお前。電車代幾らかかったと思ってんだ、そんだけの金でどうやって帰るつもりなの』 「だから銀行開くの待ってるんじゃない。馬鹿だなあ」 『馬鹿はお前だ!』 「うん。その言葉そっくりそのまま返す」 それでも、注がれる不審と好奇の視線に彼も辟易していたのだろう。手際よく荷物をまとめると、いらないゴミを捨てて出口へ向かう。がりがりと開く自動ドア。ふらふらと夜の街を歩く。 星一つない真っ黒な夜空を見上げて、あーあ、と獏良はこれ見よがしな溜め息を吐いた。 「このまま夜が明けなければいいのに」 矛盾してないかそれ。 思ったけれど、また口論になるのは面倒だったから適当に流すことにした。 否定しないのは、もしかしたらどこかで自分も同じことを望んでいるからかもしれない。 明日なんて来なければいい。 なんて思いながら、明るくなっていく空を憎んでみたりした。 草木も眠る丑三つ時。好きでも嫌いでもないこの時間が、今日だけはたまらなく愛惜しい。 空が明るくなれば、明日になれば。 僕はまた一日大人へと近づいてしまう。 それは途方もなく恐ろしいことの様に思えて、正直に怖いなと思うのだけれど、アイツは馬鹿だからきっと僕の考えてることなんてどうせ一つもわかっていないんだろう。 自分のことでいっぱいいっぱい。 進路調査でもあったんじゃないでしょうか(んな他人事みたいな)
05.9/21