ネックアンドネック
するりと抜け出る腕を捕まえて、政宗が嫣然と笑う。
単なる細腕に見えるくせ、何とか逃げようと足掻く彼の腕を平然と捉えて離さない。
くすくすと楽しそうに笑うその顔は、獲物を前に舌なめずりする猫を思わせる。
「逃げるな」
政宗が猫ならば、小太郎は捕らえられた鼠といったところだろうか。
捕まえた腕をするするとつたい、指と指が絡められる。戦場で勇猛に刀を振るうその指は長くて細く、じわりと温かい。絡めた指はそのままに、左手で愛しげに小太郎の胸をゆっくりと擦りながら。うっとりと見つめてくるその左目はらんと情欲に燃えている。
「……なあ、いいだろう?」
睦言のように甘い囁き。
小太郎は夢中で何度も首を横に振った。兜を外せば半泣きの顔が見れたかもしれない。
いくら彼が政宗に気を許しているとはいえ、望むことなら叶えてやりたいと思っていても、しかし出来ることと出来ないものというものは存在するのだ。政宗は無理なことを知っていながら小太郎にねだっている。それが恨めしい。
「お前がいいんだ」
熱に溶けた甘い声。
赤毛の髪をかき上げながら、そっと耳元に熱い吐息が吹き込まれる。面白いようにびくりと体を震わせる目の前の男に気をよくして満足げに微笑うと、政宗は彼の顔を隠す兜の紐に手を伸ばした。
「…………アンタら何やってんの?」
天井裏から呆れきった声が降ってきたのは、丁度そんな時である。
舌打ちしながら政宗が天井を睨むと、人を射殺せそうな程のその目線を真っ向から受けて佐助は飄々と肩を竦めて見せた。その隙に小太郎は政宗の腕を振り払って外へ逃げてしまっている。
「あ、おい、待て!小太郎!」
それで待つなら最初から逃げていない。
普段なら手にも掛けない襖を大きく開け放ち、脱兎の如く一瞬で庭の植木に飛び込むと、がさがさと木々をざわめかせてそれきりだ。逆さまにぶら下がったままその様を眺めていた佐助は、しばらくしてぽつりと呟いた。
「屋敷の外まで逃げたみたい」
「shit!あと少しだったってのに!」
吐き捨て、心底悔しそうに畳を叩く。
訝しげに思いながら佐助が床へ降りると、もう一度睨まれた。同時に棒手裏剣のように真っ直ぐ飛んできた細い何かは、佐助がひょいと避けると柱に当たり、存外軽い音を立てて畳に転がる。
「耳掻き?」
「悪いか」
「つーか訳わかんない」
そもそも、あれ、誰よ。
訊ねると、面白くなさそうな声が返ってくる。
佐助だって面白い気持ちで聞いたわけではないからお互い様だ。
「最近俺が餌やってる猫だよ。ったく、折角懐いてきたってのにテメエの所為で最初からやり直しだ」
「あのねえ、野良は人に懐かないのが一番野良のためなんだよ?」
「飼えば問題ないだろう」
「うっわー、問題発言」
顔を顰めて大げさに嫌がってみせるが、政宗は気にした風もなく小さく口の端を上げただけだ。
気に入らないなあと、わざとのんびり呟いてみる。心の中で。
「俺が言うのもなんだけど、あんまり忍びを信用しない方がいいよ」
今度は鼻で笑われた。
「ha!今更だな」
今更だった。
彼の目の前でへらへら笑っている自分の身の上を思い出すまでもない。
政宗は自分に関係ないものには悪戯で優しいのだ。
いつかそれが理由で殺されそうな気がする。
死ぬのは構わないが、せめて佐助の納得する理由で死んで欲しい。
佐助は畳に転がる耳掻きを摘みあげると、小さくため息を落とす。
「全く。俺にだってしてくれたことないのに」
零れたひとり言に、政宗が意外そうに目を見開いた。
「なんだ、して欲しいのか」
「して欲しかったけど、嫌になった」
返すと、訝しげに眉がひそめられる。それににこりと笑いかけると気味が悪そうに後ずさりされた。いい加減相手の性格をおぼろげながらも掴めるようになった頃である。感づかれる前に膝を進め、佐助は政宗の手をぎゅっと握った。ひく、と政宗の顔が引き攣るのが面白い。
「俺が耳掃除してあげるよ」
「いらねえ」
「今なら俺様の膝枕付き☆」
「それで喜ぶと思ってんのかテメエは!」
力いっぱい拒絶する相手に、まーまーとお得意の曖昧な笑みを浮かべるが案の定効果はない。
畳に押し倒したり引き剥がされたり、耳を引っ張ったらお返しとばかりに頭を床に叩きつけられる。
近すぎるくらい顔をつき合わせて罵りあっているときは、このまま口付けの一つでもしたらその場の勢いで布団に連れ込めるんじゃないかとも思った。思ったので実行したら左手でぶん殴られたが、これくらいなら軽いものだ。
へらりと笑うと、あからさまに苛々とした舌打ちが帰ってくる。しかし嫌われていないことを佐助は知っている。
彼と関わりのない人間の中で、こうして政宗と大騒ぎしてじゃれあうことが出来るのはあの無口な忍びでも誰でもなく、佐助だけの特権なのだから(今のところは、としかいいようのないこの不安定な関係!)
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